|
四 仏さまの縁(えにし)・・・ 1
冷静に、カヤがいくら淡々と構えていても、世間の流れは決して単純ではない。大波小波のざぶざぶである。
女ひとりで歩む人生には、女ならではの苦労がつきもので、その苦労の仕掛け人の多くは男によるもので占めている。9年で6回の引っ越しの、どれもにそれが言えた。主に金銭的なそれだが、個人であれ業者であれ、女の足元を見る不理不尽なことを平然とする。カヤはそのたびに嫌悪を覚えるが、それが世間だと思い知るしかない。新しい土地に来れば、新しい相手。手口はどれもが同じだった。
何はともあれ、東京でのちっぽけなマンションを手放し、2軒合わせての家賃が、5度目の引越し先5LDK1戸建ての半分にも満たないことは、まずは経済的余裕を与えられることになる。店の開業は、4月である。収入はそれまで望めない。蓄えの半分は開業資金で消えている。
そう、逼迫感・・・。あるにはある。しかし本当のところ、それほどのことはなかった。彼女の持ち前の性格は前向きの楽天家ゆえ、なぜか店「寧々房」はきっとうまくいく、そう思っていた。まあ、何事も、始めるときは誰しもそうである。希望的観測の元で始められなければ、いくら間違った認識があろうとも、スタートは切れまい。
しかし、商売とはそんなに甘いものではなく、ましてや過疎化手前のこの町で、商才に長けているわけでもない彼女に何ができるだろう。うまくいく・・・、それはただ漠然とした思いに過ぎない。世の中は常に動いているのだから。善くも・・・、悪くも・・・。
カヤは、物事をあまり深く考えないタチである。その分反応が早く、行動を起こすのに多くの時間を要せず、まずは直感ありき。というと軽佻で短絡的かと思う向きもあるだろうが、それを完全に否定することはできないにせよ、それがあるからこそ彼女の素早い行動があるわけで、閃きこそが彼女の原動力と思える。
セレンディピティ・・・。閃きを得て、本来の探し物以上の探し物を見つける一種才能のようなもの。そして、幸福を得る・・・。
この土地この町、この家・宮倉家の前に初めて立ったとき、彼女にその才能があったとしても、本人の意識にそれがあったかどうかだ。
インストール・・・。頭の中につらつらと、この町のあるべき姿が勝手に刷り込まされたような気がしている、だけで。
その内容が何かと言えば、まずこの宮倉家の“顔”をきれいにすること。 店「寧々房」に置く自作陶仏には、きっと意味があるに違いない。ここ『宿』の十字路を、かつてこの土地の中心地だった頃の門前町に近づけたい。関東最古の、千三百年余の古刹の入り口として恥ずかしくない風景を取り戻すのだ。心が荒みつつあるこの時代に、都会から近い、残された価値ある田舎として上手にアピールしたい。やがてはこの町に、多くの人が心と体を癒しに訪れるだろう・・・、と。
具体的に言えば、店の対面にある完全なる廃墟を撤去して、そこに千本格子戸の古民家仕立て2階家の茶店を建てる。里山トレッキングコースの充実をさらに広げ、休憩処を提供する。2階には“哲学カフェ”と簡易宿泊部屋も造り、心が折れた人を迎え入れて話を聴く。その相手は、信頼できるリタイヤ後の政治家などのボランティアだ。スペースがあれば、多目的ホールも造りたい。などなど考えていると、カヤは楽しくて眠れなくなる。
荒唐無稽な話だと、笑われた。夢で、終わるとも。
そう言われてもカヤの熱さは冷めることもなく、そんな客や取り巻きたちは、自然に淘汰されて行くのであった。けれども、彼女の話は単に一方通行だけではなく、元気と癒しを与え、またそれが返ってくるという循環も生まれてくるのであった。
まずやるべきことは、片平家に自分の息を吹き込むこと。
それに丸1ヶ月かかった。荷物が多いうえ、無類のきれい好きな陶芸家はできるだけ自分流にすることに手を抜きたくはなかった。
とはいえ11月。師走目前。新しい土地に慣れることや、好乃のデイサービスの手続きやらで日は暮れて、あっという間に年末が来て、正月が来る。
正月が終われば、次は気合いを入れての宮倉家が待っている。
7月半ばに宮倉家を借りられることになってから、カヤが越してくるまでに3ヶ月余を費やした。自宅兼工房となる物件探しに予想以上の時間を要したことと、見つかったら見つかったで、契約に手こずったからである。
