|
記事を書かれた精神科医のやんばる先生ご自身はADHDですが ASの患者さんと接して 外側から得た情報をまとめてくださっています。 先生もブログの中でおっしゃっていますが 当事者ではないので内面まではわからないとのことです。 異論もあるかもしれませんが 外側からはこう見えているという参考になると思います。 すべての記事は YANBARU先生のブログからの転載です。 先生も注記していますが すべて自己責任の下に適用してください。 やんばる先生は 地理的に診断してもらうことのできない人や 診断してもらえたものの 否定されて釈然としない人たちの救済のために書かれています。 これまで 転載してきた分のまとめのページです。
ASの自己理解
A(注意集中の特徴)注意集中が自分でコントロールできないことを理解するあなたとあなたのご家族 友人 そして接する多くの人とより良い関係が築けますように・・・
|
ASの自己コーチング
[ リスト | 詳細 ]
ASの自己コーチングはやんばる先生のブログから転載させていただいています。
著作権はやんばる先生にありますのでここからの転載はご遠慮ください。
自己コーチングの総括は「発達障害自己コーチング」にあります。
著作権はやんばる先生にありますのでここからの転載はご遠慮ください。
自己コーチングの総括は「発達障害自己コーチング」にあります。
|
ASの自己コーチングはやんばる先生のブログから転載させていただいています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ASの可能性 ASはASの特性を活かして、多数派に出来ないことを成し遂げる可能性を持っている。
1.過集中による一人の作業の長期間の継続、細やかさ、能率、質の高さ
(研究者、コンピュータ関係技術者、職人、プロのスポーツマンなど)
2.音楽的(絶対音感等)、美術的、詩的文学的感性を活かした芸術的な可能性
(アーチスト、作家など)
3.仲間への面倒見の良さ、義理人情に厚い人柄を活かした社会参加
(老人福祉や障害者福祉関係など)
4.同じ作業をきちんと誤差なく繰り返し遂行する能力を活かして細かな手作業を正確に遂行する可能性 (縫製、電気製品の組み立てなど)
5.利害を超えた正義感を活かして、強い力を持った組織などの不正をを監視する社会的立場
6.「絶対的な利他的奉仕が出来る」特性を活かして、
自己愛やボーダー等の人格障害の人の回復のパートナーとしての可能性
ASの特性をプラスに活かすと多数派には出来ないことが幾つもある。
過集中はADHDと同様であるが、ASのほうが継続性があり、パフォーマンスはむしろ高い。
この可能性を想定することは、生き方を選択する際に必要である。
|
|
ASの自己コーチングはやんばる先生のブログから転載させていただいています。
<感覚過敏・強迫症状・身体症状>
多数派の感覚は、「意味や状況で逆に感度が調節できる」というような特性を持っており、 「自分に関係ない」と思えば聞こえなかったり (実際には耳には入っているが情報として脳の中で小さくなったりして)、 運動会のピストルのように初めから分かっていれば驚かないレベルに調節したりして、 外界からの情報を取捨選択調整するメカニズムが働いていると私は考えている。 これに対しASの感覚の特徴は、全体的に感覚は過敏であるのに加えて、 「興味関心のある情報が増幅される」、「人に関する(特に感情的な)情報が増幅される」ことと、 「取捨選択できないでナマの大きさそのままが入ってくる」と表現できるような特徴がある。 例えば目の前の人と話していて、話題が興味のないことであったとして、 遠くで関係ない人が話していることに興味があったりすると遠くの話し声だけが聞こえたりする。 分かっていても運動会のピストルの音が怖かったり、 車の音などの人工音が極端に気になったりする。 聴覚の他にも、身体全体の触覚 、味覚、嗅覚などは過敏で、 ちょっとした接触でも非常にびっくりしたり、食感で極端な偏食となったりする。 この感覚過敏の延長上に、「強迫症状」がある。入浴や手洗いに非常に時間がかかったりする。 また、これらの感覚過敏や強迫症状の程度は、ストレスによって変動する。 ストレスがかかると、聴覚過敏や体全体のかゆみ、強迫症状などの他、 頭痛や動悸、吐き気、ふらつき等のパニック障害様の症状、 下痢や腹痛などの過敏性腸症候群様の症状も出現するため、 心療内科にはパニック障害や過敏性腸症候群、社会不安障害として受診することも多い。
<しゃべり方、声、文章表現など>
ASの人は積極奇異型や孤立型などの場合、 多数派から見ると「状況に関わりなく、丁寧であるが敬語の使い分けがない」 独特のしゃべり方(教授と呼ばれたり)になることも多い。 話は自分の興味があることの場合には長く、詳細に、聞いているほうの反応に関わりなく続ける。 身振りは少ないことが多い。 文章表現は「非常に簡潔で一行しか書かない」場合と、「非常に詳細で長文になる」場合がある。
<服装や車、持ち物へのこだわり>
ASの人は全く同じデザインの色違いを続けて着たり、白黒だけであったり、 服装のこだわりがある人が多い。 持ち物にも、メーカーやブランドにこだわったり、 多数派には説明しても理解しにくいこだわりが多く見られる。 あなたの生活で上記の説明に当てはまることがありますか? 具体的に書き出してみましょう。 ASの人にとって感覚過敏と強迫症状は非常に切実な問題で、 一般世間での生き辛さの大きな部分を占めている。 特に聴覚過敏と強迫症状はストレスと相関することが多く、 これらの症状の悪化は、本人も周囲の人も、 「現実生活のストレスが大きい状態である」と認識する必要がある。 外見上の特徴は、「風変わり」「個性的」「超然とした」「孤高」等と評されるが、 基本的に丁寧であり、一貫性があるために、「ひとつのスタイル」「個性」として認識されうる。 ただ「自分がこう見られている」ということを理解しておくことは必要だ。 またこれらの表面上の諸特徴には、認知と行動の本質的な特徴が現れていることが多いので、 時々客観的に見直す作業は自分自身に関する気付きにつながる。 信頼できるサポート者に時々印象を聞いてみるのは役に立つことである。
