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六、『寧々房』の主(あるじ)
2月の暦が終わろうとしている。
こつこつと着実にやることをこなし、宮倉家はひと皮むけたようにきれいになった。乾いた肌が潤ったように、本来の美しさが戻り、血が通ったようにも見えてくる。白木蓮の蕾は固いガクが緩み、象牙色の花びらが樹全体を明るく染め、春の化粧を急ぎはじめている。
さて、元門番さんの2階家は、左官職人の都合で先送りされた漆喰の塗り替えを残すだけとなった。まだ母屋側が残っている。店としてはサブであるが間口が広い分、まずは店の顔になる。だが、間口は広いが奥行きがない。半分は1間で、残りは1間半。家全体の構えから、どれだけ広い店かと誰しも思うに違いない。しかし、一歩足を踏み入れると、あら?と思うくらい、ただ横に長い狭い店で、しかも、無人。『メインは左の元門番さんの2階家です』とか、『店番は仏さまがしてくださっています』と筆書きして客の誘導に努めたが、2階家を見ずに帰る客は少なくなかった。
160年余の屋敷は存在感があるだけに敷居が高く、『お気軽にどうぞ。せっかくですから』などと書いてあっても、なお気後れがあるのだろう。商売上手であれば、恐らく店舗としては借りないであろう家で、あまり深く考えない、商才がとてもあるとは思えない彼女だから借り、また借りられたのかもしれない。決定的なのは、駐車場がないことだ。交通のアクセスが極めて悪いこの場所で、店として駐車場がないのは致命的だろう。
カヤはふと思う。自分はもう少し、しっかりしていたはずだと・・・。確かに計算の類は苦手であったし、細かいことを理論的に数字で示すことは、できない。というか、面倒で嫌いなだけなのである。活字を読むのは大好きなくせに、メカを動かすための取り扱い説明書の類を読みたくない。必須なものを省こうとしているわけだから、得意な分野でしか活路を見出せない人間。本人は、それで一向に構わないと思っている。所詮人間はオールマイティーではないのだし、得意分野があるだけ幸せで、それ以外のことが欠如しているのは当たり前。少しは突出している能力、彼女の場合は物作り。最たるものは仏像作りだとして、その他洋裁和裁、編み物。絵も描けば、書も書く。スポーツも得意。それぞれが苦労なく平均以上であれば可愛くもなく、嫉妬や僻みがついて回る。それらが与えられている以上欠落もあって当たり前で、不遜にも、それで帳尻が取れているのだと思っている。天は二物を与えない。数字が苦手で結構。仏作人が金勘定に疎いのは、これは仏さまの絶妙な采配だと思うことにしている。
だからかもしれない。とは言い切れないが、寄ってたかって人は、彼女からお金をむしりとろうとする・・・。
そのひとつ、母屋の工事の際、宮倉はカヤに感情的禍根を残すようなことをした。
6間の千本格子の内側には、ガラスが入っていない。こんな旧家の造りを知らない彼女には大いなる疑問である。かつて商家でもあった家のこの造りが分からない。格子戸の内側は、障子である。どうやら生活には支障ないのだろうが、旧態依然の体としか思えなかった。
ある酷い雨が降った日のこと、宮倉に「雨は大丈夫でしたか」と聞いたことがあったが、言下に「ばか言ってんじゃねえ」と言われた。ばか呼ばわりされた彼女は、その剣幕を心外に感じた。要は、そのくらいの雨風ではびくともしないくらいの家だと言いたかったのだろうが、何も声を荒げることでもないだろうと。
ガラスを入れるなら、自分で入れろと言う。で、これも業者は指定され、見積もりが郵送されてきたが、檜を使い、総額50万だ。それが相場なのかと信用するしかないものの、釈然としない。
カヤは仕方がないという気持ちで、それに応じるしかなかった。
しかしそれは実に理不尽なことで、やはり女の足元を見た所業で、宮倉自身の人間性の一部を垣間見ることとなった。そしてその後、些細なことでもそれは上塗りされ、借りた家2軒の大家に対する感情が、いやでも強張ざるを得ない。宮倉は何を思ってか、週末の帰宅時に、目を皿のようにして家の周りをチェックするようになっていくのだから。