10月に入ると宮倉は、店として使う、いわば廃墟と化しつつあった2階家のリフォームに入ってくれた。宮倉はあらかじめ希望を聞いてくれたし、自宅の一部、しかも屋敷の表側とあって厳しい制約もつけたが、ベース部分は快く直してくれる好意を見せた。旧家である。お抱えの大工と建具職人がいる。
その大工が、仮にカヤがこの家に入ることがなかったとしたら、恐らく、2年もしないうちにこの家は倒れていただろうと言った。その根拠は門と反対側の雨風に曝された土壁の下3分の1が柱ごと腐っていたからで、カヤは、何というタイミングだろうと思った。これも出合いの妙か?・・・と。
元門番の家の1階は、畳敷きの6畳ひと間であった。黒那智石だろうと思える小石をセメントに埋め込んだ狭いたたきを上がると、目の前は間仕切りの壁。それは、取る。煮炊きしたであろう小さな囲炉裏も、取る。畳も取って板敷きにする。とはカヤの希望。ここはどうする、こっちはどうだ、2階は?と宮倉は、ありがたいことに、当初カヤの意見を尊重してくれるのであった。
古民家のリフォームは、埃との格闘である。ましてや土壁を壊すとなると、もうもうと砂塵のごとく埃まみれとなる。畳をはがして床板が新調される。甕が埋められた厠は洋式トイレに変えてくれ、半間ほど増築してガス台と流し台も備えてくれた。
10月末日に越してきた彼女が片平家をきれいにするのと平行して、カヤとカヤの作品の新しい居場所がゆっくりと形を見せはじめていくのであった。
そして大晦日、仕残しは否めないとしても、世間並みの正月を迎える準備は追いついた。母娘ふたりの正月も板についている。巷の商戦に振り回されることもなく、ふたりの好むものだけを用意すればいいことで、それをカヤは手早く揃えた。煮しめ、焼き豚、なます、数の子、厚焼き玉子、黒豆、金平ゴボウ。上等である。べらぼうに高いものや手のかかるものは要らない。それらだって、3日も食べれば飽きてくる。
年越し蕎麦も食べれば雑煮も食べる。ふたりで、日本酒も呑む。たったふたりきりの正月も、慣れてしまえば寂しさよりも、世話がなくてのん気なもの。ともに若く元気な頃は、犬のメイコを懐に、除夜の鐘が鳴る前に家を出て、近くのお寺や神社に初詣したものだった。さすがに今は、米寿を超えた好乃にその元気はなかったが、元旦にはこの土地初めてのお参りもできた。
そんな正月2日の夕べ、宮倉からの電話が鳴った。地元の先輩と呑んでいるから、来ないかという誘いであった。なぜか、そんな予感がしていたカヤは、気後れ半分興味半分で、かわいらしい三段重に正月料理を詰めて行くことにした。
宮倉家には宮倉が居間と称する離れがある。母屋から一間半ほどの渡り廊下とつながっている四畳半だ。ここで簡単な煮炊きができるガスコンロと、小さな流しと戸棚があった。
掘り炬燵に宮倉と、もうひとり小柄な男がいる。日本酒を呑んでいた。ふたりとも結構な酔いっぷりと見た。酔った勢いでの呼び出しだと、思いが落ちる。
「俺の先輩だ。議員やってる。何かあったら、相談に乗ってくれるから」
宮倉の声は低い。余計なことは言わない口である。
「あ、そのぅ、いい女だってんで、来ました。飯堀です、よろしく」
その男、若干焦点があっていない目をカヤに向け、人懐っこそうな顔で名を名乗った。宮倉の先輩であれば確実に年上であろう飯堀は、酒のせいか血色が良く、若く見える。
「すみませんね、この程度で。坂村と申します、よろしくお願いいたします」
カヤは使い古した炬燵板に三つ指をつき、顔を飯堀に向けて斜めにペコリと頭下げると、包みを解いて重箱を広げた。こじんまりと御節が彩りよく入っている。
「おう」
と言って宮倉がグラスを差し出した。受け取るとビールが泡立てて注がれる。
「あとは自分でな」
と缶をカヤの前に置くと、自分は一升瓶の吟醸をグラスに注いでひと口呑んでから、重箱の料理を口にした。最初に箸をつけたのは、焼き豚だった。これはカヤの得意な料理のひとつで、ひれ肉を一晩かかって煮る。その残り汁で鶏のもも肉でも作る。タコ糸で整えられた肉の塊はひと口サイズに切ってある。柔らかく、生姜醤油の濃い味が染みていて、われながら美味しいと、いつも思う。
四畳半に3人の大人が掘り炬燵に入り、男ふたりは既に酩酊一歩手前。そこへかつて酒豪の自覚ある女が加われば、部屋の空気は嫌でも濃密になる。カヤにとっては初めての場。落ち着こうとはするが、無理。きょろきょろと、物珍しそうに四畳半全体に目を泳がせた。