|
|
ASの自己コーチングはやんばる先生のブログから転載させていただいています。 多数派は対人関係を、全体として複数の人で構成される「場」として認識し、 その一要素、一構成員として自分自身や他者を認識する。「場」においては、 自分自身から見て重要な人と重要でない人の序列(立場)があるほか、 「場」全体の中での(雰囲気として察知される)「仕切る人」と「従う人」の序列(立場)もあり、 そういう複雑な関係の絡み合った「場」全体が人間関係となる。 多数派はその中で、自分自身の序列(立場)や、 相手の序列(立場)とを瞬時に直感的に察知して、 基本的に「表立って対立が生じない」ことを重要として対人行動を決める。 従って、多数派は特定の二者関係も、 その他多くの関係の中で「比較的近い相手との二者関係」であり、 言わば重要性は「程度の差」であって、 ある相手との関係が他の一切の関係に優先する「絶対的」であったり、 また逆に「完全に平等」 ということもない。 これに対しASは、直感的な状況認知は多数派と共通するが、 「人への愛着または執着」という大きな特徴があり、 例えば多数派の「序列(立場)」が富士山のようななだらかな程度の差であるとすると、 ASの「序列」は切り立った崖のように ゼロ百の極端な形で愛着の対象である仲間と他人を分ける形になる。 特定の相手との二者関係もやはり極端で、 「お互い理解されるのであれば完全に理解されるしかない」という 非常に厳密な理解と察知を要求することになるので、 結果として「ケースバイケースの適宜の妥協」は困難となり、支配か絶対服従となることが多い。 私はASの人の対人関係のイメージを「オオカミの群れ」という風に想像している。 仲間は徹底的に大事にするが、裏切りは許されない。 また、ASも自分が納得することを大事にし、対立を恐れないので、 多数派の「建前を言って体勢に合わせても対立を避ける」という行動は理解しがたいことが多い。 「程度を弁えない極端な行動」、「自己中心的」、「反省しない」、時には「挑発的」 という反発を食らうこともある。 ASの側から努力するべき点は、 「多数派が集団の「場」での対立を恐れる行動パターンを持っている」ことの理解と、 多数派からの誤解を回避するための予防策だ。 例えば、「重要なことは一対一の場で伝える」などは有効である。 また、「理解」の意味が違うことを理解することも重要だ。 ASの求める「理解」は厳密で、「中途半端では許されない完全な理解」を要求することになってしまうが、 多数派の意味の理解は、ただ「表面上対立していない」というだけの意味であり、 それを(AS的には無意味に見えても)多数派は後生大事にしているのだということを理解する。 もうひとつ、ASは愛着の対象の相手は、 無条件に「自分のことをすべてわかるはず」と前提してしまう傾向があるため、 「基本的に誰であれ、自分でない人は、言葉で説明しなければ分からない」 という単純な真実を繰り返し思い浮かべて確認することも重要だ。 だから、「(自分も相手も)分かるはず」とは決して考えず、 全て言葉で説明してお互いに理解する努力を続けると自分に言い聞かせ続けることが必要である。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
ASの自己コーチングはやんばる先生のブログから転載させていただいています。 多数派は どんな対象に対しても、適当なときにある物事への注意集中を開始し、 適当なときに切り上げ、また適当なときに再開することについて、 まんべんなくコントロールが容易にできる。 逆に、あることに集中していても、 いつでも切り上げられるように「脳の全体を使う」というような集中の状態にはならず、 常に日常生活全体の中で「バランスよく」集中の状態がコントロールされる。 パソコンで言えば「システム全体を調整するプログラムが常駐して、 一つ一つのタスクを適宜コントロールしている」というイメージとなる。 これに対しASは、注意集中も考え方も好みも、 ほとんど全ての認知と行動が「変化に対応できない」特徴を持ち、 それが時として合理的な説明が不可能なことから、「こだわり」と呼ばれることが多い。 パソコンで言えば「一つのタスク、プログラムを立ち上げると、電源を切るまで終了できない」 というような形で融通が利かない。 私はASの人の脳は、「ワーキングメモリが異常に大きい」というイメージで捉えている。 一時に思い浮かべる時間の長さ(未来と過去に数年以上)も、 訴える事柄のディーテイルの細かさも、膨大なメモリが無いと収容できない。 この脳の状態をそのまま実行に移せば、 外からは「異常に融通が利かない」「頑固に状況の変化に抵抗する」「不合理なこだわり」 という印象となり、ここが一番ASの人の理解されにくいところだ。 「物理的社会的に変化の少ない環境に身を置くようにする」という方法しかない。 関心の範囲を思い切って絞り、パソコンで言えばシングルタスク、 プログラムを一つしか使わなくても仕事に支障をきたさないような生き方をする。 例えば研究者や職人、時にはスポーツ選手、アーチストなど、 狭い領域のことしか考えなくてもいいような生き方を出来れば、 ASはむしろ「才能」に転化できると私は考えている。 周囲の人の理解は別にまとめる予定であるが、 周囲からは「こだわりは了解不能でも本人もコントロール出来ないので仕方が無い」と考えるしかない。 本人も好きでこだわっているわけではなく、どうしようもなくこだわりがある。 だから「こだわりから来る本人の人生へのマイナスを最小限にする」ということを 本人も周囲の人も考えていくしかない。 |




