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その後氏が体調を崩されたため その運用は長らく途絶えていましたが、 友人が発起人となり 私を含めた有志によって今年復元いたしました。 もしご興味がある方は ご覧ください 以上、お知らせでした。
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炭鉱のおはなし
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国内の炭鉱は、 '80年代には無くなってしまったものだと思っていたが、 国内最後の炭鉱が閉山したのは、 21世紀に入ってからのことだそうだ。 <<参考>> *池島炭鉱 <長崎県>:2001.11閉山 *太平洋炭礦<北海道>:2002.01閉山 知人は、 故郷の炭鉱が閉山する一か月前に 小・中学の同級生とともに、 長崎県の池島を訪ねたそうだ。 炭鉱というところは、 従業員に仕事だけでなく、 住まいや娯楽設備まで 会社が提供するケースが多いという。 ことに池島炭鉱は、 海水を真水にかえる設備や発電所を保有し 本来行政がやるべき上下水や電気それに病院までも 炭鉱側が提供していたのだそうだ。 また、 島には炭鉱以外の産業がないそうで、 炭鉱が閉山する一ヶ月後には 炭鉱マン達は職も住まいもなくし、 あげく住み慣れた土地を離れなくてはならないという 私にはちょっと想像しがたい状況があったようだ。 知人は、 島に残り炭鉱マンとして働いている 同級生が思いの外多く驚いたそうだ。 そのうちの一人と、 同行した同級生の女性らとともに 島の公共施設で会った時のこと。 折角遠いところから 来てもらったのに 悪いんだけど、 明日また早いんで 夜まではつき合えない という炭鉱マンに 知人はこっちの勝手な感傷で 来ているようなものだから、 こうやって会ってもらっていること事態 申し訳ないという思いで 気はつかわないでくれ、 いつものように働きに出てほしい といったそうだ。 その淡々とした 男同士のやりとりが 同行した同級生の女性には もどかしかったらしい。 女性は、 一ヶ月後には職と住居をなくし、 やがて島を離れなくてはならない 炭鉱マンの身を案じていることを あれこれ言い始めたそうだ。 そして、 知人は言わないように気をつけていた言葉を 女性が発してしまいハッとしたという。 幸いすぐに平静を装ってくれたのでよかったが その時まで穏やかだった 炭鉱マンの顔が一瞬こわばったそうだ。 あのな、 今の俺たちに 『大変ね』と『頑張って』は、 禁句だぞ。 女性は 心配して言ったのに怒られ、 意味が分からず 口をポカンと開けたそうだ。 知人からも 本当に大変な時に 『大変だね』とか 『お気の毒に』とか言うもんじゃないと 言われたものだから、 女性は益々困惑したという。 本当に大変な時に大変だねとか言われたら 本当に大変な目に会っているんだと思い知らされて 嫌気もさすし惨めになるだけだ。 頑張ってなんて、 そんなこと言われなくても 炭鉱マンは分かっているのだ。 俺たちは 炭鉱の閉山の日まで、 淡々と仕事をしようと みんなで話しよる。 女性の親切心で言った言葉は、 全て炭鉱マンに否定されてしまった。 困ったことがあったら なんとかするけんって 言うばってん(言うけど) お前には何もできんって 安心感をあたえようとする言葉も 根拠がなければ不快なだけだ。 言われるだけ言われても 女性が逆切れしなかったのは、 事態が呑み込めずとも 同級生の炭鉱マンの行く末を 本当に案じていたからだろう。 また、 炭鉱マンが語気を荒げず それらを淡々と話していたのは、 女性が身を案じてくれていることが 炭鉱マンにも痛いほど分かっていたからだろう… そして、 だから辛かったんだろうな と知人は加えた。