古い部屋の男所帯である。正月らしい飾り気はなく、金持ちを気取る家具もなく、どれもが使い古しの色気のないものばかりだった。その中に小さな仏像もある。時代は遡るだろう。すすけて遠目には、その尊顔は拝しようもない。また、亡くなった母親の遺影が葬儀写真のまま部屋の隅に立てかけられている。宮倉の、二重瞼の大きな目が重なる。そこに男の寂し気を見ないではいられない。
と、突然、飯堀が唄いだした。
「世が世なら、俺たちゃ侍〜。男やもめに、ウジがわく〜」
カヤは、はあ?っとなって、飯堀の顔を覗いた。飯堀は不意に真顔になって
「坂村さんだっけ? あなたがこの家に入れば、この家はあなたの物になる」
と言った。面食らうとは、このことだ。
「と、とんでもない。こんな大きな家、私には、手に負えません」
と即座に答えて「とんでもない」と、肩をすくめてもう一度言った。
「さようですか・・・」
飯堀はぽつりとそう言うとその話題をすぐに引っ込めて、額を炬燵板にまた落とし、酔いの中に埋没。それを聞いていた宮倉は何も言わず、せんべいか干物か何かのビニールの空き袋の上で、柿の皮をむいている。
そして「食うか」と、差し出す。甘柿であったが、なぜかしょっぱい。
「あっ、その乾き物をいじった手でむいたんですね? ま、いいっか。男の食卓ってヤツですね」
神経質なカヤは、本来ならば断っていただろう。そうしなかったのは、これから大家と店子の関係を良くするための方便とやらで、いわゆるご機嫌取り。カヤは宮倉が皮をむいた、形の崩れた柿を噛まずに飲み込むのだった。
カヤはそんな場で、何を話題にすればいいのか分からなかった。お互いがそうで、ただ酒を注ぎ注がれるたびにグラスを空け、冷酒までも重ねた。そうするしか間が持てない3人だったのである。
この呼び出しを予感いていたカヤとはいえ、飯堀の同席と発言は予測できずにいたのは当然で、いささかの混乱がある。ましてや、「あなたがこの家に入れば、この家はあなたの物になる」 などと言われれば、なおさらである。のちに思い起こせば、男ふたりで呑みつつ手前勝手に、女手のないこの家に突然やってきた女が、都合よく入ってくれればと目論んだのだろうと詮索した。さらに、カヤが仏像を作る人であったからだろうと考える。根拠は、旧家の婚期を逃した宮倉の相手として彼女が、少しは対外的体裁がいいとでも計算したのだろうと・・・。
そうこうしているうちに、飯堀の妻が酩酊の夫を車で迎えに来た。車で5分。毎度のことなのか、妻は口数少なく挨拶し、夫を車の中に押しやると、カヤをちらと見ただけで闇の中に消えた。
それを機にカヤも辞して、歩いて5分も満たない夜道を、母親の待つ新しい家へと足を運んだ。
一本道である。上気した頬が夜風に刺されて気持ちがいい。思わず空を見上げた。雲の影ひとつないこの空の下で、これから母とふたりで生きていくんだわと、冷気を肩で大きく吸った後、長い息をひとつ吐いた。
その途端、千鳥足の靴底の下で小さな石ころが転がって、カヤは仰向けにひっくり返ってしまった。
しばらく動くことができなかった。酔いが彼女の体を縛っている。月と星が、くっきりと見えていた。
数台の車が、その横を滑るように走り去って行った。
穏やかな正月が過ぎた新年20日のこと、隣組の新年会が開かれた。会場は川の畔に建つ地元集会場で、実質カヤの、この土地デビューでもある。およそ50世帯でその内の約60人が集まる中、カヤは隣家の麻生を頼りにして加わった。60畳くらいの広間に長机が並べられ、仕出し弁当をメインにビールと一升瓶、簡易なつまみや漬物やらがとりどりに置かれていく。そこに新人の出る幕はなく、カヤは天井近くに掲げられている額を部屋の隅で順番に見ていた。そのひとつ、最も大きな額を見ていた彼女は、思わず声を出していた。
「ええ〜、 私の仏像作りのルーツは、そこよ。比叡山坂本よ〜!!」
と、図らずも大きな声。が、住民たちは初めて見る彼女に興味はあっても準備に忙しく、また何を言っているかも理解できず、気に止める様子もない。時おり怪訝そうな目で見る者が数人いるにはいたが。
宮倉家を借りるときに出されたふたつの条件の、住民票を持ってくることのもう一方は、ささら祭りを手伝うこと。そのささら祭りというこの組中心に催される、この町伝統の秋の祭りの由来がその額に書かれていたのである。和紙へ、筆文字直筆。
