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この時期になると、新聞やテレビでは連日、先の戦争についての体験談などが語られる。
今年で戦後70年を迎える節目の年として、自分で考えることが大切である。
あま市在住の80代の方に戦争当時の話を聞いた。
当時は、小学生だったAさん。
5人兄弟の真ん中として生まれ、学校を終えると農作業に勤しんだ。
特にサツマイモつくりに精を出し、せっせと作業をしていると、空襲警報が遠くから聞こえた。
空を見ると、米軍の艦載機が飛んで行くのが見えた。
あま市には陸軍の飛行場があったため、そこを狙われたのだろう。
しばらくすると、その飛行場がある方向から煙が出るのが見えた。
軍服を着た大人がドラム缶を乗せた大八車を引きながら、慌てて逃げてきた。
服はボロボロ。顔は真っ黒。白目が怖いほど目立っていたことに恐怖を感じた。
続いて、下士官らしい兵隊が着いてきた。ひとりは体の左の部分が真っ黒にやけどをしていた。
「水はないか、水!」と別の兵隊が、大声で周りに声をかけていた。
以前にも書いたが、あま市からも名古屋城が焼けるのが見えたらしい。
子どもながらにショックだったと話をしていた。
戦後、貧しい生活を余儀なくされた。冬の寒さは厳しく辛かったと手をこすっていた。
一番上のお兄さんは、軍需工場で働いていた。空襲を受け、同級生が多数死亡したと言っていた。
そのお兄さんは、九死に一生を得て、家に帰ることができた。
しかし、亡くなった同級生の顔を今でも忘れれないという。
機会があれば、いろいろと体験談を聞いてみたい。
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