|
6日目。 レンタカーの返却期限は今日の昼過ぎ。 西へ約200マイルのアルバカーキまでのドライブです。 朝、コーヒーとドーナツを調達して、走行開始。 途中高速を降りて、旧道を少し走ってみました。 もうこの道ともお別れか、と写真を一枚。 どこまでも、いつもでも、走っていたい、 なんて思ったりして・・・ 昼過ぎ、無事空港に到着。 6日間でだいたい2000キロくらい走ったと思います。 空港で一人、祝杯をあげました。 下の3冊の本は今回の旅に持参したものです。 "Road Trip USA” これは、私にとって2レーンハイウエイの旅のバイブル これを読むと、アメリカをドライブしたくなります。 "Route 66 Traveler's Guide" これは消えかかっている66をたどるのに詳しい情報が入っていて、 とても重宝しました。 "The Grapes of Wrath" スタインベックの名作『怒りの葡萄』。1930年代のルート66が出てきます。 今回も充実のドライブ旅行でした。 またいつか、ここに来て見たいですね、 次はカミさんや子供も誘って。
|
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
5日目(2011年2月21日) 朝イチは、必ずボンジョヴィのロストハイウェイをかけます。 この歌自体は、過去を振り切って、ハイウエイを突っ走る・・・という感じの歌(多分) だと思いますが、 一人で古いハイウエイをたどる旅になんとなくあっているような気がして・・・ 少し旧道を走るとテキサス州の州境に差し掛かりました。 怒りの葡萄のJoad家のアルやトムが、オクラホマを出発して おんぼろトラックのエンジンを気にしながら走っているシーンが浮かんできます。 家族を失い、仲間と離れながら、夢のカリフォルニアを目指す、 ルート66はマザーロード。 昼は、テキサス州アマリロのビッグ・テキサン・ステーキ・ランチで。 パワーのある看板。闘志に火がつきます。 72オンスのステーキを制限時間で食べるとただになる、とのこと。 テーブルに置かれているペーパーマットには、 “Beef Capital of the World” (世界の牛肉の都)と、大きなことが書かれています。 周りを見回すと、 テキサス・ブロンコの名をもつテリーファンク・ドリーファンク兄弟か、 あるいは、 ウエスタン・ラリアートのスタン・ハンセン、 はたまた、 マスクを脱いだミルマスカラス、 みたいな人ばかり。 力道山の国から来たものとして、この闘い、逃げるわけにはいきません。 (ていうか、なんの闘い?) 若いころだったら、当然72オンスに挑戦していたところですが、 約半世紀を生きてきて、多少大人になった私は、 24オンス(約800グラムくらいだそうです)で我慢します。 マッシュルームのソテーだけでおなかいっぱいになりそうだったのですが、 とにかく30分かけて、この勝負、勝ちました。 (・・・だから、なんの勝負?) 自分史上、最大・最強のステーキでした。 食後、Palo Duro キャニオンに立ち寄り。 西部劇では、こういう景色の中で襲われるんですよね・・・ さらに、西へ向かいます。 キャデラック・ランチが見えました。 だれが、なんのためにやったのか、という質問は無意味です。 ただただ、赤茶けたテキサスの大地に突き刺さる 10台のキャデラックは美しかった・・・ この日は、Tucumcari(ニューメキシコ州)という街まで走って、 古いモーテルに宿を確保。 メキシコ料理とテキーラサンライズで、この日は締めました。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
4日目 朝、ウィル・ロジャース記念館に立ち寄る。 チェロキー族の血をひき、カウボーイ、ボードビリアン、映画俳優、著作家・・・ 多様な顔を持ち、皆に愛されたオクラホマの息子ウィル・ロジャースの生涯が ジオラマや古い映像、ポスターなどで語られています。 1時間くらいゆっくりと見てしまいました。 しかし、こんなに道草食ってると、目的地アルバカーキまでたどり着けるんだろうか? タイムリミットは6日目の午後3時(レンタカーの返却期限)。実質あと2日しかありません。 ルート66を西へ少し急ぎます。 古いロードサイドカフェで、ランチ。 BBQブリスケット・サブ+チリコンカーン。文句なしにうまし! ↑↓街道沿いにはこういう小さな町が点在していて ぶらタモリ気分で、 西部開拓時代や1900年代に鉱山でにぎわったころを想像してしまいます。 今日はエルクシティというテキサス州一歩手前の町で宿を確保。 日曜夜なのでレストランもパブも開いていません。 今日はビール抜きかぁ。 ちょっとさびしい気分を、この夕焼けがなぐさめてくれました。 |