つまり、勝手な目論み、カヤが宮倉家に入るそぶりを見せないことから、貸したことを後悔しはじめてのそれだった。それを、職人に吐露している。
けれども、彼女にまるで非がないわけではなかった。
何しろ宮倉とは、ほとんど没交渉だった。普段は不在。そのうえ連絡方法が提供されていないとなると、店の手入れの了承をとる機会が週末1回しかなく、それだけは事が進みにくい。
こんなことがあった。2階家の玄関先に砂利を敷き詰め飛び石を置きたかったが、現状のままでは足元がぬかるむので、良かれと先を急いだとき、許可を取らなかったことで、激昂された。元に戻せと。確かに順序を考えればカヤの落ち度である。だったら連絡先くらい教えてくれてもいいものをと思うが、なぜか、拒否。
浪川夫妻の妻・洋子が、それに対してこう言った。
「お殿さまだから、何事もお伺いしないといけないのよ。こうして、持ち上げておかないと」
笑いながら、両の手のひらを上に向けて、目の高さまで上げた。
やはり旧家に嫁いだ洋子は、さすが年上だけのことはあって世間を良く知っていた。しかしカヤは、人を持ち上げるとか機嫌を取ることは、苦手である。
それからは、どんな小さなことでも宮倉の許可を得て先手を取ることにしたが、軒を貸して母屋を云々という気にでもなったのか、些細なことでも駄目!のひと言で却下する。
そんなある日、お抱え建具職人・伊東が彼女にこんなことを囁いた。
「あのガラス戸、俺がやったら、25万でやったのに」
と。
「え〜、何それ。半額じゃないですか」
「やったのは、宮倉の親戚だからよ。仕事やったんだよ。酒で目やられて仕事ねえから」
「だからいい加減な仕事だったんですね?」
入れて1ヶ月もすると、西陽にさらされた戸が反ってきて、隙間ができた。かみ合わせが狂い始めたのである。
「下請けにやらせたんだよ。自分じゃできやしねえからよ」
返す言葉がない。
「俺だったら、もっといい仕事するよ」
確かに伊東は腕のいい職人であった。その他の伊東の仕事は遜色がなかった。しかし、自分に任せられなかったことへの腹いせでの耳打ちは、不快であった。普段仕事を貰っている相手への裏切りではないか。それはそれとして、半額でできたということを知った以上、カヤはこれを黙認する気にはなれなかった。50万が25万である。
宮倉に、手紙を書いた。理不尽であると。
結果、最後のリフォームの漆喰塗り費用は宮倉が持つことになったのは幸いにしろ、彼女への見積もり18万が15万になった。この左官屋も、通常価格に3万円上乗せしたのだった。しかもこの業者、はがした土壁の残骸の始末にカヤの家庭用掃除機を使った。使っていいかと断りはしたが、素人相手に土の塊を家庭用掃除機で処理し、パンパンに膨れたゴミ袋と埃だらけにした掃除機をそのまま放置されたことには、呆れるやら腹が立つやらであったが、結局そんな人物とは今後関わらないことで気持ちに片をつけた。
こんな話などしたくもないが、宮倉の言動はこれで終わることはなく、まるで粗を探すがごとく細かいことを言い募られたとき、カヤは人格を傷つけられた気にもなり、胃が刻まれるように痛むのだった。
初めて会ったとき、畑仕事で汚れた手を見せながら言った「花もあるし」に、宮倉の心を垣間見た気がしたのは間違いだったのだろうか。その後1、2度野菜や花を無造作に置いていったのは何だったのだろう。基本的に悪い人ではないとは、カヤの人を見る目が節穴だったのか。まだ互いに向き合ってもいないのに、手前勝手な判断で相手を見下げるだけでなく、理不尽なことを言ったりしたりする。
修行・・・。いみじくも、そう考えて溜飲を下げるしかない。
それでもひと通りの掃除とリフォームが終わり、最後の漆喰がすべて真っ白に塗り終わったとき、それまでの苦労と確執葛藤は、いっぺんに吹き飛ぶのだった。
それも、“白”の力だろうか・・・。
そしてその白を得た家そのものからも、40数年の深い眠りと汚れから解放され、息を吹き返したような一種ざわめきめいたものを受け止めたカヤは、家が一緒に喜んでいるような気がして、 いとおしささえ覚えたのである。
