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開かない扉
寧々房の、小説の小部屋。開かない扉は覗いてみたい。けれども開けようがない、まだ。

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小説「約束されし森 三十年物語」
 
この物語を書くに当たって。
 
今さらですが・・・。^^;
 
 
 
 
ジャンルをノンフィクションとしましたが、
私小説でもあり、追ってフィクションも加えたのは、やはり私ならではでしょうか。。
ジャンル分けしたとしても、その枠は限りなく曖昧です。
 
ノンフィクションを書くことの難しさは、充分に理解しているつもりです。
ですが事実を書こうとするその壁は、乗り越えなくてはいけません。
それをしなければ、ノンフィクションは成立しないことになります。
 
多くは語りません。
 
以下のふたつの文言を受けとめていただくしか、ございません。
 
 
 
 
 
人はただ生きていくだけで、善くも悪くも、さまざまな種を蒔いてしまうもの。
 
それを拾うのが、人生である。
 
 
 
 
 
 
何事も、終わりよければすべて良し。
 
 
 
 
 
 
合掌
 
 
 
 
 
 
 
   
*そそっかしいわたくし目、五と六の順序を間違えましたです。><
  どうぞ、こちらを先にお読みになられてから、六をお読みくださいませ。m(_ _)m
 
五、村が町になる
 
 宮倉家には門のほかにもうひとつ、この家を象徴するものがある。
 美しい、白木蓮の樹だ。「宿」十字路の春の訪れを告知するに十分な樹で、合掌を連想させる固い蕾がほどけ始めると、あと少し、あと少しと春を待つように、時おり通り過ぎる人々は足を止めて仰ぎ見る。咲き誇ったときのさまはそれはそれは美しく、堂々の古民家と引き立てあう。
 
 まだ固かった。今は満開を想像するだけのカヤであったが、その固い蕾が開き、その象牙色の白さを早く見たいと思った。それをひとつの楽しみとして、日々の掃除に精を出していた。
 2月半ば、ベースの部分は終わりに近づいて、電気工事に入っている。
 何の伝(つて)もない片田舎に来て、ここからはカヤはいっぱしの工事の依頼主になった。しかし間には宮倉がいて、彼女が口を挟める余地がない。大工と建具職人がお抱えであれば、関連業者も選ぶ権利はなく、見積もりさえ提示されない。提示されたとしても、比べる見積もりが用意されない。要は、すべて業者の言いなりなのである。相手が女ひとりだと、甘く見る。よくある話がここでも展開しようとしている。
 カヤは、またかとうんざりした。すでに何度も辛酸をなめているのだから。しかも、下手に値切ろうものなら、あの人は…と、レッテルを貼る。だがこの電気工事に限っては、幸いその道に詳しい知人のアドバイスにより、全体の5%ほど低く抑えることができた。強気にも、業者に向かって、「どうか女ひとりだからと、足元を見るようなことはしないでください」と言えたからで、言ってもその程度だった。
 
 関わりごとが増えると、必ずと言っていいほど腑に落ちないことに直面する。
 ちょうどその頃、この土地に来て早々にも選挙と重なった。
 村から、町になる。その1回目の選挙で、「木のむら」というキャッチフレーズに魅かれてこの土地に入った彼女にしてみれば、まるで裏切られた気分だった。隣村との合併で、町長と町会議員を選出する選挙になる。越してきて4ヶ月未満の選挙では、熱が入らない。仕方なく、ただ知って話したことがあるだけの材料で、町長と議員の両候補に、好乃とともに一票を入れた。
 
 その投票日の1週間前にカヤは、自宅から3軒隣の蕎麦屋「美多村」を営む三田村映子から夕食に招かれた。苦手である。であるが、無下に断る筋ではあるまいし、また近隣を知る必要性もあると応じることにして、7時に呼び鈴を鳴らした。キャンキャンと甲高い犬の声が階下に届いてきたと思ったら、階段を駆け降りてきて、カヤにじゃれ付いた。動物好きのカヤではあるが、躾がされていないうえにけたたましいと、好きを通り越す。案の定、腕を咬まれてしまった。
 「あっ、大丈夫?」
 映子は慌てて心配したが、
 「はい、大丈夫です、大丈夫」
 と言ったものの、腕に付いた傷は2週間消えなかった。
 新築したばかりの映子の家は、切り盛り上手な彼女の手腕で建てた家で、同じ組内の工務店に頼まざるを得なかったのか、ここはこうしたかった、あそこはこうじゃなかったのにと不満を漏らした。映子とは、家探しの際に評判の店と聞いて2度ほど昼に利用しただけの間柄だった。
 隣の村から嫁いできて、男女2人の子供を残して若くして病死した夫を見送った後蕎麦屋を起こし、それに成功した。まだこの地域に気の利いた食べ物屋などないときで、近所からは白い目で見られたという。しかし、器やそば粉にこだわり、地野菜や山菜にも目を配ったお陰で評判になった。小柄だが良く動く、はしっこい女性の印象がある。
 カヤを招待したのは、他でもない、好奇心であった。好奇心だったら、負けず劣らずのカヤである。
 口も早いが手も早い映子は、地元で有名で人気の豆腐屋から買ってきた豆腐で、湯豆腐を作ってくれた。店をやっているから何もできなくてゴメンネと、それがメインで人を呼ぶほどのテーブルではないことを思えば、カヤを知ろうとした気が急いたのだろう。
 しかし本題は、町長選にもあることが知れた。 
 立て続けの質問後、おぼろげながらカヤの人となりが分かった気がしたのか、映子は話題を選挙に向けてきた。ビールを注がれ、湯豆腐をつつく。有機農家との契約大豆を使った豆腐は味が濃く、美味しかった。小鉢には瓶詰めの蛍烏賊が盛られていた。酒に弱い映子はたちまち目の周りを赤くして、黒のアイラインを引いた目をパチクリさせながら喋る。
 「ところで坂村さん、来てすぐに選挙だなんて、誰に入れようか困っちゃうでしょ?」
 「そうですね、確かに」 
 「誰に入れるの?」
 「誰にって、こちらの尾高村長と、飯堀議員さんしか知りませんから」
 「そうよね、こっちの村長に入れないとこっちが負けちゃうからね。あっちよりこっちの方が人数が多いんだから 勝つと思うけど、負けちゃったら置いていかれちゃうわよ。尾高さんに入れないと、絶対に」
 カヤは村長の尾高を、村長室で3回会って知っていた。今まさに口にしている豆腐を売っている店の近くにたまたまいたときに知り合った、地元の鉄工所の男性が元青年部役員だったことから、紹介されたのであった。紹介すると言ってくれたものの、電話で催促してやっとの実現であったが、一度会うと尾高は心安く会ってくれた。
 カヤより若干年上で、元スポーツマンらしく快活な話し振りで好感は持てたが、結局は選挙に負けて行政から手を引いた。
 
