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開かない扉
寧々房の、小説の小部屋。開かない扉は覗いてみたい。けれども開けようがない、まだ。

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四、 仏さまの縁・・・2
 
 新年会その頃には、宮倉家の掃除に取りかかっていた。
 母・好乃をデイサービスの迎えの車に乗せると、カヤは歩いて宮倉家へ向かう。5分の道すがらを歩くと、里山に囲まれたこの土地の景色が徐々に目にも馴染んでくる。ときは真冬で、杉中心の山の景色は緑が濃く、花枯れの季節に色はない。十字路「宿」の信号の一角には地元有志の方の働きで、パンジーが四角いコンクリートのコンテナに植えられている。パンジーは、霜枯れても霜枯れても、お陽さまに当たるとたちまち元気になる。あの、賑やかではあるが可憐さの、どこにその強靭さがあるのだろうと、カヤはいつも感心する。ポピュラーな紫と黄色と白。最近は、個性的な濃いビロードのような赤に墨色を混ぜたような色の花がお気に入りで、カヤは毎年買う。
 
 宮倉家の家そのものにも、色がなかった。
 「じゃあ貸してやるよ」と、初めて案内された元門番のための小さな二階家の部屋を見せられたとき、そのあまりの酷い状態に思わず心の中で、「無理!」という言葉を何度も発した彼女だった。
 ものには限度があるってもので、女ひとりでこの家を生き返らせるには、相当の覚悟がいる。外から見ている分にはあると思っていたそれが、中を見せられて、一瞬にして消えた。6畳の畳は、スニーカーの底が沈むかと思えるくらいふわふわしていたし、縁のない畳の目は総毛立っていて、白い。白いはずで、戦時中に撒いた消毒用のDDTの粉が表面に出てきていたのだ。DDTとはジクロロジフェニルトリクロロエタンの略であり、かつて使われていた有機塩素系の殺虫剤であり、農薬である。日本では1971年5月に農薬登録が失効されている。当時家庭ではシラミ駆除に、畳の下などに使われていたのだ。人の髪の毛にも。
 まさかそんなものがまだ残っているなんて、さすが160年の古民家だなどと、カヤは感慨にふけったりもした。
また、通りと裏に面したあって無きがごとしの穴だらけの雨戸にも、40年以上使われていないのだからと、木造住宅の行く末を見た気にもなった。
 
 東京から初めての田舎暮らしは、焼き物の町、栃木県益子町であった。その後越した、群馬県北橘村(当時)も田舎であった。なぜ群馬かと言うと、焼き物の町にいれば過剰な影響を受けてしまうことを避けるのと、小器用なカヤは、若い仲間から嫉妬の対象にされることに嫌気がさし、群馬の先生に弟子入りするという口実で益子を出たのだ。その頃のカヤはリッチに見えたし、実際そうだったので、周りから距離を置かれていた。
 田舎暮らしのスタートは、借家でいいと決めていた。子供がいないのだからと、持ち家を必要とは思わなかったし、身軽に動けるのが借家の利点なのだしと。
 彼女が借りられた家は、古かった。田舎での借家探しは妥協の結果がいつもそれだった。と言っても9年間で6回の引っ越しのうちの2軒の話で、6回目の宮倉家は程度の範囲を超えていた。
 それでも断らなかったのは、今にして思えば、自分の意思以外の何かが働いたのでは、と思う。
 
 古い家をリフォームする。潤沢な資金があれば、業者に任せれば簡単で早い。ところがである、女だてらではあるが彼女のように、DIYが面白いとする人間は何でも自分でやりたがる。要は時間があるからで、自分でできることを見つけると、嬉しくてたまらない。そして苦労はするものの、完成したときの達成感を無常の喜びとするものなのだ。
 が、喜べるのは資金があってのそれで、資金がなくて必死でやるのとでは、同じ喜びでも雲泥の差。
 宮倉家の場合は、後者であった。しかも、最も手ごわい相手である。知らない土地に来て、誰の助けも得られずして、果たしてできるだろうかと不安がよぎる。
 そんな不安がありはしても、彼女の口からは断りの言葉はついぞ出てこなかった。
 やってみて分かったことは、分かっていたにせよ、物事は必死で苦労して手に入れた方が、後に味わう喜びは濃くて美味しいということだった。
 
