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開かない扉
寧々房の、小説の小部屋。開かない扉は覗いてみたい。けれども開けようがない、まだ。

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   二. いざない・・・ 1 
 
  『木のむらへ ようこそ』と書かれた白いゲートをくぐってしばらくすると、直線だった道が急に曲がりくねった道の連続になる。なだらかな山裾に沿うように、右へ左へとくねった。川に架かった短い橋を渡るとすぐにまた、大きく左に曲がる。そしてまた右に曲がると、とある工務店の白い瀟洒な建物が現れた。
 川沿いを走る道はどんどん山に向かっていく。やがて低い山に囲まれて、空が次第に狭くなってくる。
 カヤはこの先の状況が知りたくなった。山裾の家は途切れ途切れで、人に聞きたくても、歩いている人もいない。ともかく誰かに聞くしかないわけで、その事務所横の駐車場に、ハンドルを左に切って車を入れた。ペンキ塗りの白いドアを開けると、中には事務の女ひとりしかいなかった。
 「突然お邪魔して、失礼いたします」
 と言うと、小太りで、たっぷりの茶色い髪の毛を肩までたらした女が目を細めて近づいてきた。
 「あのう、家を探しに来たのですが、初めてなのでこの先がどうなっているのか不安になりまして・・・」
 「あらまあ、よくいらっしゃいました。それはそうですよね、この先は山ばっかりですから」
 女は、あははと声を出して笑うと、カウンター越しに目だけを動かすと、カヤを上から下までなぞった。
 「家と言っても、借家でいいんです」
 「借家ねえ。え〜と、あんまりないのよねこの辺。この先に一軒いい家があるんだけど、そこはまず無理だから。う〜ん、今日はもう遅いでしょ。でも、せっかく来たんだから、その家のある「宿」という信号の右と左にお寺と神社があるから、挨拶して行ったら。ついでに、その手前のコンビニに、この土地の人よりここを詳しい、喫茶店をやってるよその人が描いた地図があるから、それを貰っていくといいですよ」
 言いなれているのか、女はすらすら言うと、暇をもてあましているのだろう、立ち入ったことまで聞いてきそうな空気が芬々である。カヤは丁重に礼を言うと、急くように事務所の外に出た。他の従業員は出払っているのか、
留守を守っている女は格好の話し相手があっけなく消えたので、間が抜けた顔で見送った。
 コンビニはすぐにあった。町の中心からふたつ目の信号に。
 なるほど、B4のコピー用紙両面いっぱいにこと細かく描かれたその地図は、実に良く描かれていた。土地の人間には当たり前すぎて気づかない美しい景色や、花の群生地や店の紹介など、気の利いた文章の吹き出し付きで紹介している。この土地への思いが伝わってくる。 
 右下には、その主の連絡先が書いてあった。
 
 コンビニから800メートル先の信号「宿」に、カヤは立っていた。
 「宿」というからにはかつて、ここがこの土地の中心をなしていたことは想像がつく。しかし角に一軒、骨董屋というには距離がある古道具屋こそあったが、6月の青い空の下に人影はなく、乾いた光景としか形容のしようがない。
  交差点というより、十字路が似合う。骨董屋まがいの店の前は250坪ほどの更地で、その奥の工務店が駐車場として管理しているが、土地の祭りの広場も兼ねていて、当日は屋台が出たりして賑わいを見せるのだと後に知る。
 別の一角は元旅館であったがその風情は今はなく、入り口の一枚ガラスの引き戸に書かれた臼井旅館という白い文字と、奥行きのある建物の形態はそれらしくもあるにはあったが、今は家族だけが生活しているに過ぎなかった。
 古道具屋は、雑然とした店であった。古物を扱うゆえのそれは仕方がないにしろ、またその雑然さが人を呼ぶにしろ、カヤにはこの場所には相応しくないと僭越にも思えてならなかった。店の顔にはオーナーの顔が見えるというもので、案の定、その後彼女との確執が生まれるのであった。
 
 さて、残りの一角にあるのが、工務店の事務員が教えてくれた最初から借りるのは無理だと言われた家である。なるほど、そう言われるだけの家であった。この家がもしなかったら、門前町、宿場町として栄えた往時の面影は皆無と言ってもいいだろう。 
 しかし、そこにはまるで人の気配が感じられない。
 屋敷の表側を二分する庄屋門がある。たいそうな家であるにもかかわらず、家の顔である表側の中は廃墟も同然。それでも彼女がこの家に魅力を感じたのは、二階も含めたこの家を印象付ける千本格子があったからで、格子戸の間から中の一部を見ることができる。横に6間ほどの奥行きのない土間があり、その奥には何年も張り替えていないであろう障子戸がぴしゃりと閉められていた。手前には、埃を被った火鉢や竹製の鳥籠やら鍋やら、古い道具が転がっている。
 門左の小さな二階家は、恐らく昔の門番のための建物だろう。ガラス戸からは中が丸見えで、どう見ても、とても人が住める状態ではなかった。
 なぜこの「宿」十字路がこの家が、この有様なのか。屋敷の左手は寺に続く坂道で、駅からは6キロほど離れているため車こそ通るが、秩父の山に通じる道に比べ、屋敷の前の道は山で行き止まりで、その数は比ではない。山からの霊気めいたものが感じられるも、麓の「宿」の空気は停滞していた。屋敷の真向かいにはうらびれた廃屋が2軒あり、かつての旧家であっても、ものの哀れを感じないわけにはいかなかった。
 この家を生き返らせなければ・・・。と、カヤはなぜか不意に思った。
 それだけの価値は十分にある家だと。
 
