もっと・もっといい『まち』へ! 横井よしたかblog

大治町議会議員 横井良隆のblogです! 47歳議員の七転八起の日常をご紹介いたします。

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今日から2日間の予定で、広島県に「議会広報特別委員会」の研修に行きました。

1日目の今日は広島までの移動が主でした。

名古屋駅から新幹線に乗車し、約2時間半かけて広島入りしました。

雲行きが大変悪く心配していましたが、案の定、広島についてしばらくすると、雨が本降りになりました。

「誰が雨男か?」「もしかして、私?」

広島入りし、議会広報のメンバーとともに、まず原爆ドームへ行き、慰霊に行って来ました。


●原爆ドーム(広島県広島市)

○JR「広島駅」から市内電車「西広島行」「江波行」「宮島行」で「原爆ドーム前」下車
○JR「広島駅」から「吉島営業所行」バスで「平和記念公園」下車

原子爆弾投下の目標となった相生橋の東詰にあたり、南には元安川を挟んで広島平和記念公園が広がっている。
北は相生通りを挟んで広島市民球場と向き合う。
東側約200メートルの位置に、爆心地に比定される島外科(島病院)がある。


原爆ドームは、昭和20年(1945)まで広島県産業奨励館と呼ばれていた。
大正3年(1914)細工町の元安橋の東河畔に、広島県物産陳列館として建築され、大正4年(1915)に開館した。

館の業務は、県内の物産販路開拓や生産品の陳列及び委託販売等であった。
しかし、戦争が激しくなると、産業奨励館の展示も徐々に縮小され、昭和19年(1944)3月31日には館の業務は廃止された。

戦局も悪化した昭和20年(1945)の8月6日、原子爆弾が産業奨励館の東方約150m、高度約580m前後の地点で爆発した。
産業奨励館も爆風と熱線を浴びて大破、全焼したが、建物本体は奇跡的に倒壊を免れた。
当時、この建物内にいた約30名の職員は全員即死した。
(広島県ホームページより)

http://genbaku-dome.com/

戦後、原爆ドームは原爆の惨禍とともに平和を訴えるシンボルとして保存され、昭和42年(1967)と平成元年(1989)には保存修理が行われている。
平成8年(1996)には、厳島神社とともに世界遺産に登録された。


現在、改修工事中でしたが、建物とその周りは、当時のまま残されており、原爆の凄まじい傷跡が確認

することができます。

建物をみていると、非常に心が痛みました。

近くには、数々の慰霊碑が設けられており、みなさんの原爆に対する強い思いを感じました。

原爆ドームの近くには、平和式典が毎年行われる「原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)」や

「平和の灯」、「平和の池」があります。

「原爆の子の像」では、オーストリアの議会議長が、鶴の折り紙を奉納し、平和への祈りを捧げていました。

その後、同じ敷地内にある「広島平和記念資料館」に行ってきました。


●広島平和記念資料館(原爆資料館)

○JR「広島駅」から市内電車「西広島行」「江波行」「宮島行」で「原爆ドーム前」下車
○JR「広島駅」から「吉島営業所行」バスで「平和記念公園」下車

一般50円、小・中・高校生30円
一般30人以上の団体は40円、小・中・高校生20人以上の団体は無料
※8月6日〜8月9日は小・中・高生は無料

1949(昭和24)年広島市中央公民館に「原爆参考資料陳列室」(原爆記念館)が設置され、原爆被災資料の公開展示が始められた。
その後、1955(昭和30)年には、平和記念公園の中に、広島平和記念館と広島平和記念資料館が開館した。
原爆被災に関する資料収集には、市民有志の団体である原爆資料集成後援会(現在の原爆資料保存会)をはじめ、数多くの市民の協力がありました。

2館は開館以来、数度にわたって展示内容の更新や修学旅行などの平和学習の場としての施設整備を行い、1994(平成6)年には2館を一体化した新たな「広島平和記念資料館(東館・西館)」として開館。

東館では、被爆前と被爆後の広島の歴史的事実を踏まえた「広島の歩み」を展示し、西館では、被爆者の遺品や写真など「原爆被害の実相」を展示している。

国内外から年間約140万人の人々が来館しており、展示資料を通して核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けている。

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/


広島平和記念資料館(原爆資料館)では、原子爆弾を広島に落とすことになった経緯や理由などがパネル

とともに当時の写真と紹介されていました。

熱で溶けた腕時計は、8時15分に壊れて止まっていました。

なんとも言えない、「怒り」が込み上げてきました。

また、「黒こげになった弁当箱」や「焼け焦げた学生服」「熱で溶けた一升瓶」など数々の原爆による

遺品が紹介され、極めつけは、当時原爆の被害にあった焼け焦げた死体や風景が実際の写真で出ていました。

「人影の石」では、石段の上に座っていた人の黒い影が残っていました。

その他、ここで書ききれないほどのおびただしい数の遺品や写真、手紙などが展示され、もう涙なしでは

見られませんでした。

今でも原爆の影響を受けて、苦しんでおられる方が全国でもお見えになります。

今では、戦争などはバーチャル化して、何かゲームのような感覚がありますが、本当に戦争は悲惨です。

安っぽく、平和を語りたくありませんが、いつも被害者になるのは弱い立場の方です。

原爆の被害にあった方はすべて戦闘員でしたか。これは、無差別殺戮ではないのですか。

日本は世界唯一の被爆国です。しかし、日本人の崇高な精神で、激しく相手を恨んではいません。

もっと堂々と、核廃絶に向けて声を出していくべきです。

今一度、彼らの犠牲の上にある現在の平和のありがたさを肌身で感じ、真剣に考えるべきではないでしょうか。

今度は家族でもう一度、来たいと思います。

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