 選挙結果は誰もが尾高が有利だと予測していたが、僅差で合併相手の村長に軍配が上がった。選挙は蓋を開けてみないと分らないという典型だろうと思ったが、まことしやかに流れた後日談では、一度は出馬しないと言って前言を翻した尾高の高慢さと、特定業者との癒着が取りざたされて票が流れたとの見方が強かった。加えて相手村長の裏での巧妙さに惑わされての票が、不利に動いたのだと。
 何のことはない、映子もそのひとりだった。それを問えば、「文化に力を入れる人」との噂が流れたのを真に受けてのことで、新町長は、ただの音楽好きでカラオケも上手く太鼓も叩く、その程度のことだった。後になって、業者との利権にまみれた限りなくダークな事が判明しても、議員たちは一部を除けば皆右へ倣いで、リコールする実力も気力もない。
 映子もしばらくしてそれらを知ることになり、忸怩たる思いをカヤに語るにいたった。映子ひとりでなく、そんな多くの人たちの判断が、その後の流れを招いてしまったのだから・・・。
 カヤは大いに失望した。この土地に初めて立ったときにインストールされた門前町復活の構想が、スゥーッと足元から引き潮にさらわれる砂のように引いていくのを感じた。
 村が町になったところで住民の生活が豊かになるわけでもなく、漢字だった土地の名前が平易な平仮名になってしまった。それ自体は賛否両論であるが、両論は地元内だけで、地元外はほとんど漢字支持が圧倒している。
 平成の大改革で、安易で平易でお粗末な合併から、またひとつふたつと村が消え、無理矢理向き合う自治体の空洞期間と派閥争いを生むだけで何も変わろうとしない、旧態依然とした地方行政が強固になるだけなのであった。新町長は合併特例債を自利のために使い、自然豊かな町の“財産”を壊し始めた。
 けれども、彼女の実際問題はそんなことよりも、自分の生活、自分の店を運営することの方が先決であった。したがって、そんな流れを意に介する暇はなく、目の前の道しか見ていなかった。
 少し先のことを今言えば、4年後の再選選挙には対抗馬が出ず、現町長がそのまま無投票で続投が決まった。12人の議員たちの多くは事なかれ主義のイエスマンで、地方議会はこんなものかと、興味も捨てた。
 しかし、現町長2期目半ばにある事件が起こり、その行方に彼女も巻き込まれ、にわかに行政の姿が身近になってきてからというもの、カヤの周りにこれまでにない流れができて、否が応でも行政の動きに関わらざるを得なくなっていくのであった。
 その間、世界を揺るがしたリーマンショック、自民党から民主党への政権交代があり、そして東日本大震災が起きた。そして、長い景気低迷である。混沌とした想定不能な、希望なき未来・・・。
 それでもなぜか彼女は、この国に希望を持ち続けるのには意味があると思っていた。
 この時点では・・・。
 
つづく
 
 
 
 
 
 
六、『寧々房』の主(あるじ) 
 
 2月の暦が終わろうとしている。
 こつこつと着実にやることをこなし、宮倉家はひと皮むけたようにきれいになった。乾いた肌が潤ったように、本来の美しさが戻り、血が通ったようにも見えてくる。白木蓮の蕾は固いガクが緩み、象牙色の花びらが樹全体を明るく染め、春の化粧を急ぎはじめている。
 さて、元門番さんの2階家は、左官職人の都合で先送りされた漆喰の塗り替えを残すだけとなった。まだ母屋側が残っている。店としてはサブであるが間口が広い分、まずは店の顔になる。だが、間口は広いが奥行きがない。半分は1間で、残りは1間半。家全体の構えから、どれだけ広い店かと誰しも思うに違いない。しかし、一歩足を踏み入れると、あら?と思うくらい、ただ横に長い狭い店で、しかも、無人。『メインは左の元門番さんの2階家です』とか、『店番は仏さまがしてくださっています』と筆書きして客の誘導に努めたが、2階家を見ずに帰る客は少なくなかった。
 160年余の屋敷は存在感があるだけに敷居が高く、『お気軽にどうぞ。せっかくですから』などと書いてあっても、なお気後れがあるのだろう。商売上手であれば、恐らく店舗としては借りないであろう家で、あまり深く考えない、商才がとてもあるとは思えない彼女だから借り、また借りられたのかもしれない。決定的なのは、駐車場がないことだ。交通のアクセスが極めて悪いこの場所で、店として駐車場がないのは致命的だろう。
 カヤはふと思う。自分はもう少し、しっかりしていたはずだと・・・。確かに計算の類は苦手であったし、細かいことを理論的に数字で示すことは、できない。というか、面倒で嫌いなだけなのである。活字を読むのは大好きなくせに、メカを動かすための取り扱い説明書の類を読みたくない。必須なものを省こうとしているわけだから、得意な分野でしか活路を見出せない人間。本人は、それで一向に構わないと思っている。所詮人間はオールマイティーではないのだし、得意分野があるだけ幸せで、それ以外のことが欠如しているのは当たり前。少しは突出している能力、彼女の場合は物作り。最たるものは仏像作りだとして、その他洋裁和裁、編み物。絵も描けば、書も書く。スポーツも得意。それぞれが苦労なく平均以上であれば可愛くもなく、嫉妬や僻みがついて回る。それらが与えられている以上欠落もあって当たり前で、不遜にも、それで帳尻が取れているのだと思っている。天は二物を与えない。数字が苦手で結構。仏作人が金勘定に疎いのは、これは仏さまの絶妙な采配だと思うことにしている。 
 だからかもしれない。とは言い切れないが、寄ってたかって人は、彼女からお金をむしりとろうとする・・・。
 
