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開かない扉
寧々房の、小説の小部屋。開かない扉は覗いてみたい。けれども開けようがない、まだ。

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三、因習と風土 
 
 4トントラックいっぱいの荷物を、店となる宮倉家とこれからの生活をスタートさせる片平家のふた手に分けて収めると、いよいよ覚悟の田舎暮らしが始まる。
 宮倉家は平成17年当時で築160年余の、この地域では堂々の古民家である。大学時代を県外で過ごした宮倉が週末だけではあるがこの町に帰って来るのは、両親が亡くなり、その介護をひとりで担った姉が他界してしまったからであった。その間屋敷は、徐々に傷みが進んでいた。店として借りることができた母屋の表側と2階家は、借りた時点で40年は使われていなかった部分で、独り者の宮倉には手に負えなかったに違いない。2階家は人に貸して、塾を開いていた時期もあったと聞く。それからどのくらい経ったかは知らないが、その荒れようは酷いのひと言に尽きた。それでも宮倉は、そこかしこの修繕はした。母屋の瓦を葺き替えたり、格子戸を新しくしたりと。カヤが入ってからもそれは続いたが、元門番の家は依然そのままで、人で例えれば、満身創痍。
 使わないにしろ、人に貸すことを長い間しなかったのは、面倒なのと、やはり旧家のプライドがそうさせたのか。旧家は何かとややこしく、実に難儀なものに違いない。
 そんな事情など知らぬが仏の怖いもの知らずのカヤは、さしたる苦労もなく借りられたことに、あっさりと喜んだだけだったが、良く考えて、大家である宮倉の人柄を知れば、借りることはなかったかもと考える。
 言えることはまず、車が足のこの地域で店などという商売を始めるというのに、この家には駐車するスペースがない。構えが構えだけに敷居が高く、地元民はもとより、そこには気軽さが乏しかった。家の存在感は大きくても、人の通いが長くなければ家は生きていないも同然。旧家ならではのバリアめいたものに覆われている。
 かつては、この宮倉家の息がかかってない家はないくらいだと言われていても、それがどの程度のものかカヤにはさっぱり分からない。
 知らないことは恐ろしいことで、カヤはそれからさまざまなことで宮倉との確執で、必要以上の苦労をする羽目になってしまうのであった。 
 
 2軒の借家からの、スタート。先ずは自分のこだわりの範囲にしつらえることから始める。借りてしまえば、中身は自分の世界。自由にできる。その自由さは肉体労働を伴うもので、カヤは夢中でそれをした。それも苦労だが、しなくて良いと思うような苦労は、苦労として本物ではないのである。
 
 大工と建具職人が入って相応のリフォームをしてくれる宮倉家はまだしも、築40年は経っているであろう片平家は、あるがままでいいことを条件に借りた手前、大家として水周りの水道の蛇口を替えたくらいで、あとは一切何もしようとはしなかった。
 カヤはこの家の様子を話すとき、冗談めいて「まるで煮しめたような家よ」と言って相手を笑わせていたが、実際は事務所然とした部屋で観光事業を営んでいたとかで、裕福な家ではあったらしい。トイレとバスルームは比較的現代風にリフォームされていた。でなければ借りるのを決断せず、いまだうろうろと家探しをしていたかもしれない。カヤは、人一倍神経質である。栃木県益子町、群馬県北橘村(当時)、埼玉県川越市、富士見市と、川越を除いてはどれも古く、彼女が入ったあと、その前を知る人の口からは、「これがあの家? 同じ家が、こうも変わるのね」と、一様に言われたものだった。
 この町で借りることができた2軒は、ともにいわく事情のある家で、何かと彼女の頭痛の種にもなる。当初の予想外なとは言うものの、人生の思わぬ展開からの目下の彼女には、借りられたことだけでも深く感謝の念を心に刻むしかなかった。
 
 田舎で借家探しなど、都会にいればちょっとした贅沢で、セカンドハウスが持ちたいなどと中高年になれば誰しも一度くらいは考えるだろう。しかし実際は、そう簡単なものではない。今の時代、過疎の町には思いがけない空き家が結構あるもので、あるにはあるが表向きはないに等しい。要するに、誰もその実態を掌握していないのだ。したがって情報は、自分で得るしかない。
 彼女が運良くこの片平家を知ったのは、この土地に来た当初知り合った、お年寄りのミヨからであった。
 大所帯に嫁に来たミヨは大変な苦労人であったが、親しくなれたのは、出身が母・好乃と同県人であることが心をほどいてくれたのかもしれない。
  