 その家宮倉家が10ヵ月後に、古民家ギャラリー「寧々房」として暖簾を出せることになるわけだが、初めて立ったこの場所で、ここだわ、ここしかないわと思ったことは事実。というより、思わされたのかもしれない。そう思うのは、その後何か行動を起こすにつけ、その頭に「なぜか」というクエスチョンが付いて回るのだから。
 それは、人には決して明確な説明ができない「なぜか」である。
 
 すでに陽は落ちかけていた。
 カヤは事務所の女が言っていた寺と神社に行かなければと、屋敷の前の寺に通じる坂道に車を走らせた。
 坂の入り口にある女人堂を過ぎると、山道である。右へ左へと、道は大きくうねる。標高463mの、歩いても登れる山である。いくつかの民家を左に見るだけで、すぐにむせるような緑に囲まれる。6月の夕暮れ時、濃さを増す一歩手前の山の緑は葉擦れさえなく、深としていた。
 気持ちが良い。
 道の両脇に桜の樹が枝を広げている。艶々とした笹の葉のような葉が裾山肌を覆っている。4月から6月まで怪しいまでも美しく群生する、姫シャガであった。都会から程近いのに、こんな所があるなんてと、気持ちが何ともほぐれてくる。加えて、その日の行脚の疲れが飛んでいることにも気づく。
 
 寺は千三百年余の古刹で、札所。国宝を擁す文化の宝庫と謳う看板が道々いたるところにある。この町の“顔”がこの寺というわけだ。
 しかし、初めて訪れた彼女には、何か腑に落ちない。釈然としないまま参道を歩いてみる。これが本堂の玄関かと思うほど、寺としての空気感に違和感がわく。挨拶をと言われて来はしたが、その対象が寺のどこにあるのかが分からなかった。本堂横の庫裏と思われる建物は、ごく一般の民家同然。参道横、手の届く所には物干し竿が2本あって、洗濯物こそなかったが、恐らく晴れた日中には干されるであろうことが見て取れる。
 ただ、山岳寺院の広い境内のそこかしこにある、石碑であったり陶板であったりの般若心経に遭遇するたびに、体がざわざわと粟立って仕方がなかった。
 それは、この先彼女に起きることを暗示させるようなことであったかも知れない。
 がその時は、そんなことに気づくまでもなく、ただこの山の、かつて一大修験場の霊山であった空気に触れたと思ったに過ぎなかった。
 けれども、確信めいたものは感じていた。ああこれは、この土地に呼ばれたのかもしれない、と。
 そこでカヤは、空海書とされる拡大陶板の般若心経の前で手を合わせたものの、頭の中はただ漠然として、思考はそれ以上は動かなかった。
 
 
 2日後、カヤは 再びその町を訪ねた。
 町の広報を引き受けた感の、手描きの地図の喫茶店のマスターには、電話でコンタクトを取っていた。
 家探しの問い合わせに慣れているのだろう、マスターは物腰柔らかく対応してくれた。
 カヤは運転しながら、ひたすら「いい出会いがありますように」と、また般若心経を唱えながらその土地に向かった。向かうにも、別のコースを選んでみたものの心は既に決まっていて、周辺を一応知っておかなければと考えての行動で。
 鎌北湖という信号につられ、その湖に寄ってみた。
 微動だにしない湖面。翡翠色を濃くしたその湖水には、枯れ葉やぺットボトルが浮いていた。休日は開くのか、と思えるようなレストラン。心も、微動だにしない。
 どの道も、初めて通る道。途中、『新しき村』と書かれた小さな白い看板が目に入る。 「武者小路実篤記念・新しき村美術館」のことで、まさかここに、という思いで立ち寄ってみる。
 人は文学によって、少なからずの浪漫と幻想を抱く。心は豊かでも、貧しくも清貧な生き方を求めたのが『新しき村』。県道から奥まった道伝いの先に、その村はあった。
 入り口に、鳥居のように小さな門がある。生活感がないわけではない。たまたま人がいないだけなのだろうか。
 円を描くように小さな家が数件建っている。作物を売るらしき直売所にも人はいなかった。健康そうな卵が売っている。その外で、数羽の鶏がコッココッコと鳴いては土をついばんでいた。
 「ここでは、私は暮らせない・・・」。カヤの、心の呟きである。
 