 そのひとつ、母屋の工事の際、宮倉はカヤに感情的禍根を残すようなことをした。
 6間の千本格子の内側には、ガラスが入っていない。こんな旧家の造りを知らない彼女には大いなる疑問である。かつて商家でもあった家のこの造りが分からない。格子戸の内側は、障子である。どうやら生活には支障ないのだろうが、旧態依然の体としか思えなかった。
 ある酷い雨が降った日のこと、宮倉に「雨は大丈夫でしたか」と聞いたことがあったが、言下に「ばか言ってんじゃねえ」と言われた。ばか呼ばわりされた彼女は、その剣幕を心外に感じた。要は、そのくらいの雨風ではびくともしないくらいの家だと言いたかったのだろうが、何も声を荒げることでもないだろうと。
 ガラスを入れるなら、自分で入れろと言う。で、これも業者は指定され、見積もりが郵送されてきたが、檜を使い、総額50万だ。それが相場なのかと信用するしかないものの、釈然としない。
 カヤは仕方がないという気持ちで、それに応じるしかなかった。
 しかしそれは実に理不尽なことで、やはり女の足元を見た所業で、宮倉自身の人間性の一部を垣間見ることとなった。そしてその後、些細なことでもそれは上塗りされ、借りた家2軒の大家に対する感情が、いやでも強張ざるを得ない。宮倉は何を思ってか、週末の帰宅時に、目を皿のようにして家の周りをチェックするようになっていくのだから。
  つまり、勝手な目論み、カヤが宮倉家に入るそぶりを見せないことから、貸したことを後悔しはじめてのそれだった。それを、職人に吐露している。
 けれども、彼女にまるで非がないわけではなかった。
 何しろ宮倉とは、ほとんど没交渉だった。普段は不在。そのうえ連絡方法が提供されていないとなると、店の手入れの了承をとる機会が週末1回しかなく、それだけは事が進みにくい。
 こんなことがあった。2階家の玄関先に砂利を敷き詰め飛び石を置きたかったが、現状のままでは足元がぬかるむので、良かれと先を急いだとき、許可を取らなかったことで、激昂された。元に戻せと。確かに順序を考えればカヤの落ち度である。だったら連絡先くらい教えてくれてもいいものをと思うが、なぜか、拒否。
 浪川夫妻の妻・洋子が、それに対してこう言った。
 「お殿さまだから、何事もお伺いしないといけないのよ。こうして、持ち上げておかないと」 
 笑いながら、両の手のひらを上に向けて、目の高さまで上げた。
 やはり旧家に嫁いだ洋子は、さすが年上だけのことはあって世間を良く知っていた。しかしカヤは、人を持ち上げるとか機嫌を取ることは、苦手である。
  それからは、どんな小さなことでも宮倉の許可を得て先手を取ることにしたが、軒を貸して母屋を云々という気にでもなったのか、些細なことでも駄目!のひと言で却下する。
 そんなある日、お抱え建具職人・伊東が彼女にこんなことを囁いた。
 「あのガラス戸、俺がやったら、25万でやったのに」
 と。 
 「え〜、何それ。半額じゃないですか」
 「やったのは、宮倉の親戚だからよ。仕事やったんだよ。酒で目やられて仕事ねえから」
 「だからいい加減な仕事だったんですね?」
 入れて1ヶ月もすると、西陽にさらされた戸が反ってきて、隙間ができた。かみ合わせが狂い始めたのである。
 「下請けにやらせたんだよ。自分じゃできやしねえからよ」
 返す言葉がない。
 「俺だったら、もっといい仕事するよ」
 確かに伊東は腕のいい職人であった。その他の伊東の仕事は遜色がなかった。しかし、自分に任せられなかったことへの腹いせでの耳打ちは、不快であった。普段仕事を貰っている相手への裏切りではないか。それはそれとして、半額でできたということを知った以上、カヤはこれを黙認する気にはなれなかった。50万が25万である。
 宮倉に、手紙を書いた。理不尽であると。
 結果、最後のリフォームの漆喰塗り費用は宮倉が持つことになったのは幸いにしろ、彼女への見積もり18万が15万になった。この左官屋も、通常価格に3万円上乗せしたのだった。しかもこの業者、はがした土壁の残骸の始末にカヤの家庭用掃除機を使った。使っていいかと断りはしたが、素人相手に土の塊を家庭用掃除機で処理し、パンパンに膨れたゴミ袋と埃だらけにした掃除機をそのまま放置されたことには、呆れるやら腹が立つやらであったが、結局そんな人物とは今後関わらないことで気持ちに片をつけた。
 こんな話などしたくもないが、宮倉の言動はこれで終わることはなく、まるで粗を探すがごとく細かいことを言い募られたとき、カヤは人格を傷つけられた気にもなり、胃が刻まれるように痛むのだった。
 初めて会ったとき、畑仕事で汚れた手を見せながら言った「花もあるし」に、宮倉の心を垣間見た気がしたのは間違いだったのだろうか。その後1、2度野菜や花を無造作に置いていったのは何だったのだろう。基本的に悪い人ではないとは、カヤの人を見る目が節穴だったのか。まだ互いに向き合ってもいないのに、手前勝手な判断で相手を見下げるだけでなく、理不尽なことを言ったりしたりする。
 修行・・・。いみじくも、そう考えて溜飲を下げるしかない。
 それでもひと通りの掃除とリフォームが終わり、最後の漆喰がすべて真っ白に塗り終わったとき、それまでの苦労と確執葛藤は、いっぺんに吹き飛ぶのだった。
 それも、“白”の力だろうか・・・。
 そしてその白を得た家そのものからも、40数年の深い眠りと汚れから解放され、息を吹き返したような一種ざわめきめいたものを受け止めたカヤは、家が一緒に喜んでいるような気がして、 いとおしささえ覚えたのである。
 買って出た苦労だ。達成感の喜びのひとつとして、報われてもいいだろう。
 
 4月には、晴れて店を開く。
 これからここで、『寧々房』という名の店の主(あるじ)となる。『寧々房』は、『寧々窯』を転じさせたもの。窯を持つと、窯に名前をつけるのがこの世界の習い。益子町を出て群馬県北橘村で窯を持った彼女は、わくわくした気持ちで考えた。頭がその回路に入った途端、寧の字が不意に浮かんだ。しかもふたつ、である。
 「いいかもしれない。丁寧の寧だし、寧(やす)らぐという字でもある。決め。これでいいじゃない」と、即決であった。
 『寧々窯』が、『寧々房(ねいねいぼう)』に。
 自己満足に浸る・・・。まずは、これありき。 
 そんな想いを込めた暖簾が出せるのだと思えば、そこはかとない喜びがじんわりと湧いてきて、体中の細胞がぷちぷちと踊るようなイメージが、勝手に連想されてくる。
 2月末。風邪ひとつ引かず、ここまでひとりでやり遂げた。好乃は、ただいてくれるだけで良かった。
 「お帰り。お疲れさま」と言ってくれるだけで、どれだけ癒されたことか・・・。
 この土地は、好乃の生まれ故郷と景色が良く似ていた。米寿を過ぎた彼女にどれだけその認識があったかは定かでないにせよ、数年前に、最後だろうと連れて行った日本海に近い越後の国の片田舎は、カヤの記憶の中にも鮮やかで、確かに良く似ている。
 カヤは、少しは親孝行ができたかな、と思えるのであった。
 そして好乃はボケもせず、それだけで十分子孝行ができた親でもあった。最期娘を煩わせたのは、わずか3ヶ月だけであったのだから。
 それでも人間というものは、我がまま勝手な生き物で、喧嘩もすれば邪険にもする。実の母娘だからこそ、理性を失った言葉の応酬も、ときにはある。
 しかし、米寿の親と4年後には還暦を迎える娘である。一緒に湯船にでも浸かれば、いつの間にか水に流れてしまうのであった。
 