 この土地を訪れるたびにカヤは毎回ミヨを訪ね、かつて酒屋を営んでいたという店先の前で立ち話をするようになった。
 ミヨの先祖は新潟の出であったが、ミヨはこの土地の山奥で生まれ、「宿」の酒屋に嫁いだ。大所帯で商いをしている家に“手”として嫁がされた彼女の苦労話はその都度聞かされることになるのだが、それによれば夫の女狂いに始まり、姑小姑との悲惨な確執が待っていたとかで、まさしく聞くも涙の話であった。
 店の間口は狭いが、京都の町屋のように奥行きがあった。しかし時代とともに酒屋を維持できなくなったのか、店の棚には時代がかった陶器の酒瓶が幾つも並んでいるだけで、それだけが当時を偲ばせてくれている。
 ミヨの声は低く、顔はいつも物哀しそうであったが、いつも手先が器用なことを自慢していた。働き盛りだった若い頃は針仕事に精を出し、身の回りのほとんどは自前だったという。実際器用に作られた巾着をふたつほど「やるよ」と手渡され、今でも手元にある。確かに手の込んだ、性分がにじみ出たきっちりした作りであった。
 
 そんな話を聞かされた数度目に、ミヨから情報が提供された。
 「貸してくれるかどうかは、わからないよ。ただ、空き家ってことだけは教えてやるよ」
 店となる宮倉家から半径3キロ以内で、とにかく家を見つけたかった。歩いたり、車で走ったりで東奔西走したが、思うような物件は見当たらず、というより、外から来た人間にこの土地の誰もがそうたやすく情報をもたらしてはくれないわけで、もたらしたとしても、それ以上の関わりは持とうとしないのが常。ミヨもその域は出ず、情報提供しただけにすぎなかった。思えば、浪川夫妻が宮倉との間に結果入れなかったのは、入れなかったのではなく、入らなかったのだろう・・・。
  カヤは、聞いたその足で、心躍る気持ちでその家を確かめに行った。 
 
 宮倉家から歩いて5分のところにその家は位置していた。
 借りるに当たって店を構える宮倉家に近いことは最良の条件であったし、加えて工房となる部屋があることを考えれば、もう、この家しかないと思った。
 大家・片平との交渉は、直談判。幸い隣家のすこぶる人のいい家人から家の間取りと電話番号を知ることができたことから、交渉は電話から始まった。
 
 留守が多かった。というより、年老いた耳の遠い父親が留守番では用はなさず、根気よく電話をするしかなく、それでも彼女の熱意が通じたのか、ようやく話をすることができたのは4度目で、駒がやっと動き出したという感が否めなかった。
 田舎の人に限ったことではないが、職業が公務員であるとそれがステータスなのか、やたら自慢する人がいる。この大家もそのひとりで、隣町の役場の水道課課長であることを自慢した。その妻はカヤが借りた家に乳飲み子のときに養女として入っている。子宝に恵まれなかった裕福な夫婦に。養女であることを物心ついてから知ったとかで、それに反発したらしく、長男の嫁になることに固執して、片平家に嫁いだという。どんな葛藤があったのは想像の域を出ないが、恐らく家族愛が持てなかったのだろうと思える。なぜなら残された物、家具や着物など一切に目もくれないで放置しているのだから。
 しかし皮肉にも、いずれゴミ扱いされてしまうであろう納戸や倉庫で埃を被っていた古きよき時代の物が、カヤの手で生かされるなんて、誰が考えただろうか。 彼女にしてみれば厄介な大家にしても、それを考えると少しは幸いした。そのくらいはあってもいいだろうと、ついぞ思うカヤがいた。
 
 車を運転中の相手であることを全く意に介せず長話しをされたカヤは、これから向かう新天地に、とりあえず逼迫した現状からの脱出を果たせたと思える希望があった。にもかかわらず、片平からの電話には、暗雲が垂れてくるのが見えた気がした。
 実際これからの先々で、どこか偏屈さを感じさせる、いわば寂しい人という形容をかぶせるようになってしまう。
 大家の2軒ともが、同じようにとは何という因果だろう。
 これはいったい、何を意味するのか。試練・・・。必要な、与えられた、それ、か?
 