 生気が全く感じられなかった家でも、ただ人が入ったというだけでも生気は戻るのだろう。1階に大工がふたり、2階にカヤが入りることで風が入り、空気が入れ替わった。そして常に何かしらの音がすることで、長く眠っていたこの家の鼓動が規則正しく蘇ってくるような気がしてくる。
 若い衆をひとり雇って、近所に居を構える大工・矢田部が仕切っていた。父親が腕の良い宮大工で、宮倉家の息がかかっていたのか、今現在も宮倉家のことは、跡継ぎである彼に一任されている。無口で、おとなしい男である。カヤが10時頃になってのこのこと顔を出すと、ふたりはとっくに来ていて仕事に精を出している。カヤは大きな声で、朝の挨拶をする。この家で男女の挨拶が交わされるのは、幾年ぶりなのだろうと思いつつ。
 大寒が過ぎたばかりである。寒い。それを覚悟で、煽られるように掃除を始めた。店のオープンは4月で、まだ先という気がしないではなかったが、「2月から家賃は貰うよ」と宮倉から言われたせいもあったろう。防寒着の下にカイロを2枚貼り、サンバイザーの上に毛糸の帽子を重ね、携帯ラジオをポケットに入れての身支度だった。
 電気もなければ、水道もない。彼女の仕事は日が暮れれば終わりである。始めはどこから手をつけていいか分らなかった。とにかく、掃除は上からの鉄則に従って、天井を洗うことから始めた。
 アルミ製の脚立を運び上げる。10ℓ2個のポリバケツで、水を隣家からいただく。隣家のフミは宮倉の義叔母で、新家に当たる。70近いフミは快く水を提供してくれた。それを運ぶ。2階に上げる。築160年の古民家の2階へだ。半間のスペースに6段の階段は、まるで、城の階段である。高所恐怖症でなくて良かったと、つくづく思うほどの階段だ。途中何かと顔を出す、これもお抱えの建具職人・伊東はわけもなく、ひょいひょいと降りる。当初カヤは上から見ただけで足がすくんだが、しばらくすると、伊東顔負けになった。その伊東がDDTまみれの畳を、窓から下の裏庭へあっという間にホイホイと放り投げてくれて、掃除の糸口を作ってくれた。
 さて天井だが、まず、水を含めたスポンジで、同じ箇所の汚れをざっと取ることを2回繰り返す。そして雑巾と乾いたタオルで2度拭くわけだが、スポンジを濯ぐと、たちまち水の色は真っ黒になった。場所を少しずつずらし、押せばすぐずれ動くような天井板の汚れを、一枚一枚きれいにしていく。6畳ひと間だとはいえ、床の間があれば、押入れもある。狭く奥行きはないが、ふたつずつある。遅々としてはかどらない。この先が思いやられる気に襲われもする。
 しかし、何事にもリズムが生まれるもので、生まれればしめたもの、ラジオを聴きながらの作業は単純なだけに、要領を得てからは波に乗って、思いのほか早く終えることができた。
 
 その間に、無きがごとしだった雨戸が伊東によってガラスの入った格子戸に生まれ変わり、かわいいらしい雪見窓付きの障子も入った。長年の暮らしにすっかり煤けた灰色の漆喰の壁の塗り替えこそまだであったが、元門番の家は何ともいえない大きさで、カヤは自分の作品がここに収まるのかと思うと、嬉しい気持ちが込みあげてくる。
 なぜかというと、彼女の作る仏像はどれもが小さかったからで、20cmくらいから、大きくても50cmほどのもの。ということは、収まりがいいのは広くはないスペースが似合いだと思っていたからである。
 「何てちょうどいいの」
 そう考えると、自然頬が緩むのであった。 
 
  2階はひと通り洗い終えた。あとは新しい畳が入って、1階のすべてが終わり、漆喰が真っ白に塗り変われば、いよいよ店としての器を整えるときが来る。気が早いカヤは、頭で描く店の構えを具体的に考えつつ1階の
掃除に取りかかろうとした。しかし思いのほか大工仕事は、はかどっていなかった。
 築160年の家は、漆喰をひと皮むけば土壁で、いざ蓋を開けてみれば予想外の修復が待っていた。何しろ40年以上人が入っていない家だ。外壁が柱ごと腐っていたのには宮倉も驚いたらしく、いずれ家ごと傾いたであろうことを知れば、彼女との出合いは、この家にとっても幸いしたはず。
 