 
 ひとりということは、好いにつけ悪いにつけ、そうでない場合とは何かと相違があるのは当たり前で、東京から近いとはいえ、見知らぬ田舎町に来たカヤにとって思いがけない出遭いから、人の好意のありがたさをしみじみ感じるのは、やはりひとりであったからだろう。
 そのひとつは、浪川洋子の存在であった。東京時代の家が偶然にも近くで、また店とも、徒歩1分の距離である。洋子は何かと世話を焼いてくれて、夫の家の蔵で眠っている古い家具などを提供してくれた。何しろ店は、完璧な古民家だ。新しいものは似合わない。
 まず、茶箪笥である。幅67cmで高さは70cmと小さいが、抹茶碗専用の展示棚となった。その他は、元門番の家の2階の奥行きのない半間の床の間に、まるであつらえたように仏像を置く台や、小作品を置くのにちょうど良い正方形の座卓や下駄箱。どれもが大正時代から昭和初期のもので、古い宮倉家にぴたりと収まった。
 あるものを上手に生かすことは彼女の得意とするところで、いわばこれもひとつの才能だろう。それが功を奏したときの喜びは間違いなく自画自賛で鼻を高くした。“器”が和なら、自然の摂理のように店を和に仕立てあげた。
 得ることができた片平家の倉庫で埃を被っていた大正初期の箪笥は、本体と、立てて中間に板を渡した引き出しが別々の展示棚になったし、背板を外した下駄箱も然り。元門番さんの家の押し入れは、通常半間の奥行きが70cmしかなく、作品、とくに仏像を展示するのにちょうど良かった。彼女の小さいくて可愛らしい仏像は、押し入れの中で、何ともちんまりと居心地よさそうにしている。それが見る側にも威圧感がなく、親しみやすく近しいと思えるのが何よりであると、作者である自身がそう思う。
 
 ひとつ、ふたつ、みっつと、徐々に店の形が整いつつあった。
 40年以上使われていなかった家が生き返り、人の手で、その作り手の色で染め上げられていく。なぜか転居の多い彼女はどこででもそれをしたが、宮倉に言ったように、この家は手強かった。手強かったからこその達成感と喜びも倍加したし、今さらながら、ひとりでここまでこなせる力を与えられたことに感謝である。またこの土地に導かれたことと、その流れに結びついたさまざまなことに思いを馳せれば、何やら運命めいたものを、どうしても感じないわけにはいかない。
 さて、それが何を意味するのか。
 彼女にとって、初めに結果ありき的思いがあるにはあるが、残りの限られた時間の中でそれはどうだろう。果たして、この先のプロセスに何が待っているのか、茫漠とした果てしない思いは累々とある。なかでも、この先のこの土地での田舎暮らしの大概は予想がつくが、今はそれを現実と併せて考える余裕はなかった。まずは生活の基盤となる店の運営をスタートさせるのが先決で、“周囲の目”を意識する暇さえなかった。
 大家の、宮倉の目さえも・・・・。
 
 
 店のオープンを、4月7日金曜日に決めた。まだ1ヶ月先である。
 典型的せっかちな性分のカヤは、ゆっくりを決めつけたはずであったが、目の前のやるべきことを済ませるのはやはり早かった。店のオープンは、好適な春に重なった。
 前年10月30日に越してきて、自宅兼工房の借家住まいを整えるのに1ヶ月を要し、店となる宮倉家はすでに大工と建具職人が入っていたが、40数年使われていない古民家の掃除は思った以上に手強かった。それには、とにかく急がずゆっくり取り組むしかないと、自分に言い聞かせてそれをこなした。
 覚悟がなければできない、孤独な作業と言えた。カヤはやるっきゃないの思いで、奮い立った。古民家の掃除は切りがなかった。2階天井板の隙間から、風の日には土埃が落ちるであろうは必定であったが、そこは目をつぶるしかなかった。
 
 カヤは、暖簾も作るつもりでいた。器用な彼女には、しごく当然のことで。
 そして生地を探しに行こうとしていた矢先のこと、またもや浪川洋子がそれにふさわしい布を提供してくれた。何に使おうとしていたの姑が残した白い布で、幅45cm長さは12mもあり、門でセパレートされた店の表2枚の暖簾と、売り場と厨房との仕切り暖簾の計3枚が優に作れた。
 カヤは暖簾の色を考えあぐねていたが、布は白である。染めるしかない。藍染めをまず考えたが、西陽の当たる家ではすぐに焼ける。そこで、茶一色に近い古民家に似合う色は薄茶のベージュであろうと、草木染めとは聞こえがいいが、身近にある玉葱や紅茶・日本茶・コーヒーやらを大鍋で煮て、染めることにした。
 ミョウバン入りの煮汁に浸しては乾かすを7回ほど繰り返すと、茶の家になんとも似合う色になるではないか。
 『寧々房』と『仏像さんと器』と書く。墨で。墨は、黒。黒でもいいが、カヤは墨汁に弁柄を入れることを思いついた。弁柄とは陶芸材料のひとつで酸化鉄の粉であり、結果、こげ茶色の墨になって、より効果的になった。ここでも自己満足。カヤは、幾たびかほくそえんだ。こんなことがあるから、続けられる、できるのである。
 
 けれども、千本格子の古民家に5枚つなぎの暖簾だ。『寧々房』を『寧々亭』と読んでしまうのか、あるいは料亭然と見えなくもない日本家屋の建物に、そう思い込んでしまうのか、オープン後しばらくたっても『寧々亭』と一人歩きしているらしいのは、喜んで良いやら哀しいやら・・・だ。
 
 つづく
 
 
 
四、 仏さまの縁・・・2
 
 新年会その頃には、宮倉家の掃除に取りかかっていた。
 母・好乃をデイサービスの迎えの車に乗せると、カヤは歩いて宮倉家へ向かう。5分の道すがらを歩くと、里山に囲まれたこの土地の景色が徐々に目にも馴染んでくる。ときは真冬で、杉中心の山の景色は緑が濃く、花枯れの季節に色はない。十字路「宿」の信号の一角には地元有志の方の働きで、パンジーが四角いコンクリートのコンテナに植えられている。パンジーは、霜枯れても霜枯れても、お陽さまに当たるとたちまち元気になる。あの、賑やかではあるが可憐さの、どこにその強靭さがあるのだろうと、カヤはいつも感心する。ポピュラーな紫と黄色と白。最近は、個性的な濃いビロードのような赤に墨色を混ぜたような色の花がお気に入りで、カヤは毎年買う。
 
 宮倉家の家そのものにも、色がなかった。
 「じゃあ貸してやるよ」と、初めて案内された元門番のための小さな二階家の部屋を見せられたとき、そのあまりの酷い状態に思わず心の中で、「無理!」という言葉を何度も発した彼女だった。
 ものには限度があるってもので、女ひとりでこの家を生き返らせるには、相当の覚悟がいる。外から見ている分にはあると思っていたそれが、中を見せられて、一瞬にして消えた。6畳の畳は、スニーカーの底が沈むかと思えるくらいふわふわしていたし、縁のない畳の目は総毛立っていて、白い。白いはずで、戦時中に撒いた消毒用のDDTの粉が表面に出てきていたのだ。DDTとはジクロロジフェニルトリクロロエタンの略であり、かつて使われていた有機塩素系の殺虫剤であり、農薬である。日本では1971年5月に農薬登録が失効されている。当時家庭ではシラミ駆除に、畳の下などに使われていたのだ。人の髪の毛にも。
 まさかそんなものがまだ残っているなんて、さすが160年の古民家だなどと、カヤは感慨にふけったりもした。
また、通りと裏に面したあって無きがごとしの穴だらけの雨戸にも、40年以上使われていないのだからと、木造住宅の行く末を見た気にもなった。
 