|
ゲリーおじさんたちと別れたあとの半日は、 タイムマシンで時間旅行をしているかのようでした。 というか、1960年代前半生まれの自分が、いかにアメリカの映画、音楽、小説、商品、 音楽、スポーツ、ポップカルチャーに影響を受けて育ってきたのか、 改めて気づかされます。 もしかしたら、身体と頭の半分以上はアメリカでできている、といってもよいくらいかも。 パリス・スプリングス・ジャンクションがタイムマシンのスイッチで ルート66を旅しながら、自分の中のアメリカのイメージをさかのぼっている、 そんな気分がしました。 イーグルス、ブルーススプリングスティーン、ザ・バンド、風とともに去りぬ、エデンの東、シェーン、駅馬車、イージーライダー、オズの魔法使い、名犬ラッシー、大草原の小さな家、パリ・テキサス、ボブディラン、スタンドバイミー、ヘミングウエイ、スタインベック、フォークナー、ハンバーガー、ジーンズ、植草甚一、片岡義男、藤原新也のエッセイの中のアメリカ、村上春樹、サリンジャー、ロバートBパーカー、カート・ボネガット、レイモンドチャンドラー、エドマクベイン、ミッキースピレイン、ポパイ(雑誌の)、ジャニスジョプリン、ベーブルース、フィールドオブドリームス・・・アメリカの(イメージの)ごった煮の中で自分が作られてきたんだと気づきます。 あのころは将来自分が海外で働くなんて夢にも思っていなかったし、米国をドライブ旅行したいなんていうのも、大リーガーになりたいと思うのと同じくらい非現実的な夢だった気がします。 ちょっと感傷的に聞こえるかもしれませんね。 ノスタルジアにひたるというのとは少し違って、 なんというか、 自分ってこういうものを見たり、読んだり、聞いたりしながら出来上がってきたんだなあ と改めて発見する、というような感じです。 あのころこんな映画を見たなあ、こんな本をよく読んでいたなあ、 いまは付き合いのない友人とビール飲みながらあんな話をしたなあ、とか、 運転しながらそんな些細なことが蘇ってきます。 仕事でいそがしいときには、思い出しもしなかったのですが。 3日目の午後、出会ったものの一部を紹介します。 (↑有名なアーティストが古い建物を敷地内に移築して集めた不思議な空間) やっぱりちょっと、感傷的かなあ・・・ 最後の写真は、一番最初のルート66が地表に現れている部分なのですが、 すれ違う車もなく、パンクだけはしないでくれ、と祈るように凸凹道を走りました。
|
|
3日目。 朝、町をジョギングしていると、ハモンズ・フィールドという素敵な野球場を見つけた。 カージナルスのダブルAチームのホームグランドのようである。 夏の夜、ここに近隣の人々が集まって、地元のマイナーリーグのチームを応援する ざわめきが聴こえるよう。 いつか、暖かい季節に、アメリカの野球場を訪ねる旅をしたい、と思う。 スプリングフィールドの町をあとにして、ルート66をさらに西へ。 Paris Spring Junction という、地図にも出ていない場所で、素敵な老夫婦に出会う。 Route Beer 66という看板に誘われて(というか、お手洗いに行きたかったし・・) ふらりと立ち寄ったら、 おばあさんが近所の古い建物について、写真集を見せながら 丁寧に説明をしてくれる。 (↑こんなトラックで、『怒りの葡萄』のジョードファミリーはカリフォルニアを目指したのかも) そのうち、ご主人(ゲリーさん)も出てきて、ゆっくりと1時間近くも話し込んでしまう。 これが1920年代の建物で、とか、この橋はこの先の道をこう行くんだ、とか 子供のころの貧しい暮らしの話とか、16歳で結婚して50年だよとか、 お互いの子供の話とか、 アンティークカーのコレクションの話とか、 17回も来た日本人のとってもいい友達がいるんだとか・・・話は尽きない。 帰り際に、おばあさんが、ルートビアを持たせてくれた。お金はいらないという。 ルート66のルートビアの栓を開け、ぐびりと飲みながら、古い道を走る。 風が気持ちいい ようやくミズーリ州を抜け、カンサス、そしてオクラホマへと旅は続く・・・
|


