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今日から5月。サクラも降り注ぐ太陽を大きく迎えるように青々と葉っぱが天を仰ぐ。
初夏の香りが漂っている。
本日、あるところに要請に出かけた。対応した方がそれぞれ、「先生」と声を掛ける。
正直、先生と呼ばれることは好きではない。医者や教諭なら話は分かるが。
「議員を殺すにゃ刃物はいらぬ。先生、先生とおだてりゃいい」と元大臣の言葉。
議員は議員であって、先生と呼ばれるものではないと常日頃から考えているが、過去に「先生は止めて下
さい」と言ったところ、「人のために尽くす人を先生と呼んで、何が悪い!」と逆に叱責されたこともある。
「う〜ん」 まだまだ私は尽くしたりないと実感している。
「議員を殺すにゃ…」から始まる言葉はこれだけではなく、たくさんあるようだ。
岐阜県選出の大野伴睦代議士の義理人情に厚い性格から引用した言葉がある。
「伴睦殺すにゃ刃物はいらぬ、大義大義と云えばよい」というものだ。
また、「政治は義理と人情だ」「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」など
の格言を残したことでも知られる。
他にも、大野の在宅時に自宅に泥棒が入った際、外遊のために用意していた金を渡し、「今これだけしか
ないが、もっといるのか?」と聞いた。泥棒は大野の思いもよらない対応に呑まれ、逆に「これから一生
懸命働いて、必ずこのお金をお返しに来ます」とまで言った。
また、事務所に全く見知らぬ青年が駆け込んできて「お金を貸してください」と言ってきたとき、大野は
全く疑いもせず快くお金を貸したこともあったとされる。
以上のような態度・対応をとったのは、政治家のところに泥棒に入ったり金を借りにくるのはよほど困っ
たことがあったのだから、できるだけのことをしてやろうという考え方があったではないかといわれてい
る。(ウィキペディアより)
なんと豪胆な対応か。時代が違うにせよ、こんな発想は思いもつかない。
昔に比べ、政治家も繊細となったが、国民も繊細になったのであろう。
逆にこんな豪胆さが、現在求められているのではなだろうか。
しかし、豪胆に出れば言葉尻を取られ、マスコミなど周りから袋叩きにあう。
もう少し、心のゆとりがあってもいいのではないだろうか。
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