 東京から初めての田舎暮らしは、焼き物の町、栃木県益子町であった。その後越した、群馬県北橘村(当時)も田舎であった。なぜ群馬かと言うと、焼き物の町にいれば過剰な影響を受けてしまうことを避けるのと、小器用なカヤは、若い仲間から嫉妬の対象にされることに嫌気がさし、群馬の先生に弟子入りするという口実で益子を出たのだ。その頃のカヤはリッチに見えたし、実際そうだったので、周りから距離を置かれていた。
 田舎暮らしのスタートは、借家でいいと決めていた。子供がいないのだからと、持ち家を必要とは思わなかったし、身軽に動けるのが借家の利点なのだしと。
 彼女が借りられた家は、古かった。田舎での借家探しは妥協の結果がいつもそれだった。と言っても9年間で6回の引っ越しのうちの2軒の話で、6回目の宮倉家は程度の範囲を超えていた。
 それでも断らなかったのは、今にして思えば、自分の意思以外の何かが働いたのでは、と思う。
 
 古い家をリフォームする。潤沢な資金があれば、業者に任せれば簡単で早い。ところがである、女だてらではあるが彼女のように、DIYが面白いとする人間は何でも自分でやりたがる。要は時間があるからで、自分でできることを見つけると、嬉しくてたまらない。そして苦労はするものの、完成したときの達成感を無常の喜びとするものなのだ。
 が、喜べるのは資金があってのそれで、資金がなくて必死でやるのとでは、同じ喜びでも雲泥の差。
 宮倉家の場合は、後者であった。しかも、最も手ごわい相手である。知らない土地に来て、誰の助けも得られずして、果たしてできるだろうかと不安がよぎる。
 そんな不安がありはしても、彼女の口からは断りの言葉はついぞ出てこなかった。
 やってみて分かったことは、分かっていたにせよ、物事は必死で苦労して手に入れた方が、後に味わう喜びは濃くて美味しいということだった。
 
 生気が全く感じられなかった家でも、ただ人が入ったというだけでも生気は戻るのだろう。1階に大工がふたり、2階にカヤが入りることで風が入り、空気が入れ替わった。そして常に何かしらの音がすることで、長く眠っていたこの家の鼓動が規則正しく蘇ってくるような気がしてくる。
 若い衆をひとり雇って、近所に居を構える大工・矢田部が仕切っていた。父親が腕の良い宮大工で、宮倉家の息がかかっていたのか、今現在も宮倉家のことは、跡継ぎである彼に一任されている。無口で、おとなしい男である。カヤが10時頃になってのこのこと顔を出すと、ふたりはとっくに来ていて仕事に精を出している。カヤは大きな声で、朝の挨拶をする。この家で男女の挨拶が交わされるのは、幾年ぶりなのだろうと思いつつ。
 大寒が過ぎたばかりである。寒い。それを覚悟で、煽られるように掃除を始めた。店のオープンは4月で、まだ先という気がしないではなかったが、「2月から家賃は貰うよ」と宮倉から言われたせいもあったろう。防寒着の下にカイロを2枚貼り、サンバイザーの上に毛糸の帽子を重ね、携帯ラジオをポケットに入れての身支度だった。
 電気もなければ、水道もない。彼女の仕事は日が暮れれば終わりである。始めはどこから手をつけていいか分らなかった。とにかく、掃除は上からの鉄則に従って、天井を洗うことから始めた。
 アルミ製の脚立を運び上げる。10ℓ2個のポリバケツで、水を隣家からいただく。隣家のフミは宮倉の義叔母で、新家に当たる。70近いフミは快く水を提供してくれた。それを運ぶ。2階に上げる。築160年の古民家の2階へだ。半間のスペースに6段の階段は、まるで、城の階段である。高所恐怖症でなくて良かったと、つくづく思うほどの階段だ。途中何かと顔を出す、これもお抱えの建具職人・伊東はわけもなく、ひょいひょいと降りる。当初カヤは上から見ただけで足がすくんだが、しばらくすると、伊東顔負けになった。その伊東がDDTまみれの畳を、窓から下の裏庭へあっという間にホイホイと放り投げてくれて、掃除の糸口を作ってくれた。
 さて天井だが、まず、水を含めたスポンジで、同じ箇所の汚れをざっと取ることを2回繰り返す。そして雑巾と乾いたタオルで2度拭くわけだが、スポンジを濯ぐと、たちまち水の色は真っ黒になった。場所を少しずつずらし、押せばすぐずれ動くような天井板の汚れを、一枚一枚きれいにしていく。6畳ひと間だとはいえ、床の間があれば、押入れもある。狭く奥行きはないが、ふたつずつある。遅々としてはかどらない。この先が思いやられる気に襲われもする。
 しかし、何事にもリズムが生まれるもので、生まれればしめたもの、ラジオを聴きながらの作業は単純なだけに、要領を得てからは波に乗って、思いのほか早く終えることができた。
 
 その間に、無きがごとしだった雨戸が伊東によってガラスの入った格子戸に生まれ変わり、かわいいらしい雪見窓付きの障子も入った。長年の暮らしにすっかり煤けた灰色の漆喰の壁の塗り替えこそまだであったが、元門番の家は何ともいえない大きさで、カヤは自分の作品がここに収まるのかと思うと、嬉しい気持ちが込みあげてくる。
 なぜかというと、彼女の作る仏像はどれもが小さかったからで、20cmくらいから、大きくても50cmほどのもの。ということは、収まりがいいのは広くはないスペースが似合いだと思っていたからである。
 「何てちょうどいいの」
 そう考えると、自然頬が緩むのであった。 
 
  2階はひと通り洗い終えた。あとは新しい畳が入って、1階のすべてが終わり、漆喰が真っ白に塗り変われば、いよいよ店としての器を整えるときが来る。気が早いカヤは、頭で描く店の構えを具体的に考えつつ1階の
掃除に取りかかろうとした。しかし思いのほか大工仕事は、はかどっていなかった。
 築160年の家は、漆喰をひと皮むけば土壁で、いざ蓋を開けてみれば予想外の修復が待っていた。何しろ40年以上人が入っていない家だ。外壁が柱ごと腐っていたのには宮倉も驚いたらしく、いずれ家ごと傾いたであろうことを知れば、彼女との出合いは、この家にとっても幸いしたはず。
 
