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大治町をもっとアピールしてほしい…。女性からの話である。
いろいろと紹介したいが、調べ切れていない内容もあるので、今日は、佐屋街道について書きたいと思
う。
佐屋街道は、江戸時代に東海道の脇街道として栄えた道である。
桑名から宮(名古屋市熱田区)の9里(36km)を結ぶ道である。
大治町の街道道は、西條から砂子を通り、岩塚へ抜ける道である。
古い人に聞いてみると、戦前は、この街道沿いに松の木がずっと植わっていたようだ。
また、今と道幅も当時とほとんど変わらず、人力車で荷物を運んでいたという。
話を聞いた高齢の方も子どものころ、父親にお使いを言われ、早朝にきゅうりをいっぱい積んで、運んだ
と言っていた。
●佐屋街道
佐屋街道は、寛永3年(1626年)と11年(1634年)の三大将軍徳川家光の通行を契機として整備が進められた。
寛文6年(1666年)には幕府の道中奉行が管理する官道に指定された。この街道は、熱田(宮)宿と桑名宿を結ぶ七里の渡しの風雨による欠航や、船酔いを嫌う多くの旅人が行き交い、東海道の脇往還として非常に賑わっていた。
商用や社寺参りの人々、参勤交代の大名行列、さらにはオランダ商館のシーボルトや十四代将軍家茂、明治天皇もこの道を通行している。永年にわたり日本の幹線道路網の一部を担ってきたこの街道も、明治5年(1872年)の熱田と前ヶ須新田(現弥富市)を結ぶ新道の開通によりその役目を終え、現在では地域の幹線道路として親しまれている。
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