チャレンジドとして生きる

いつになるか分からない不定期更新です。

鬱(苦しみの中から)

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時々 うつがやってくるので 苦しい気持ち書かせてください。
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 「死にたい」というとき

  たぶん それは 「寂しい」じゃないかな。

 「誰もわかってくれなくて 寂しい」

 「寂しくて もう生きていたくない。」

  ふと そんな気がしたんだよね。



 そういえば 自分は 「寂しい」という言葉に 過剰に反応する。

 「寂しくなんてない!!」って大きな声で 言ってしまうときがある。

 「一人だって平気だから!」そう自分に言い聞かせる。



  子供のとき なぜ 「寂しい」って言えなかったのだろう?

 いつの間にか 「寂しい」という言葉は自分の中では禁句になってた。

 「寂しい」って言うと 自分の負けのような気がしていた。



 「寂しい」って泣くのは あまりに惨めで 情けないから

 自分にとっては 許せなかった。

 誰にも 受け止めてもらえない気がして

 不安で 口には出せなかった。


 だから きっと 「寂しい」が 「死にたい」に なっちゃんたんだろうな・・・・

 ちょっと気が緩むと

 すぐ 考えてしまう。



 なぜ 生きてるのかなぁ?

 なんのために 生きてるんだろう?


 みんな 何を思って生きてるんだろう?

 誰を見ても 思ってしまう。




 いや、子供には思わないなぁ。

 赤ちゃんは 無心に生きようとしているし・・・・


 何が ひっかかっているのだろう・・・・

自己嫌悪から自己愛へ

 自己嫌悪は自己愛の裏返しだと前に書きました。

 別の表現をするなら歪んだ自己愛です。

 でも、その考えを受け入れたとしても、なかなか逆転させ正しい自己愛にしてしまうのは難しい。



 誰でも自分に嫌な部分はあるものですが

 元気な人はそれを覆ってしまうほど 自分の中に好きな部分があるのです。

 もし、嫌な部分が好きな部分を上回ってしまうと苦しくなります。

 嫌なところもあるけど 好きな自分だったのが

 好きなところもあるけど嫌な自分になってしまいます。

 そのうち 嫌な自分ばかりになり自己否定に陥ります。

 そうなるとあらゆるものがストレスなり不安が高じて うつになってしまいます。

 ですから、うつや不安、様々なストレス それらに対処する方法として

 自己確立はとても大切なものになります。

 では、自己確立とはなにかといいますと

 自分は自分、他人とは違うという認識に始まって

 いろんな自分があってもそれは自分という一人の人格という意識。

 そのなかには 自分を認めるという意味合いが入っており

 「あんなところも こんなところもあるけれど こんな自分が好き」という感情につながります。

 自分を好きと思えば もう揺らぐことはない。

 簡単に言うと これが自己の確立、自己愛の確立ということになるようです。


 
 ここで 少し歪んだ自己愛について考えて見ましょう。

 歪んだ自己愛は他人との比較によって生まれます。
 ねたみ・・・・・・自分もあの人が持っているものを持つべきだ。

 自己批判・・・・・自分はもっと立派であるべきだ。

 自己破壊欲求・・・こんな自分はいらない、もっと素敵な自分であるべきだ。

 もっといろいろあるでしょうが、共通する点をあげるとすれば

「べき」という考え方でしょう。

 きっとこうあるべきと親に育てられたのではないでしょうか。

 親が求めたあるべき姿が社会的に立派なものかどうかに関わりなく

 ありのままの自分であることを許されなかった。

 そんな子供時代の状況が 大人になった今でもわたしたちを苦しめます。


 そうであれば 回復の近道はこの「べき」を止めてしまうことです。

 この「べき」はいったい誰のためのべきなのでしょう。

 もし、この「べき」で苦しんでいるなら 

 それは 自分のための「べき」ではないのです。


 そのような「べき」で自分を縛っているなら

 自分というものがなくなります。

 自分がなくなったときどんな感じがするか

 トパーズの部屋♡「境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)の三大特徴とは」のページで
わかりやすく表現されていましたから引用させていただきました。
 たとえば、「自分が何であるかわからない。自分のイメージがわかない」
「本物の自分がつかめない」「自分は一貫していない」
「人に合わせてばかりいて、ほんとうの自分がいない」
「自分がバラバラである」といった感じです。
こうした自覚すらなく、ひたすらカメレオンのように人に合わせてきて、
あるときふっと自分のなさに気付く人があります。


一方「自分が大嫌いである」「こんな自分を受け入れられない」「別の自分に変われたらいいのに」
といった自己否定や、自己受容の困難さをあらわすような訴えもあります。
さらには、「今の仕事(学校)でいいのか、自信がない」「どの職業を選んでいいかわからない」
「どう生きていったらいいかわからない」という訴えにもなります。


また他者との関係で、「自分は孤独である」「自分はまわりから受け入れられていない」
「自分は真の友人をもっていない」「人前にでるのがこわい」といった訴えもあります。


総じて、「むなしい。退屈である」「人生に希望などない」「自分の内面は空虚である」
といった感じがその基底を占めているようです。

自己を解放し 自己を確立し 本当の意味で自己を愛するために

この「べき」を止めてみましょう。

一つ一つしっかり見究めて、一つ一つはずしていきましょう。

そして 本当の自分に逢いましょう。

本当の自分をわたしは 抱きしめたいです。

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自己攻撃を止めてみる

アダルトチルドレンの問題点は
 自己否定、自己攻撃による歪んだ認識ですね。
 多くのうつの原因も同じだと思います。

 自己肯定が出来ていないまま 自己攻撃をすることは
成長するのではなく 崩壊に向かうことになります。

 その自己攻撃をとりあえず止めるための
わかりやすい例えが まこななさんのところにありました。

 「自分に許可を与えましょう(〃▽〃) 」という記事です。
この記事を読んで自分なりに考えました。

 自分が褒められたとき「いえいえ、そんなことはありません。」と否定しますね。
謙遜さとして日々普通に行われます。
でも、ちょっとまって!少し見方を変えてみましょう。