 門は庄屋門である。観音開きの門扉はこの家の象徴だろう。開け閉めの際には、扉の重さに耐えて軋る音がする。閂(かんぬき)を通せば、何もかも寄せ付けない堅牢さがあり、一度閉めたら何物をも遮断するかのような威厳と同時に、隙のない冷たさもあった。
 その門を守るのが門番の役目で、宮倉家が名主を務めていたもっとも繁栄していたであろう当時を、この門番の家だけを見ても想像がつく。農民に襲われた慶応2年と言えば、坂本龍馬が暗殺された前年。貧富の差は現代の比ではないだろう。   
 1階は引き戸の入り口を開けると奥行き半間のたたきで、すぐ目の前には壁。昔の造りはこうである。訪ねてきた者が直接中を見ることもできなければ、立ち入ることもできない造りになっている。が、襲われた。玄関を含めた表側2間には、閂(かんぬき)を抜くと2枚の雨戸が落ちてくる仕掛けが今でもあるが、賊の急襲には生かすことはできなかったのだろう。
 靴を脱いで上がる入り口は店舗としてどうかと思わたが、カヤは敢えて、当時のままを最大限生かした。増築された部分は、檜の香りがする家になった。それらは宮倉が彼女の希望を聞き入れてくれたお陰で、その費用はありがたいことに、カヤの負担ではなかった。
 しかしそれは、そこまでの話である…。
 
 1階はひと呼吸してからでもいいと思い、カヤは好乃とかつて1年半ほど住んでいた群馬の温泉に出かけたりして、疲れた体を癒した。温泉といっても日帰りで、雪がなければいつでも気軽に行ける。
 そうして気を取り直してさてと、1階に取り掛かった2日目のこと、表通りに面したガラス戸を外して水洗いしているとき、思いがけないことが起きた。
 カヤは、風のない小春日和の陽を背中に受けていた。掃除のたびに本来のこの家の地肌が見えてきて、日々嬉しい気持ちが花の蕾のように膨らんでくる。そんな気持ちだった。2階家の前にはプラタナスの古木があって、洗ったガラス戸の1枚を立て掛けた。次は2枚目である。そのときふっと、彼女の頭によぎることがあった。今ここで風が吹いたら、危ないかも・・・と。けれども風はそよともなく、陽差しはどこまでもやさしかった。うん、大丈夫。そう言う自分に頷いて、立てたガラスに背を向けた途端、ザーっと音をたてて風が吹き、大きな音を伴ってガラスが砕け散った。
 うわっと驚いたカヤは一瞬何が起こったか分らなかったが、すぐにこう言っていた。
 「ごめんなさい!」
 と。
 忘れていたのである。店としてお借りする“家へのご挨拶”を。陶芸仲間から口すっぱく言われていたにも関わらずであった。混乱していたからとは言い訳で、自宅の家にはきちんと挨拶をしたが、なし崩しに掃除を始めてしまった宮倉家へのそれを、すっかり失念していたのだ。
 ふと脳裏をよぎったことがまさに起きたのは、偶然とは思えなかった。
 その後風は、ぴたりと止んでしまったのだから。
 
            *   *   *
 
 「あらま、派手に割れちゃいましたこと」
 「ガラスって物らしいですが、仕方ないですわね」
 「それにしても、危ないと気づいていたのになぜすぐに
 思い出さなかったのかしら?」
 「仕方ないと言えば仕方ないですよ、ひとりで頑張っているのですから」
 「そうですよ。ご本人に怪我がなくて良かったこと」
 「まだまだ、目が離せませんわね、これからも・・・」
 
             *   *   *
 
 
 翌日カヤは、お神酒と塩とでいわゆるお清めをし、般若心経を唱えて深々と頭を下げた。
 そうすることでほっとでき、同時に、これから宮倉家にお世話になることを肝に命じるのであった。
 
 
 つづく
                                                    
 
 
 四 仏さまの縁(えにし)・・・ 1 
 
 冷静に、カヤがいくら淡々と構えていても、世間の流れは決して単純ではない。大波小波のざぶざぶである。
 女ひとりで歩む人生には、女ならではの苦労がつきもので、その苦労の仕掛け人の多くは男によるもので占めている。9年で6回の引っ越しの、どれもにそれが言えた。主に金銭的なそれだが、個人であれ業者であれ、女の足元を見る不理不尽なことを平然とする。カヤはそのたびに嫌悪を覚えるが、それが世間だと思い知るしかない。新しい土地に来れば、新しい相手。手口はどれもが同じだった。
 
 何はともあれ、東京でのちっぽけなマンションを手放し、2軒合わせての家賃が、5度目の引越し先5LDK1戸建ての半分にも満たないことは、まずは経済的余裕を与えられることになる。店の開業は、4月である。収入はそれまで望めない。蓄えの半分は開業資金で消えている。
 そう、逼迫感・・・。あるにはある。しかし本当のところ、それほどのことはなかった。彼女の持ち前の性格は前向きの楽天家ゆえ、なぜか店「寧々房」はきっとうまくいく、そう思っていた。まあ、何事も、始めるときは誰しもそうである。希望的観測の元で始められなければ、いくら間違った認識があろうとも、スタートは切れまい。
 しかし、商売とはそんなに甘いものではなく、ましてや過疎化手前のこの町で、商才に長けているわけでもない彼女に何ができるだろう。うまくいく・・・、それはただ漠然とした思いに過ぎない。世の中は常に動いているのだから。善くも・・・、悪くも・・・。
 
 カヤは、物事をあまり深く考えないタチである。その分反応が早く、行動を起こすのに多くの時間を要せず、まずは直感ありき。というと軽佻で短絡的かと思う向きもあるだろうが、それを完全に否定することはできないにせよ、それがあるからこそ彼女の素早い行動があるわけで、閃きこそが彼女の原動力と思える。
 セレンディピティ・・・。閃きを得て、本来の探し物以上の探し物を見つける一種才能のようなもの。そして、幸福を得る・・・。
 
 この土地この町、この家・宮倉家の前に初めて立ったとき、彼女にその才能があったとしても、本人の意識にそれがあったかどうかだ。
 インストール・・・。頭の中につらつらと、この町のあるべき姿が勝手に刷り込まされたような気がしている、だけで。
 その内容が何かと言えば、まずこの宮倉家の“顔”をきれいにすること。
 店「寧々房」に置く自作陶仏には、きっと意味があるに違いない。ここ『宿』の十字路を、かつてこの土地の中心地だった頃の門前町に近づけたい。関東最古の、千三百年余の古刹の入り口として恥ずかしくない風景を取り戻すのだ。心が荒みつつあるこの時代に、都会から近い、残された価値ある田舎として上手にアピールしたい。やがてはこの町に、多くの人が心と体を癒しに訪れるだろう・・・、と。
 具体的に言えば、店の対面にある完全なる廃墟を撤去して、そこに千本格子戸の古民家仕立て2階家の茶店を建てる。里山トレッキングコースの充実をさらに広げ、休憩処を提供する。2階には“哲学カフェ”と簡易宿泊部屋も造り、心が折れた人を迎え入れて話を聴く。その相手は、信頼できるリタイヤ後の政治家などのボランティアだ。スペースがあれば、多目的ホールも造りたい。などなど考えていると、カヤは楽しくて眠れなくなる。
 荒唐無稽な話だと、笑われた。夢で、終わるとも。
 そう言われてもカヤの熱さは冷めることもなく、そんな客や取り巻きたちは、自然に淘汰されて行くのであった。けれども、彼女の話は単に一方通行だけではなく、元気と癒しを与え、またそれが返ってくるという循環も生まれてくるのであった。
 