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青春の門 と言われることに 抵抗があるのだそうだ。 あれは福岡の炭鉱で 私は長崎の離島の炭鉱… そう言うと年配の人の中には ああ、 ええ〜と、 戦艦だか軍艦だか… という人もいるらしい。 ああ、軍艦島。 端島のことをですか? かつて長崎には、 県内のあちこちの島に炭鉱があったそうだが 長崎県の離島の炭鉱というと端島 という人も多いそうだ。 いえ、 私の出身は端島では ないんですけどね 知人は長崎県の端島炭鉱とはべつの、 池島という炭鉱の島の出身だそうだ。 あっちのほうが有名ですからね でも端島をよくご存知でしたね。 おぼろげな記憶から端島炭鉱を 思い出そうとしてくれるわけだから "長崎の離島の炭鉱=端島"には そう抵抗はないらしい。 知人は、 炭鉱の出身といっても、 炭鉱で働いたことがなく 小中学時代を過ごしただけだから 偉そうに言うのも変だがと断った上で "青春の門"は 名作ゆえに仕方ないが 名作だけにやっかいなんだ 私が育った炭鉱は、 あんな任侠の世界みたいじゃなかったし あんな男に都合のいい女もいなかったと思うよ。 知人はそう言って笑った。 青春の門の舞台のように 国内の炭鉱は戦前生まれが多いが、 知人が育った炭鉱は国内では珍しく 戦後生まれの炭鉱だったそうだ。 だから、よその炭鉱のように 朝鮮人や中国人の強制労働の歴史はないし、 それ以前の囚人を強制労働させた歴史もない。 一に高島、二に崎戸、三に端島の地獄島 (いずれも長崎県にあった炭鉱の島の名前) と言われたような過酷な労働を強いた歴史も 納屋制度という封建的な雇用形態の歴史もないという。 また、労使協調路線とやらで、 青春の門にも描かれたような 激しい労使紛争もなかったそうだ。 よく、炭鉱を紹介したwebサイトなどで 炭鉱マンの家を"炭住"なんて言っているが、 当人たちは一般の会社と同じように "社宅"と呼んでいたという。 また、彼の出身地の炭鉱は、 多くの人が連想するような長屋ではなく 鉄筋四〜五階建てのアパートだったそうだ。 昭和四十年頃で比較したら 東京より上下水道が整備されていたんじゃないかな。 なんでも、 その当時から既にトイレの水洗化率は 90パーセントを超えていたそうである。 炭鉱と一口にいっても 地域や歴史的な背景によって それぞれ違うのだから、 炭鉱というだけで"青春の門"と ひとくくりにされては 叶わんという思いがあるのだろう。 知人は、氏の育った炭鉱が閉山になる時に、 ある新聞社の取材を受けたことがあるそうだ。 その時も 取材申し込みに来た新聞記者が、 上司のデスクに 青春の門の憧れだけで取材をするな 普通の会社の倒産だと思って取材をしろ と釘を刺されたというから 受けたのだそうだ。 なんでも、 かつてその上司も 若い頃に"青春の門"への憧れだけで 別の炭鉱の閉山を取材したことがあったようで。 その時に味わった、 小説と実際の炭鉱があまりにも違う 驚きと戸惑った経験から 新聞記者に苦言を呈したようである。 だが知人は、 炭鉱の出身なの!? お〜青春の門だね は、 まだいい方なのかもしれない とも言うのだ。 知人ら島の同級生は 炭鉱が閉山する少し前に 同窓会を開いたそうだ。 幹事の一人が ある地方の医者の家に嫁いだ 同級生に電話を入れた時のこと 電話口に出たその女性は 同窓会には出たいし みんなにも会いたいけど… 私が炭鉱の出身だと 親戚・縁者にバレると 私も主人の立場も困るんで もう、 手紙も電話も 一切よこさないでほしい と、電話を切ったそうである。 僕らは、 戦後生まれの炭鉱で育ったせいか そんな意識はないんだけどね。 いろいろみたいよ 炭鉱と一口でいっても… 知人は、
寂しそうに語った。 |
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そんな風には思えないけどな |
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