 何はともあれ、2軒の家を借りることになってカヤ母娘の生活が始まったわけで、まずは片平家を坂村家に模様替えするのに1ヶ月を要した。冬である。動くのは、カヤしかいない。煮しめたような家とはよく言ったものと、言った本人が笑うほどの家は、手をかけてもそうは変わらないだろうと思った。いや変わるだろう、お金さえかければ。これまでの家には、要らぬお金をかけてきた。それらはすべて、捨て金になってしまった。
 一種潔癖症に近い彼女は、他人が触ったものはできるだけ排除したい。けれども、ものには限度があるくらいの認識はあるので、要は、気の済むまでということだ。とにかく、表面は自分の手でなどることをしないではいられない。さりとて、それをしたからといって所詮借家である。彼女の色に見せかけるだけの、こと。
 
 大家は水回りの蛇口だけを交換しただけで、あとは一切何もしようとせず、しなくて済むのなら貸してもいいと算段したのだろう。
 カヤにはそのとき、この老朽化した家の先を読む余裕がなかった。2軒合わせての6万の家賃は東京では比較にならない額で、あくまでも仮の住まいと考えていた。しかしそれは、思いのほか長引いてしまうのだが。
 
 このときの彼女は、この町での暮らしのおおよそは知らないに等しかった。
 まず驚いたのは、越してきて10日目くらいだろうか、地元神社の氏子になるなどという認識は皆無で、ただひたすら家の片づけに追われていたときに突然見も知らずの男が現れると、いきなり氏子が引き受ける輪番制の役員を申し渡すではないか。こうした地方には隣組制度があって、何かと関わりが付いて回る。都会人には理解しがたい暮らしがあり、それが田舎と都会のギャップになっている。
 説明があればまだしも、突然の仰せである。面識があるのは隣の麻生と組長の佐々木だけの、彼女にしてみれば、山王祭やら例大祭やら言われても、何のことかさっぱり理解できない。それでも麻生に聞いてみると、前年は麻生が務めたばかりで、要は、たまたま引っ越してきた早々に次の順番が回ってきたというわけだ。組長の佐々木に同じ組内を戸別に歩いて紹介されたとしても、越してきたばかりの者にいきなり役員を課すなんて・・・。それを、若干疑問視する人物がいてくれたことは唯一救いであったが、つまり、誰もが役員などしたくはなく、1年でも2年でも先送りにしたい。そこに新参者が来れば、やれこれで厄介事が先になったと、気休めに思うのだろう。
 
 その後やっとの思いで2年間の勤めを果たし終えてほっとしたときのこと、その開放感を味わう間もなく、さらにあと2年の役目があると聞いて、カヤは組長に手紙を書いて、組を退いた。なぜなら、旧態依然とした地方の隣組制度に疑問を持ったからで、その見直しを提案してのそれだった。その制度はこと細かく分かれていて、それぞれが毎年何かの役目を担っている。それをスリム化することで、役目から解放される年を生む。誰しもが、それを望んでいることは明白にもかかわらず、提案する者はいなかった。
 
 2年間に葬儀が3度あり、家が建ったり、孫が生まれたり結婚したり、はたまた怪我をしたりでも祝儀不祝儀金が徴収される。面識もない人たちへのそれには、心が伴っていないとカヤは思う。郷に入れば郷に従うであるにせよ、よそから来た者を “入り者(もん)” と言って、死ぬまでよそ者扱いするこの土地柄に、彼女は少なからず反発したのである。村から町になり、人口流失に歯止めをかけるための政策に、都会からの移住者に隣組制度の説明を呼びかけても、実際はその動きは見られない。
 言ってみれば、関心がないのだ。何事にも・・・。
 田舎の現状というものはなかなかしぶとくて、中に入ったとしても、それぞれの土地の因習に馴染むには長い時間が必要だということだけが身に沁みて、住むならば、その流れに身を任せるしかないことに気づくしかないのである。
 カヤは心に決めた。淡々と、わが道を進むしかないと・・・。
 
 
 つづく
 
 
ここでまた、閉じさせていただきます。
この先の、この土地での田舎暮らしは、前途多難か、はたまた前途洋々か。。
 
終わってみなければ、分かりまへん(笑)。
 
 
 
 
 
 
 

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    誠に因習の住処ですな田舎は!

    [ ドリカム ]

    2015/1/3(土) 午後 2:48

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    ありがとう、丸ちゃん。

    元校正マンも、すっかり加齢現象です。
    校正は“眼”を変えないと、見落としがちになりまする。><
    そのお眼々で、よろしく〜〜〜!(*^-^*)

    [ neibo3698 ]

    2015/1/3(土) 午後 3:00

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    追伸

    私に代わって、祈願成就お参りしてきてくれたかや?
    ロトばっかしじゃ、ダメダメよ〜ん。あはは

    [ neibo3698 ]

    2015/1/3(土) 午後 3:03

neibo3698
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