  まずやるべきことは、片平家に自分の息を吹き込むこと。
 それに丸1ヶ月かかった。荷物が多いうえ、無類のきれい好きな陶芸家はできるだけ自分流にすることに手を抜きたくはなかった。
 とはいえ11月。師走目前。新しい土地に慣れることや、好乃のデイサービスの手続きやらで日は暮れて、あっという間に年末が来て、正月が来る。
 正月が終われば、次は気合いを入れての宮倉家が待っている
 7月半ばに宮倉家を借りられることになってから、カヤが越してくるまでに3ヶ月余を費やした。自宅兼工房となる物件探しに予想以上の時間を要したことと、見つかったら見つかったで、契約に手こずったからである。
 10月に入ると宮倉は、店として使う、いわば廃墟と化しつつあった2階家のリフォームに入ってくれた。宮倉はあらかじめ希望を聞いてくれたし、自宅の一部、しかも屋敷の表側とあって厳しい制約もつけたが、ベース部分は快く直してくれる好意を見せた。旧家である。お抱えの大工と建具職人がいる。
 その大工が、仮にカヤがこの家に入ることがなかったとしたら、恐らく、2年もしないうちにこの家は倒れていただろうと言った。その根拠は門と反対側の雨風に曝された土壁の下3分の1が柱ごと腐っていたからで、カヤは、何というタイミングだろうと思った。これも出合いの妙か?・・・と。
 元門番の家の1階は、畳敷きの6畳ひと間であった。黒那智石だろうと思える小石をセメントに埋め込んだ狭いたたきを上がると、目の前は間仕切りの壁。それは、取る。煮炊きしたであろう小さな囲炉裏も、取る。畳も取って板敷きにする。とはカヤの希望。ここはどうする、こっちはどうだ、2階は?と宮倉は、ありがたいことに、当初カヤの意見を尊重してくれるのであった。
 古民家のリフォームは、埃との格闘である。ましてや土壁を壊すとなると、もうもうと砂塵のごとく埃まみれとなる。畳をはがして床板が新調される。甕が埋められた厠は洋式トイレに変えてくれ、半間ほど増築してガス台と流し台も備えてくれた。
 10月末日に越してきた彼女が片平家をきれいにするのと平行して、カヤとカヤの作品の新しい居場所がゆっくりと形を見せはじめていくのであった。
 
 そして大晦日、仕残しは否めないとしても、世間並みの正月を迎える準備は追いついた。母娘ふたりの正月も板についている。巷の商戦に振り回されることもなく、ふたりの好むものだけを用意すればいいことで、それをカヤは手早く揃えた。煮しめ、焼き豚、なます、数の子、厚焼き玉子、黒豆、金平ゴボウ。上等である。べらぼうに高いものや手のかかるものは要らない。それらだって、3日も食べれば飽きてくる。
 年越し蕎麦も食べれば雑煮も食べる。ふたりで、日本酒も呑む。たったふたりきりの正月も、慣れてしまえば寂しさよりも、世話がなくてのん気なもの。ともに若く元気な頃は、犬のメイコを懐に、除夜の鐘が鳴る前に家を出て、近くのお寺や神社に初詣したものだった。さすがに今は、米寿を超えた好乃にその元気はなかったが、元旦にはこの土地初めてのお参りもできた。
 
 そんな正月2日の夕べ、宮倉からの電話が鳴った。地元の先輩と呑んでいるから、来ないかという誘いであった。なぜか、そんな予感がしていたカヤは、気後れ半分興味半分で、かわいらしい三段重に正月料理を詰めて行くことにした。 
 宮倉家には宮倉が居間と称する離れがある。母屋から一間半ほどの渡り廊下とつながっている四畳半だ。ここで簡単な煮炊きができるガスコンロと、小さな流しと戸棚があった。
 掘り炬燵に宮倉と、もうひとり小柄な男がいる。日本酒を呑んでいた。ふたりとも結構な酔いっぷりと見た。酔った勢いでの呼び出しだと、思いが落ちる。
 「俺の先輩だ。議員やってる。何かあったら、相談に乗ってくれるから」
 宮倉の声は低い。余計なことは言わない口である。
 「あ、そのぅ、いい女だってんで、来ました。飯堀です、よろしく」
 その男、若干焦点があっていない目をカヤに向け、人懐っこそうな顔で名を名乗った。宮倉の先輩であれば確実に年上であろう飯堀は、酒のせいか血色が良く、若く見える。
 「すみませんね、この程度で。坂村と申します、よろしくお願いいたします」
 カヤは使い古した炬燵板に三つ指をつき、顔を飯堀に向けて斜めにペコリと頭下げると、包みを解いて重箱を広げた。こじんまりと御節が彩りよく入っている。
 「おう」
 と言って宮倉がグラスを差し出した。受け取るとビールが泡立てて注がれる。
 「あとは自分でな」
 と缶をカヤの前に置くと、自分は一升瓶の吟醸をグラスに注いでひと口呑んでから、重箱の料理を口にした。最初に箸をつけたのは、焼き豚だった。これはカヤの得意な料理のひとつで、ひれ肉を一晩かかって煮る。その残り汁で鶏のもも肉でも作る。タコ糸で整えられた肉の塊はひと口サイズに切ってある。柔らかく、生姜醤油の濃い味が染みていて、われながら美味しいと、いつも思う。
 四畳半に3人の大人が掘り炬燵に入り、男ふたりは既に酩酊一歩手前。そこへかつて酒豪の自覚ある女が加われば、部屋の空気は嫌でも濃密になる。カヤにとっては初めての場。落ち着こうとはするが、無理。きょろきょろと、物珍しそうに四畳半全体に目を泳がせた。
 古い部屋の男所帯である。正月らしい飾り気はなく、金持ちを気取る家具もなく、どれもが使い古しの色気のないものばかりだった。その中に小さな仏像もある。時代は遡るだろう。すすけて遠目には、その尊顔は拝しようもない。また、亡くなった母親の遺影が葬儀写真のまま部屋の隅に立てかけられている。宮倉の、二重瞼の大きな目が重なる。そこに男の寂し気を見ないではいられない。
 と、突然、飯堀が唄いだした。
 「世が世なら、俺たちゃ侍〜。男やもめに、ウジがわく〜」
 カヤは、はあ?っとなって、飯堀の顔を覗いた。飯堀は不意に真顔になって
 「坂村さんだっけ? あなたがこの家に入れば、この家はあなたの物になる」
 と言った。面食らうとは、このことだ。
 「と、とんでもない。こんな大きな家、私には、手に負えません」
 と即座に答えて「とんでもない」と、肩をすくめてもう一度言った。
 「さようですか・・・」
 飯堀はぽつりとそう言うとその話題をすぐに引っ込めて、額を炬燵板にまた落とし、酔いの中に埋没。それを聞いていた宮倉は何も言わず、せんべいか干物か何かのビニールの空き袋の上で、柿の皮をむいている。
 そして「食うか」と、差し出す。甘柿であったが、なぜかしょっぱい。
 「あっ、その乾き物をいじった手でむいたんですね? ま、いいっか。男の食卓ってヤツですね」
 神経質なカヤは、本来ならば断っていただろう。そうしなかったのは、これから大家と店子の関係を良くするための方便とやらで、いわゆるご機嫌取り。カヤは宮倉が皮をむいた、形の崩れた柿を噛まずに飲み込むのだった。
 