買って出た苦労だ。達成感の喜びのひとつとして、報われてもいいだろう。
4月には、晴れて店を開く。
これからここで、『寧々房』という名の店の主(あるじ)となる。『寧々房』は、『寧々窯』を転じさせたもの。窯を持つと、窯に名前をつけるのがこの世界の習い。益子町を出て群馬県北橘村で窯を持った彼女は、わくわくした気持ちで考えた。頭がその回路に入った途端、寧の字が不意に浮かんだ。しかもふたつ、である。
「いいかもしれない。丁寧の寧だし、寧(やす)らぐという字でもある。決め。これでいいじゃない」と、即決であった。
『寧々窯』が、『寧々房(ねいねいぼう)』に。
自己満足に浸る・・・。まずは、これありき。
そんな想いを込めた暖簾が出せるのだと思えば、そこはかとない喜びがじんわりと湧いてきて、体中の細胞がぷちぷちと踊るようなイメージが、勝手に連想されてくる。
2月末。風邪ひとつ引かず、ここまでひとりでやり遂げた。好乃は、ただいてくれるだけで良かった。
「お帰り。お疲れさま」と言ってくれるだけで、どれだけ癒されたことか・・・。
この土地は、好乃の生まれ故郷と景色が良く似ていた。米寿を過ぎた彼女にどれだけその認識があったかは定かでないにせよ、数年前に、最後だろうと連れて行った日本海に近い越後の国の片田舎は、カヤの記憶の中にも鮮やかで、確かに良く似ている。
カヤは、少しは親孝行ができたかな、と思えるのであった。
そして好乃はボケもせず、それだけで十分子孝行ができた親でもあった。最期娘を煩わせたのは、わずか3ヶ月だけであったのだから。
それでも人間というものは、我がまま勝手な生き物で、喧嘩もすれば邪険にもする。実の母娘だからこそ、理性を失った言葉の応酬も、ときにはある。
しかし、米寿の親と4年後には還暦を迎える娘である。一緒に湯船にでも浸かれば、いつの間にか水に流れてしまうのであった。
ひとりということは、好いにつけ悪いにつけ、そうでない場合とは何かと相違があるのは当たり前で、東京から近いとはいえ、見知らぬ田舎町に来たカヤにとって思いがけない出遭いから、人の好意のありがたさをしみじみ感じるのは、やはりひとりであったからだろう。
そのひとつは、浪川洋子の存在であった。東京時代の家が偶然にも近くで、また店とも、徒歩1分の距離である。洋子は何かと世話を焼いてくれて、夫の家の蔵で眠っている古い家具などを提供してくれた。何しろ店は、完璧な古民家だ。新しいものは似合わない。
まず、茶箪笥である。幅67cmで高さは70cmと小さいが、抹茶碗専用の展示棚となった。その他は、元門番の家の2階の奥行きのない半間の床の間に、まるであつらえたように仏像を置く台や、小作品を置くのにちょうど良い正方形の座卓や下駄箱。どれもが大正時代から昭和初期のもので、古い宮倉家にぴたりと収まった。
あるものを上手に生かすことは彼女の得意とするところで、いわばこれもひとつの才能だろう。それが功を奏したときの喜びは間違いなく自画自賛で鼻を高くした。“器”が和なら、自然の摂理のように店を和に仕立てあげた。
得ることができた片平家の倉庫で埃を被っていた大正初期の箪笥は、本体と、立てて中間に板を渡した引き出しが別々の展示棚になったし、背板を外した下駄箱も然り。元門番さんの家の押し入れは、通常半間の奥行きが70cmしかなく、作品、とくに仏像を展示するのにちょうど良かった。彼女の小さいくて可愛らしい仏像は、押し入れの中で、何ともちんまりと居心地よさそうにしている。それが見る側にも威圧感がなく、親しみやすく近しいと思えるのが何よりであると、作者である自身がそう思う。
ひとつ、ふたつ、みっつと、徐々に店の形が整いつつあった。
40年以上使われていなかった家が生き返り、人の手で、その作り手の色で染め上げられていく。なぜか転居の多い彼女はどこででもそれをしたが、宮倉に言ったように、この家は手強かった。手強かったからこその達成感と喜びも倍加したし、今さらながら、ひとりでここまでこなせる力を与えられたことに感謝である。またこの土地に導かれたことと、その流れに結びついたさまざまなことに思いを馳せれば、何やら運命めいたものを、どうしても感じないわけにはいかない。
