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【写真】10月の歴史講座。たくさんの人が集まる。関心の高さがうかがえる。
大治町の主催で、先月から始まった歴史講座。本日、第3回目が開催された。
多くの方々の参加があり、大治町の歴史探索の人気の高さがうかがえる。
テーマ/新川開削普請と尾張藩給人飯田源一郎家の由緒(1)
―江戸時代前期の大治の村々―
講 師/中部大学教授 篠宮雄二氏
による講演であった。
江戸時代の大治町は、1軒あたりの石高が、平均10石程度あり、農村地域として栄えていた。
「寛文村々覚書」によると、西条村と花常村に蔵屋敷があったという。
おそらく、西條は、恒川家の蔵が、これにあたるのではないか、と推察する。
意外だが、大治には柿屋敷として、柿がよく栽培され、尾張藩主に納められていたことの記述もあった。
東海道の脇街道で栄えた「佐屋街道」が存在し、砂子村や万場村が人馬を提供する役を引き受けていた。
以前に話をした砂子の「馬捨場」という地名も、この伝馬役に関係しているのではないか、と思われる。
海東郡(今の海部郡)と呼ばれたこの時代、中川区である服部村・万場村も海東郡だった。
その後、どうして海部郡に加入しなかったのかが疑問である。
おそらく、政治的な決断があったことは想像できるが、どういった背景で行われたのか興味がわくところ
である。
歴史はおもしろい。現代では想像できないことが行われていたこともあり、逆にまったく今の生活と変わ
らないこともあって、そのギャップがおもしろい。
想像すれば想像するほど、過去にタイムスリップすることができる。
歴史は、何か疑問を持って調査することにより、いろいろと解明し、納得できることが醍醐味である。
わが街の歴史を理解することによって、新たなまちづくりのヒントになることのワクワク感がたまらな
い。
また、二週間後に開催される予定である。今からとても楽しみである。
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