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ラグビー日本代表候補の選手が、ドーピング検査で陽性反応を示していたことが判明した。
その原因はなんと、育毛剤。
育毛剤にドーピング検査で陽性が出るとはまったく想像できない。
しかし、育毛、養毛剤の使用でドーピングと認定されたケースは過去にも例があり、注意が必要とされて
いたようだ。
知っていたならば問題だが、知らずであれば、不運この上ない。
再検査も来月あるようなので、陰性の結果を待つしかない。
さて、今日は久々の家族団らん。
ウチでは家族団らんでは、手巻き寿司か鍋と決めているが、今日のメニューは「たこ焼き」。
自分たちで具材を用意し、竹串でつつきながら作る。
子どもは、みんなで作ることが楽しいようで、「こっち、焦げてきたよ」「これ、焼けたんじゃない?」
とおおはしゃぎ。
結構、楽しいですよ。
関西では、一家に一個は必ずあるという、たこ焼き用鉄板。
大学時代には関西出身の友人が多く、よくたこ焼きパーティを行ったものだ。
この際に、たこ焼きの歴史を調べてみた。
●たこ焼きの歴史
たこ焼きの創始者は、会津屋の初代・遠藤留吉である。
1933年(昭和8年)、遠藤はラジオ焼きを改良し、従来のこんにゃくの代わりに醤油味の牛肉を入れて肉焼きとして販売。
1935年(昭和10年)、タコと鶏卵を入れる明石焼に影響を受け、牛肉ではなくタコ・鶏卵を入れるようになり、たこ焼きと名付けた。
会津屋のたこ焼きは粉に味がついているため何もかけずに食べるが、会津屋以外にたこ焼きが広まっていくなか、味に変化をつけたいと考える人々が現れ、当時高級だったソースやマヨネーズがかけられるようになった。
第二次世界大戦前の大阪では、2個で1銭程度の価格で売られていた。
戦後、たこ焼きを販売する者が増え、また週刊誌が大阪らしいものとして紹介したことで普及が加速し、1955年には大阪市内でたこ焼き店が5000軒はあるという説が出るほど一般化した。
その頃は10円で4個から6個という価格であった。
当時はタコをかなり細かく刻んで入れていたため、「たこ燒きの たこらしいのが齒にあたり」(梅柿)という川柳も残されている。
1960年代中頃には、関東地方でも屋台での販売が見られるようになる。
東京・銀座では生地にエビのすり身を入れたたこ焼きの屋台が独特の風味で人気を博した。
1990年代中盤から、京たこをはじめとするチェーン店のたこ焼き店が、渋谷センター街などの都内に数多く進出した。
また、近畿地方以外にも展開するたこ焼きチェーン店が増加し、築地銀だこのように全国展開するチェーンも現れている。
あるお店では、チリソースやチーズを乗せたものなど、バラエティも増えてきた。
先日は、中身に牛肉を入れたものもあった。
牛肉入れたらたこ焼きではないやろ!と突っ込みたくなった(笑)
家族でも食べ方が分かれた。
マヨネーズを付けるのは家族一緒だが、私は醤油。他は、ソース。
みんなはどっち派なのかな??
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