驚いたのは3行目に、何と 『江戸初期に、比叡山坂本から伝来された』 と書いてあるからで、彼女の仏像作りのルーツと、この町の伝統行事であるささら祭りのルーツが、全く同じ場所であるということは、単なる驚きではない。こんな偶然があるだろうか。けれども、ここでカヤがいくら騒いだところで、関心が持たれなければ意味もなく、たかだかカヤ個人の問題に過ぎないのであった。
月末に支払う家賃を手渡しで宮倉に払うとき、カヤはこの話をしてみた。宮倉はそれまで、いくら彼女がこの町で不思議に繋がる縁を話しても興味を示さず、「こじつけるなよ」と一蹴していたが、今回はさすがに、「へえ、そんなこともあるんかい」と言って、神妙な面持ちを見せた。
後に知ったことではあるが、ここにも偶然ではないと思える節がある。
集会場での新年会は、後にも先にもない。それまでの会場は、組内の一軒の蕎麦屋。それではその主は新年会にならないわけで、その年から会場提供を辞退した。その流れがなければ、いずれ目にしたであろうその額は、越してきた翌年早々のカヤの目には入らなかったであろうから。
* * *
「そうよ、そうよ。その通りよ。だってお掃除に明け暮れて、
どういうわけでこの土地に来たかを少しも気づかないのですから」
「そうですよ。そうでもしなければ、いつになるか知れやしない」
下に目を凝らしながら、6人の僧たちが談義している。
「あの方が作る仏像は、元をただせば比叡山坂本生まれ」
「あの方が今からずっと若いとき、その時に既に私たちの思いがあったにもかかわらず、
気づいてはくださらなかった」
「仕方ありませんよ。“その時”は、その条件が揃わないと来ないのですから」
「私たちがいくら流れをつくろうとしても、肝心要のあの方が、
あっちでウロウロこっちでマゴマゴしてるんでは、揃うものも揃いません」
「そうでしたね。私たちが託したことは、
人として生きるさまざまな経験を積んでからでしか実現できませんからね。
でも、そのウロウロがあの方の持ち味。私たちの力ではどうにも制御できないこともありましょう」
「そうですよ。何でも意のままに動かせるのでしたら、
世の中そんな簡単なことはありません。そうでございましょう?」
「あはは、仰るとおりでございますね、皆さま。では、また見守ることにいたしませう」
「待たされましたので時間が不足してまいりました。
時々はこうして気づきの機会をつくって差し上げないと」
「仰るとおりでございますね〜、あの方には。ほほほ〜」
6人はまたぞろ、さらに上を見上げて読経を始めるのであった。
* * *
江戸初期に、比叡山坂本から伝来されたとある「ささら祭り」。
それを知ったときカヤは、体中の毛という毛が逆立つような気になって興奮した。無理もない。この土地を全く知らずに来て、仏像を作っているお陰で旧家の宮倉家を借りることができた、そう思っているのだから。そのささら祭りを宮倉家が主催していたとくればもう、仏縁、仏さまの縁(えにし)としか言いようがない。
この興奮が冷めやらない彼女は宴の始まりに、組長からの紹介を受けたが気もそぞろ。挨拶を促されても、「坂村です。よろしくお願いいたします」としか言えなかった。というより、なぜか言う気しなかった。決して人前で喋るのが苦手なわけではない。がときに、言葉を失ったように口を閉ざすときがある。自然体であれば、どこまでも喋ることができるというのに、余計なことを喋るなとコントロールされているような・・・。
たったのひと言である。60人は呆気にとられ、この新人が後になって地元に異を唱える行動を起すなんて、本人も含めてであるが、このときの誰もが想像できないでいた。
2年後にはこの組織から抜けることになるカヤだが、それさえ想定外であったにもかかわらず、彼女は余計なことは一切言わなかった。かねてより、どこかに属することが妙に嫌いなだけであったからかもしれないが、関心のない人たち相手に、よそ者が何を言っても無駄であることを無意識に感じたのであった。
それにしてもだ、この土地とカヤの作る仏像がつながるなんて、誰が想像したであろうか。否、である。誰もいはしない。
この程度で驚くのは、まだ早かった。のちになって分かることだが、 この土地との出遭いは単なる偶然ではないと言えることが次々待っているのであった。
つづく
|

>
- 芸術と人文
>
- 文学
>
- ノンフィクション、エッセイ