さて、それが何を意味するのか。
彼女にとって、初めに結果ありき的思いがあるにはあるが、残りの限られた時間の中でそれはどうだろう。果たして、この先のプロセスに何が待っているのか、茫漠とした果てしない思いは累々とある。なかでも、この先のこの土地での田舎暮らしの大概は予想がつくが、今はそれを現実と併せて考える余裕はなかった。まずは生活の基盤となる店の運営をスタートさせるのが先決で、“周囲の目”を意識する暇さえなかった。
大家の、宮倉の目さえも・・・・。
店のオープンを、4月7日金曜日に決めた。まだ1ヶ月先である。
典型的せっかちな性分のカヤは、ゆっくりを決めつけたはずであったが、目の前のやるべきことを済ませるのはやはり早かった。店のオープンは、好適な春に重なった。
前年10月30日に越してきて、自宅兼工房の借家住まいを整えるのに1ヶ月を要し、店となる宮倉家はすでに大工と建具職人が入っていたが、40数年使われていない古民家の掃除は思った以上に手強かった。それには、とにかく急がずゆっくり取り組むしかないと、自分に言い聞かせてそれをこなした。
覚悟がなければできない、孤独な作業と言えた。カヤはやるっきゃないの思いで、奮い立った。古民家の掃除は切りがなかった。2階天井板の隙間から、風の日には土埃が落ちるであろうは必定であったが、そこは目をつぶるしかなかった。
カヤは、暖簾も作るつもりでいた。器用な彼女には、しごく当然のことで。
そして生地を探しに行こうとしていた矢先のこと、またもや浪川洋子がそれにふさわしい布を提供してくれた。何に使おうとしていたの姑が残した白い布で、幅45cm長さは12mもあり、門でセパレートされた店の表2枚の暖簾と、売り場と厨房との仕切り暖簾の計3枚が優に作れた。
カヤは暖簾の色を考えあぐねていたが、布は白である。染めるしかない。藍染めをまず考えたが、西陽の当たる家ではすぐに焼ける。そこで、茶一色に近い古民家に似合う色は薄茶のベージュであろうと、草木染めとは聞こえがいいが、身近にある玉葱や紅茶・日本茶・コーヒーやらを大鍋で煮て、染めることにした。
ミョウバン入りの煮汁に浸しては乾かすを7回ほど繰り返すと、茶の家になんとも似合う色になるではないか。
『寧々房』と『仏像さんと器』と書く。墨で。墨は、黒。黒でもいいが、カヤは墨汁に弁柄を入れることを思いついた。弁柄とは陶芸材料のひとつで酸化鉄の粉であり、結果、こげ茶色の墨になって、より効果的になった。ここでも自己満足。カヤは、幾たびかほくそえんだ。こんなことがあるから、続けられる、できるのである。
けれども、千本格子の古民家に5枚つなぎの暖簾だ。『寧々房』を『寧々亭』と読んでしまうのか、あるいは料亭然と見えなくもない日本家屋の建物に、そう思い込んでしまうのか、オープン後しばらくたっても『寧々亭』と一人歩きしているらしいのは、喜んで良いやら哀しいやら・・・だ。 つづく
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おはようございます
d(゜-^*) ナイス♪ポチ☆
2015/1/5(月) 午前 7:52
あやや、マスターお手つきしてしまいました。><
推敲疲れで、これまだ推敲していまへン!
その前に公開する記事、ありますです。
モトイ!(汗)
[ neibo3698 ]
2015/1/5(月) 午前 11:08
作者からの言い訳。。。
2年以上前に書いた細切れの記事を、行ったり来たりで
コピーしまくりましたので、推敲に難儀しました。
お恥ずかしい部分多々ありで、赤面ものです。−−;
いやはや、いいお年頃での長編は前途多難です。
子供の頃、この子は前途洋々と言われた子なのに、
人生やっぱり、
こんなはずじゃなかったと思うものなのですね、はい。^^;
合掌
[ neibo3698 ]
2015/1/10(土) 午後 9:41