起業や開業するのに完璧なプランが出来たら踏み出すなんて考えてたら、永遠に踏み出せない。

この記事に

開く コメント(0)

日本人です

日本人として堪え難い反日キリスト教に我慢の限界です。

平和主義の原則が、反日とは、聖書に書いてありません。

バカらしい!

この記事に

開く コメント(0)

個人事業主であれ法人の代表であれ、経営してる、事業をしてる事に違いはない。
 
個人事業主だが、税務署に提出した開業届の代表者欄には自分の氏名が書いてある。私が自分の名前を記入して提出した。
 
書類上は自分の事業所の代表者だが、変化は徐々に起きてくる。最初は殆ど開業前と変わらないし、ものの見方や考え方も変わらない。
 
開業当初は、先輩経営者たちが嫌味なエリートに見えた。彼等は自信家であり自分を信じており、自分には根拠が解らなかった。
 
新しい機械を導入する際や、片道1時間程度の仕入れや下見の際は、友人に頼んで横に座ってもらった。体力的に心配だったのもあるが、一人で運搬できるかと言う不安もあった。
 
不安は現実ではない。実際には、行きも帰りも体調不良にならなかった。現実の事象と心の中の出来事は一致してない。
 
昨年夏に導入した機械は40kgに満たないが、友人に手伝ってもらって運搬し、作業台に乗せてもらった。
 
持ち上がらない訳ではない、出来ない言い訳として「自分は障害や病気持ちで治療中だ、だから友人の応援が欠かせない」と実に身勝手で怠惰な他者依存の正当化を謀る不届き者だったからだ。
 
自分が抱く心配の多くはアテにならない。他者に抱かれる心配も大抵は現実にならない。仕事に当てはめれば「リスクを回避して石橋を渡らず向こう側にも行かない」事に等しい。
 
今年の3月に新しい旋盤を導入したが、これが本体だけで110kgと重い。購入した時は販売店の人と2人で積んだが、帰宅してからの荷降ろしや仕事場への搬入も組み立ても設置も全て一人でこなした。
 
車の荷室から110kgの機会を引き摺り下ろす訳にはいかない。重量級とは言え、ミクロン精度の機械は扱いに丁寧さと慎重さを必要とする。
 
専用スタンド込みで100kgくらいだと思って買ったが、実際は本体のみで100kgを超えていた。思った以上に重いと感じたが、当然である。
 
見かねた母が妹に連絡したが、妹は「業者に依頼したらいい」と言ってきた。妹も忙しく、夫婦で駆け付けて手伝うと言っても、110kgの機械の搬入なんぞは明らかに重労働と分かっているから当然と言えば当然である。
 
機械本体を荷室の床から浮かせられるまで持ち上げるのが最初の工程となり、次はウッドブロックの台に乗せる。持ち上げようとしたら持ち上がった。そのままユックリと引き摺らずウッドブロックに乗せられた。
 
自分は、この重量(110kg)までは持ち上げられると分かった。そこから先は古代から使われている台座(板)と丸棒(コロ)を使った方法で、仕事場の入口まで移動した。
 
仕事場の入口まで運んでも、室内に入れるには40cmの段差(高低差)があるが、これも古代の手法を応用してクリアー出来た。
 
専用スタンドを取り付けるにも調整するにもいつもの作業台に乗せる工程がある。高低差70cmと今回の帰宅後の作業では、最も標高差のある作業でもある。
 
ウッドブロック→椅子→汎用台を古代の手法の応用で経由させ作業台に乗せられた。
 
本体部を作業台から少し出っ張らせると専用スタンドを取り付けるのに丁度いい高さになった。1つ30kgの鋳鉄製の専用スタンドを左右に取り付けた。
 
これで終わりではない、この機械には拡張機能があり、延長ベッドを取り付ければ、長尺加工や直径80cmまでの大径加工が出来る。
 
ツールレストや付属品に至るまで、全体的に重くて大きい。一通りの組み立てや組み付けを終えると総重量は200kg近い。
 
それを使いやすい場所に持ち上げるようにして、少し引き摺りながら移動して仮設置した。
 
もし、110kgの重量を知った時点で業者に依頼したら未だに110kgを持ち上がられる自分も、それを古代の手法と応用法で運んで設置出来る自分の能力に気付かず、知る事もなかった。
 
自分の回復や体力や能力を低くみなし、病気や障害を盾にして「出来ない言い訳」を続けさせる口実を作る事にもなった。
 
「今まで、こんな作業を1人でやった事がない、110kgの本体部だけでも動かせないだろう、車庫から仕事場まで運ぶ以前に手の着けようがない」
 
110kgの機械だが、多分持ち上がるという自信があったが、試す意味も含めてやったら出来た。
 
心配するのが常だった頃のモチベーションやメンタルでは、ウン十万円の機械を導入することすら出来なかった。
 
設備投資したところで、その機械を使って、投資額を補てん出来るだけの仕事が来る保証はない。
 
前に導入した機械では加工に限界を感じていたが、その機械の6倍近い価格の高級機を導入した。
 
依頼してきた客に「機械が対応できない」と断ったら気分を悪くされても当然である。
 
それでもプロなのか?業者なのか?と問われ「投資しても回収できる保証がないから導入しない、十分な回収が見込まれ、保証が担保されたら導入する」と言ったら大抵は「こんなにやる気がないのでは頼まない」と口にしなくても思われ頼まれなくなる。
 