それって、褒めてくれた相手を否定していますね。
そして、褒められた自分を否定している。
それを 別の人になって その人が同じことを言うとしたらどうか・・・・
 友達 「あなたすばらしいです!!」
わたし1「・・・・・・・・」
わたし2「いえいえ、そんなことないですよ」

 わたし1「ショックΣ( ̄Д ̄;)がーんっ!」
 友達  「失礼ですよ!!゛(`ヘ´#) ムッキー」
   とこんな感じかな??



 これをはっきり自己攻撃の形にしたらこうでしょうか。

わたしが失敗したとします。
わたし1「ああああ・・・失敗したぁ><」
わたし2「なにやってるのよ。ばかじゃないの!!」
わたし1「そんなひどい言い方しなくても・・・・"(/へ\*))ウゥ、ヒック」

他の人には まず言わないような暴言を自分には言ってしまいがち。
これではへこんでも 無理ないです。

 自己肯定が出来たら 自己突っ込みは成長のための踏み台にもなります。
自己肯定が出来るまでは 子供を励ますように
沈んだ友人を元気付けるように
泣いている親友と一緒に泣くように
自分に接してあげましょう。
わたし1「失敗しちゃったよ。(´Д`|||) ドヨーン」
わたし2「そうだね。残念だったね。大丈夫。なんとかなるよ。」
 今はとにかく 楽になりましょう。
わたしも そうしようと思います。
元気になったら 少し気合を入れましょう。
そう、元気になったらこういいます。
わたし1「あちゃ〜!失敗したよぅ〜><」
わたし2「この失敗を何かに生かすよ!悔やんでる暇なんてないよ!がんばれぇ〜!!」
そう言えるようになるまでは 自分に優しく接してあげようと思います。

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自己嫌悪の裏返し

うつの人はみんな自分が嫌いですよね。
 自分が好きなときは うつにはならないでしょう。

 うつの状態にもよると思いますが
 激しい自己嫌悪にさいなまれるのではないでしょうか。

 この自己嫌悪の正体はなんだと思いますか?
 わたしはこのテーマを 高校生のとき 一生懸命考えました。
 このとき ひどい自己嫌悪にさいなまれていたし
 哲学に興味を持ち 知ったかぶりして 
 よくわかりもしない哲学書なんか 読んでいたりしたからでしょう。

 そして 結論を出しました。
 激しい自己嫌悪は 激しい自己愛の裏返しである。
自分は本当はナルシストだぁと気がつきました。

 高校のとき 考えられたのはここまでです。
 つめが 甘い! まだ若者でしたからしょうがないですね。

 それで 経験も重ね 歳だけは食ってしまったけれど
 精神年齢はさほどかわっていない 現在のわたしが 今一度考えました。





自己嫌悪の正体 それは 自己愛の裏返し

 
 本当は とっても自分を愛しており 自分自身がとっても愛おしいのです。
 では、なぜ 激しい憎しみのような感情になってしまうのか。



 とても 自分を愛しているなんて 言えない!!
 こんな自分は壊してしまいたい!!



 そう 感じていることでしょう。

 そう、こんな自分は壊してしまいたいのです。

 こんな    こ ん な       こ     ん     な


こんな 自分は わたしじゃない!!


 そう、本当の自分じゃないからです。

 大好きだった自分じゃないからです。



 子供のころは ほとんどの人は 自分が好きです。

 小さなときに 自分が嫌いだと言う理由で泣いている人は まずいないでしょう。



 でも、大きくなると 自分が嫌いだと泣く人は たくさんいるのです。

 こんな自分は嫌いだ! こんな自分は嫌いだ!!  ・・・・・・・



 では、取り戻しましょう、大好きだった自分を。

 あなたが本当に 愛おしく思っている自分を。


 
 '関心があるものには強い感情が生まれるものです。

 関心がなければ心は動きません。

 大嫌いなものが ある日突然 大好きに変わったりするものです。

 関心がなければ 関心がないまま過ぎていきます。

 大嫌いだと言うことは 強い関心があるということです。




 だから、自分が大嫌いだというあなた。

 自分を大好きになれる可能性は大いにあります。

 これは あくまで 自分自身の話ね。

 あらゆる事柄に 当てはまるわけではありません。



 自分が好きだから 自分の身に起きた不当なことが許せない!!

 当然です。

 なんとかならなかったのだろうかと過去を悔やむかもしれません。

 でも、どうしようもなかったのです。

 だから、あなたは 甘んじて 大好きな自分を犠牲にした。

 悔しいし、情けないし、もう、嫌で嫌でたまらないかもしれないけれど

 これからの自分のために 過去を過去にしてしまいましょう。

本当は自分が嫌いなのではなく 自分が不本意にしたことが

 不本意にされたことが 嫌なのです。

 大切な自分が ないがしろにされたことが悔しいのです。


 
 本当は 自分が 大好きなんです。

 これからを 愛おしい自分のために生きましょう。

 
 気付いた 今から 始めればいい。


 大嫌いだと思うほど あなたは自分を 愛おしく思っているのです。

 嫌うのはあなたの身に起きた事柄

 あなた自身は愛おしいはず。

 愛おしい自分を 素直に受け入れましょう。

 明日からの 自分のために。

 これからの 自分のために。 

 
 わたしは そうすることに 決めました。

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