 「コーヒーをください」
 カヤはカウンターの、3つの丸椅子のひとつに座った。
 「はあい」 
 やせた髭のマスターは、狭いカウンターの中で背中を見せてコーヒーを淹れはじめた。するとそこへ、
 「俺、この土地のもんなんだけど、この店に一度も入ったことないんだけどさ、今日はなんだかコーヒーが飲み  たくってさ。俺にも、コーヒーね」
 と言いながら、ひとりの白いワイシャツ姿の男が入ってきて、カヤの隣の椅子に座る。
 「あのう、失礼ですが、お話しさせていただいても、よろしいですか?」
 カヤは、自分でも驚くくらいの反応でそう言っていた。
 「ああ、いいよ」
 この返事にも、驚く。 
 「借家を探しに来た、坂村と申します。車の中で、この土地の方と、いい出会いがありますようにと念じながら来 たのですが、そのお相手と思ってもよろしいでしょうか?」
 「いいですよ」
 何だろう、この展開は。初対面の相手が、気安く応えてくれる。カヤでなくとも、そう思わない方が不思議だ。
 「家か・・・、ちょっと待ってよ」
 胸ポケットから携帯電話を取り出すと、どこかにかける。カヤは、気持ちが浮わついてくる。
 「あ、宇井さん? 守山だけど。今さあ、家を探してる人が来てるんだけど、お宅の裏の家、見せてもいいかな。
 あ、そう。じゃあ、これから行くから。あ、いいよ。外から見るだけだから。じゃあね、よろしく」
 相手は留守だと言う。
 「でっかい家があるんですよ。その親戚が今管理しているんだけど留守だから、見るだけでも行ってみます   か?」 
 「はい! 行きます。ありがとうございます!」
 念ずれば通ずか。いきなりこれでは、足までも浮き立つ。
 「すぐ近くですよ」
 守山は、この近隣地区の観光会社の営業マンである。喫茶店の先にある寺へ、観光ツアーの話をしに行く途中であった。
 守山の営業車に乗せてもらい、5分後には着いていた。
 川の畔である。管理を任されている宇井の家の裏に、こんな大きな家がと驚く。初代村長の家だと言う。恐らく、大正時代の建物だろう。井戸があり、石灯篭がある。入り口は、土間。中座敷、奥座敷があり、太い梁が縦横に走る天井は、高かった。手を入れれば日本家屋の素晴らしさが甦るだろう。しかし店として構えるには、決して好適な場所ではない。ましてや、歳老いた母親とのふたり暮らしでは、持て余すどころか、家の再生にかかる費用を考えると、それ以上の思考はするだけ無駄であった。しかも田舎の空き家というものは、中は空では決してないのだから。
 けれども何とも不可解な因縁が、しばらくたったその後起きるのであった。宇井家との、間に・・・。
 
 2杯目のコーヒーをカヤは注文した。守山との出会いも、思えば奇遇である。
 髭のマスターとしばし話をしたのち、1日目に行きそびれていた寺と対になる社歴1200年余の神社に挨拶をし、里山に続く手前の道々を走ってみたものの、見知らぬ土地での家探しは、一長一短ではないことを思い知る。
 
 宮倉家の前に立ってみた。
 先ずは、この家が借りられるのかが先決であった。
 宮倉家は、この町きっての旧家である。それが今この状況なのには訳があることを後に知るが、何事も良くも悪くも、そうあるにはそれなりの理由があるもので、この威風堂々たる屋敷がなぜにこうも荒れているのかが彼女の知りたいところだが、まずは家主に会うことを考えなければならなかった。
 家主は、普段はいない。いるのは、土曜の夜と日曜のみ。まだ現役で働いていて、勤め先が東京であるために、首都圏郊外に別に家を持っていた。50歳後半ではあるが、妻帯はしていない。
 氏子神社の例大祭には必ず在宅するという情報を得て、カヤはその日を待った。
 
 家主・宮倉は偏屈な男だと聞いている。学生時代は文武両道だったとも聞く。間に彼を知る誰かに入ってもらわなければ、会える相手ではなさそうに思えた。
 幸いにも程なくして、顔見知りができた。
 「宿」十字路の一角ともいえる家の70半ばの夫妻の妻・ミヨが、母親好乃と同県人というよしみから、幾ばくかの情報を提供してくれるようになった。そんな中、この夫婦の家の真向かいの家の主とカヤに接点があることがことが分かり、この町3回目の訪れですぐに会うことができた。
 
 よくあることで、世間は広いようで狭いというまさにそんな話である。
 その浪川夫妻の夫がこの町生まれで、高齢の母親が介護施設に入居していることから毎週末東京から足繁く通っている。その妻・陽子がとても気さくで、カヤ母娘と連れの友人夫妻を家に上げ、茶菓子でもてなしてくれた。話し好きのおっとりとした、育ちのよさがにじみ出た女性である。
 聞けば、カヤの住んでいたマンションから車で10分のところに住んでいて、何と、マンション名まで知っていたのには驚きのひと言。しかもである、連れの夫妻の妻と同郷で、そのうえ菩提寺までが同じであることには、居合わせた5人がともに驚かずにはいられなかった。
 そんなことから、この夫婦と急接近できたのも何かの縁に違いないと、家主との間に入ってもらうには浪川夫妻と決めたカヤであった。
 
 
つづく
 
 
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