もし、相手が経営者だったら「この人・・・趣味でやってればいい、事業じゃない」と口に出さなくても離れてしまう。
 
出来るか出来ないか?難しそうなら問題を分割して何工程かに分けて処理する。
 
回収出来る保証も担保されてないが、保証が担保されるのを待ってる間に依頼が来ても対応できないならチャンスを逃がす。1回の加工作業で機械1台分には遠く及ばない。
 
数百円を数千回こなせば回収できるが、それまで待たせる事になり、それも、数千個の予約受付が完了してから生産開始。オマケニ代金先払いでは即断られる。木の加工品の予約表は出資証明書とは違う。
 
 

この記事に

開く コメント(0)


あまり知られてないが「エシカルビジネス」と言うのがある。

エシカル○○には種類が多くあり、衣料品から建築材まで幅広く存在する。

食品を例にあげると、多くの人が当たり前のように口に出来るチョコレートも、カカ オ豆の産地での過酷な労働環境で、家畜のように酷使されている人々の労働によって 支えれている。

必要最低限の水と食べ物を与えられ、逃げたくても逃げられない囲いの中の家畜のよ うな状況下の人々、逃げたら家族に損害が及ぶので逃げられない人々、過酷で無賃金 か、超が付くほど低賃金な労働者の存在など、殆どの人は考えないで商品を買ってい る。

「どうやって、こんなに安く作るのか?」「どこでコストを安くしてるのか?」と思 う様な品物が市場に溢れてる。

機械化して大量生産すれば安くなるが、その前に莫大な設備投資が要る。機械化によ る量産に向かない物もある。

それなのに安い物があり、市場での割合も少なくない。奴隷や家畜扱いの労働によっ て安く提供されている事を考えれば肯ける。

家具の多くが木製だが、原産地の地域住民や生態系を無視した乱開発や、無秩序な伐 採で材料は大量に入手できる。

伐採や運搬は人手が必要になるが、そこでも家畜や奴隷のような労働者が酷使されて いるので、安さを保てる。犠牲になるのは貧困層や途上国の人々が多い。

彼等の多くが読み書きが出来ないので、職に就くのも難しく、学ぶ機会すら少ない。 口減らしのために売られる子供もいる。

やり方が悪質でも、そんな悪質な業者が利益を上げて成長してる。需要があれば悪質 でも業者(企業)は商品やサービスを提供し利益を得られる。

人を家畜や奴隷扱いしなくても、安くするために有毒な化学物質を使うのは珍しくな い。マーガリンは有害性が発覚し、製造禁止してる国もある。

労働者に対しても消費者に対しても、倫理や道徳を持って商品やサービスを提供する のがエシカル○○です。専門家ではないけれど、この方針に賛同し、自分の工房にも 採り入れたい。

「有害物質を含んでるけれど、すぐには影響ないから食器として出荷しちゃえ」「労 働者を家畜や奴隷扱いしてる業者が大元だから、そこから安く仕入れて安く売る」な んて事はしたくない。

自分なりに考えると、エシカル○○の提供する物やサービスは、不当な搾取、詐取や 汚染物質や環境破壊を排除しようと言う商いです。

この記事に

開く コメント(0)

4月の福島での経験と招いてくれた人との出会いが、考え方や感じ方まで変わる引き金となった。

多くの人との関係性に変化が現れているが、私の周りが変わったのではなく、私の見方や感じ方が変わった。

姉ちゃんを招くには銭が必須であるが、これを否定する者とは関わりたくない。銭は即ち経済であるが、貨幣経済に時代に銭なくして生活は成り立たない。

守銭奴ど揶揄されても構わない。揶揄するなら無銭生活して貨幣経済も勤労も否定して慈善事業でも起こすがいい。

しかし、世の中には、理不尽に、不正に、不当に、虐げられたり貧窮させられてる人もいる。

自分自身が貧しい個人事業者であり、事業を起こした者でもあるが、姉ちゃんを迎えると言う現実を目前にして色々と考えさせられる。過去に同棲はあるが、これほどまでに真剣な同棲はなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=pG...

何をするにも銭がいる。住む場所を借りるにも、インフラを使うにも銭がいる。しかし、銭を借りるに借りられない人もいるし、いつそうなるかも判らない。

慈善事業ではない、個人の普通の営みをする事すら難しい人もいる。その基礎を得るのも難しい状況の人もいる。

慈善的基金は、多分、そんな状況下でも普通の生き方や幸せを求める、向上心のある人のために設立されたのであろう。

偽りの慈善や福祉のように、人々を買い殺し「愚かなカモメ」にするなんぞは論外である。

売上の一部を慈善事業に充てる起業があるが、全面的に売名行為とは思えなくなってきた。自分自身の事業所は、まだ投資額に相応しい収益を得ておらず余裕はない。

しかし、自分が貧窮しつつも「貧窮して窃盗や詐欺」に走らず過ごせているのは、公的セーフティーネットや友の支えが大きい。

自分自身の経済規模は有って無しに等しいくらい小さいが、小さな者同士のネットワークも存在する。もし、このネットワークを構成する経済規模が大きければ、動画サイトにあるような業が出来る。

自分も金持ちや国家の慈善事業や施しを受けて生かされている側面がある。半分以上が施しによるものと言っても過言ではない。

善や慈善をなしたい思いが種なら、水や光の刺激を受けて芽を出す。発芽して育つには養分が欠かせないが、それは、同じ時代を生きる隣人や、先に存在した者が労して築いたものに他ならない。

自分が周囲の他者から施しを受けて生きてこられたのだから、立てるようになった時や、倒れて再び立ち直った時は、それらの経験を踏まえて「慈善的金」の意味を理解し始めると思う。

https://www.youtube.com/watch?v=pG...

この記事に

開く コメント(0)

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事