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先日図書館で借りてきた本を読んでいたら、桜の話題がちょっと出てきた。
その、ほんの一文で、ふと、お花見の時のことを思い出して、しばらくぼんやりしてしまった。
毎年恒例で、弘前城へ夜桜を見に行く。
いつも夜桜なのは・・・昼間よりまだしも人出が少なかろうということと
仕事が終わってからでもなんとかギリギリ(?)間に合うから
桜の時期を逃さず見ることができる、という理由。
昼間よりは少ない、とはいえ、けっこう人はたくさんいるのだが
桜のトンネルと呼ばれるあたりや、ほかにも、それほど人が密集していない場所はある。
連れに手を引かれて、てくてく歩く。
ちょうどこちらの花見の頃は、半月で、天を覆うように咲き誇る桜の花の間から月が見えたりして
そんな眺めに、ぼ〜っと気をとられながら、私はひたすら上を見上げたまま歩く。
いつもは何も考えていなかったけれど
今年、ふと、いつものように桜を見上げて歩きながら
「なんて贅沢なんだろう」
と思ったのだ。
そんなに桜に集中して(しかもひたすら見上げている状態で)
ずーっとてくてく歩き続け、移り変わる桜の眺めを堪能する。
そんな事・・・たとえば一人で歩いていては、こうはいかない。
(人や物にぶつかったりコケたりしそうだし、危険だ。)
たとえば友人と歩いていたとしても、これはムリだ。
(友人といたら、無言というわけにもいくまい。)
私が、景色に集中していて、ずーっと無口でいても平気で
ほっといていてくれる(正確には手を引いているのだけれど)
しかも、ゆっくりと、しかし、足がもつれない程度の速度で歩いていてくれて
「この眺めをじっと見てたい」
と思って私が足を止めると、そのまま無言で待っていてくれて。
贅沢な、お花見散歩だな〜と、つくづく思ったのだ。
それに気づいたら、なんだかありがたくて、涙が沸いてきてちょっとこまった。
見上げていたから、かろうじてこぼれない程度にガマンできたけれど。
そういえば、去年あたりからだったろうか。
私は桜を写メに撮らなくなった。
特に理由はないけれど。
写真を撮ろうと意気込んでいないと、かえって桜に集中できて、良いものだ。
ぐっと、心にその眺めが刻み込まれる。
それは特に意識していなかった事だったのだけれど・・・
今年、桜を眺めながら歩いていて、ある枝垂れ桜に目がとまり
立ち止まって見上げて、つくづくと
「綺麗だなあ・・・」と堪能していると
『ありがとう』と聞こえてきた。
「え・・・?」
『じっと見つめてくれて、ありがとう。綺麗と思ってくれて、ありがとう。』と。
桜が、話しかけてきてくれたのだ。
「いえいえ、こちらこそ、こんなに素敵に咲いたところを見せていただいてありがとう。
でも・・・どうして桜さんが私に『ありがとう』なんですか???」
『私たちは、あなたたちに見て、よろこんでいただけるのが嬉しいのです。
「綺麗」と思ってよろこんで見ていただけると、わたしたちも元気になれる。
近頃はみなさん、それほどじっくりは、わたしたちを見てくれていません。
撮影をすることに夢中で。直接にはあまり、見ていてくれないのです。
それは・・・わたしたちにとって、すこし、かなしいことなのです。
あなたはしっかりと見て、よろこんでくださった。それがとても嬉しかったのです。』
なるほど。
早速連れに話すと、案の定、笑われたけれど、まあそれは想定内(苦笑)
それよりも・・・
草木が、話しかけると元気になるとかは、わりと聞くけれど
人が実際見て、綺麗だなって思ったり、喜んだりすることが
彼ら(草木)の元気の糧になってるとは・・・
っていうよりも、木に話しかけられる私って一体・・・(汗)
まあそれだけ無心に無防備に無邪気に、桜を堪能していたのであろう。
そのような事があって、今年の桜はいつも以上に
なにやら感慨深いものとなったのだった。
読書中の本の一文で、夜桜の眺めをありありと思い出してしまったのは
たぶん、先月お花見したばかりというせいばかりではないと思う。
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