 門は庄屋門である。観音開きの門扉はこの家の象徴だろう。開け閉めの際には、扉の重さに耐えて軋る音がする。閂(かんぬき)を通せば、何もかも寄せ付けない堅牢さがあり、一度閉めたら何物をも遮断するかのような威厳と同時に、隙のない冷たさもあった。
 その門を守るのが門番の役目で、宮倉家が名主を務めていたもっとも繁栄していたであろう当時を、この門番の家だけを見ても想像がつく。農民に襲われた慶応2年と言えば、坂本龍馬が暗殺された前年。貧富の差は現代の比ではないだろう。   
 1階は引き戸の入り口を開けると奥行き半間のたたきで、すぐ目の前には壁。昔の造りはこうである。訪ねてきた者が直接中を見ることもできなければ、立ち入ることもできない造りになっている。が、襲われた。玄関を含めた表側2間には、閂(かんぬき)を抜くと2枚の雨戸が落ちてくる仕掛けが今でもあるが、賊の急襲には生かすことはできなかったのだろう。
 靴を脱いで上がる入り口は店舗としてどうかと思わたが、カヤは敢えて、当時のままを最大限生かした。増築された部分は、檜の香りがする家になった。それらは宮倉が彼女の希望を聞き入れてくれたお陰で、その費用はありがたいことに、カヤの負担ではなかった。
 しかしそれは、そこまでの話である…。
 
 1階はひと呼吸してからでもいいと思い、カヤは好乃とかつて1年半ほど住んでいた群馬の温泉に出かけたりして、疲れた体を癒した。温泉といっても日帰りで、雪がなければいつでも気軽に行ける。
 そうして気を取り直してさてと、1階に取り掛かった2日目のこと、表通りに面したガラス戸を外して水洗いしているとき、思いがけないことが起きた。
 カヤは、風のない小春日和の陽を背中に受けていた。掃除のたびに本来のこの家の地肌が見えてきて、日々嬉しい気持ちが花の蕾のように膨らんでくる。そんな気持ちだった。2階家の前にはプラタナスの古木があって、洗ったガラス戸の1枚を立て掛けた。次は2枚目である。そのときふっと、彼女の頭によぎることがあった。今ここで風が吹いたら、危ないかも・・・と。けれども風はそよともなく、陽差しはどこまでもやさしかった。うん、大丈夫。そう言う自分に頷いて、立てたガラスに背を向けた途端、ザーっと音をたてて風が吹き、大きな音を伴ってガラスが砕け散った。
 うわっと驚いたカヤは一瞬何が起こったか分らなかったが、すぐにこう言っていた。
 「ごめんなさい!」
 と。
 忘れていたのである。店としてお借りする“家へのご挨拶”を。陶芸仲間から口すっぱく言われていたにも関わらずであった。混乱していたからとは言い訳で、自宅の家にはきちんと挨拶をしたが、なし崩しに掃除を始めてしまった宮倉家へのそれを、すっかり失念していたのだ。
 ふと脳裏をよぎったことがまさに起きたのは、偶然とは思えなかった。
 その後風は、ぴたりと止んでしまったのだから。
 
            *   *   *
 
 「あらま、派手に割れちゃいましたこと」
 「ガラスって物らしいですが、仕方ないですわね」
 「それにしても、危ないと気づいていたのになぜすぐに
 思い出さなかったのかしら?」
 「仕方ないと言えば仕方ないですよ、ひとりで頑張っているのですから」
 「そうですよ。ご本人に怪我がなくて良かったこと」
 「まだまだ、目が離せませんわね、これからも・・・」
 
             *   *   *
 
 
 翌日カヤは、お神酒と塩とでいわゆるお清めをし、般若心経を唱えて深々と頭を下げた。
 そうすることでほっとでき、同時に、これから宮倉家にお世話になることを肝に命じるのであった。
 
 
 つづく
                                                    
 

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    先をもっとというご希望もありましたので、おまけ。
    はい、お正月ですから。(笑)
    ですがこの先は推敲作業に明け暮れますので、悪しからず。

    最近、ずいぶんと高齢な方たちのご活躍が目立ってきています。
    真似して、ガンバロ♪

    [ neibo3698 ]

    2015/1/4(日) 午後 5:48

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    長編ご苦労様でした
    寧さんの口伝が、文字になると物語となりますね。
    お話ししていただいた一つ一つの言葉を思い出しながら
    拝見していました。
    寧さんがいただいた、不思議なご縁思い出しながら
    ここからの展開、楽しみにしております。
    ではまた。(*^_^*)

    syatihata

    2015/1/4(日) 午後 6:48

  • 顔アイコン

    マスター、
    ここまでの公開予定がもうひとつおまけになっちゃった。

    これも見えないお力のなせる業かや?
    考えたら、切りは「六」の方がちょうど良かった。

    読んでくださったこと、嬉しい限りです。^^

    [ neibo3698 ]

    2015/1/5(月) 午前 11:39

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