 カヤはそんな場で、何を話題にすればいいのか分からなかった。お互いがそうで、ただ酒を注ぎ注がれるたびにグラスを空け、冷酒までも重ねた。そうするしか間が持てない3人だったのである。
 この呼び出しを予感いていたカヤとはいえ、飯堀の同席と発言は予測できずにいたのは当然で、いささかの混乱がある。ましてや、「あなたがこの家に入れば、この家はあなたの物になる」 などと言われれば、なおさらである。のちに思い起こせば、男ふたりで呑みつつ手前勝手に、女手のないこの家に突然やってきた女が、都合よく入ってくれればと目論んだのだろうと詮索した。さらに、カヤが仏像を作る人であったからだろうと考える。根拠は、旧家の婚期を逃した宮倉の相手として彼女が、少しは対外的体裁がいいとでも計算したのだろうと・・・。
 
  そうこうしているうちに、飯堀の妻が酩酊の夫を車で迎えに来た。車で5分。毎度のことなのか、妻は口数少なく挨拶し、夫を車の中に押しやると、カヤをちらと見ただけで闇の中に消えた。
 それを機にカヤも辞して、歩いて5分も満たない夜道を、母親の待つ新しい家へと足を運んだ。
 一本道である。上気した頬が夜風に刺されて気持ちがいい。思わず空を見上げた。雲の影ひとつないこの空の下で、これから母とふたりで生きていくんだわと、冷気を肩で大きく吸った後、長い息をひとつ吐いた。
 その途端、千鳥足の靴底の下で小さな石ころが転がって、カヤは仰向けにひっくり返ってしまった。
 しばらく動くことができなかった。酔いが彼女の体を縛っている。月と星が、くっきりと見えていた。
 数台の車が、その横を滑るように走り去って行った。
 
 
 穏やかな正月が過ぎた新年20日のこと、隣組の新年会が開かれた。会場は川の畔に建つ地元集会場で、実質カヤの、この土地デビューでもある。およそ50世帯でその内の約60人が集まる中、カヤは隣家の麻生を頼りにして加わった。60畳くらいの広間に長机が並べられ、仕出し弁当をメインにビールと一升瓶、簡易なつまみや漬物やらがとりどりに置かれていく。そこに新人の出る幕はなく、カヤは天井近くに掲げられている額を部屋の隅で順番に見ていた。そのひとつ、最も大きな額を見ていた彼女は、思わず声を出していた。
「ええ〜、 私の仏像作りのルーツは、そこよ。比叡山坂本よ〜!!」
 と、図らずも大きな声。が、住民たちは初めて見る彼女に興味はあっても準備に忙しく、また何を言っているかも理解できず、気に止める様子もない。時おり怪訝そうな目で見る者が数人いるにはいたが。
 宮倉家を借りるときに出されたふたつの条件の、住民票を持ってくることのもう一方は、ささら祭りを手伝うこと。そのささら祭りというこの組中心に催される、この町伝統の秋の祭りの由来がその額に書かれていたのである。和紙へ、筆文字直筆。
 驚いたのは3行目に、何と 『江戸初期に、比叡山坂本から伝来された』 と書いてあるからで、彼女の仏像作りのルーツと、この町の伝統行事であるささら祭りのルーツが、全く同じ場所であるということは、単なる驚きではない。こんな偶然があるだろうか。けれども、ここでカヤがいくら騒いだところで、関心が持たれなければ意味もなく、たかだかカヤ個人の問題に過ぎないのであった。
 月末に支払う家賃を手渡しで宮倉に払うとき、カヤはこの話をしてみた。宮倉はそれまで、いくら彼女がこの町で不思議に繋がる縁を話しても興味を示さず、「こじつけるなよ」と一蹴していたが、今回はさすがに、「へえ、そんなこともあるんかい」と言って、神妙な面持ちを見せた。
 後に知ったことではあるが、ここにも偶然ではないと思える節がある。
 集会場での新年会は、後にも先にもない。それまでの会場は、組内の一軒の蕎麦屋。それではその主は新年会にならないわけで、その年から会場提供を辞退した。その流れがなければ、いずれ目にしたであろうその額は、越してきた翌年早々のカヤの目には入らなかったであろうから。
 
             *   *   *
 
 「そうよ、そうよ。その通りよ。だってお掃除に明け暮れて、
  どういうわけでこの土地に来たかを少しも気づかないのですから」
 「そうですよ。そうでもしなければ、いつになるか知れやしない」
 下に目を凝らしながら、6人の僧たちが談義している。
 「あの方が作る仏像は、元をただせば比叡山坂本生まれ」
 「あの方が今からずっと若いとき、その時に既に私たちの思いがあったにもかかわらず、
  気づいてはくださらなかった」
 「仕方ありませんよ。“その時”は、その条件が揃わないと来ないのですから」
 「私たちがいくら流れをつくろうとしても、肝心要のあの方が、
  あっちでウロウロこっちでマゴマゴしてるんでは、揃うものも揃いません」
 「そうでしたね。私たちが託したことは、
  人として生きるさまざまな経験を積んでからでしか実現できませんからね。
  でも、そのウロウロがあの方の持ち味。私たちの力ではどうにも制御できないこともありましょう
 「そうですよ。何でも意のままに動かせるのでしたら、
  世の中そんな簡単なことはありません。そうでございましょう?」
 「あはは、仰るとおりでございますね、皆さま。では、また見守ることにいたしませう」
 「待たされましたので時間が不足してまいりました。
  時々はこうして気づきの機会をつくって差し上げないと」
 「仰るとおりでございますね〜、あの方には。ほほほ〜」
 6人はまたぞろ、さらに上を見上げて読経を始めるのであった。
 
               *   *   *
 
 江戸初期に、比叡山坂本から伝来されたとある「ささら祭り」。
 それを知ったときカヤは、体中の毛という毛が逆立つような気になって興奮した。無理もない。この土地を全く知らずに来て、仏像を作っているお陰で旧家の宮倉家を借りることができた、そう思っているのだから。そのささら祭りを宮倉家が主催していたとくればもう、仏縁、仏さまの縁(えにし)としか言いようがない。
 この興奮が冷めやらない彼女は宴の始まりに、組長からの紹介を受けたが気もそぞろ。挨拶を促されても、「坂村です。よろしくお願いいたします」としか言えなかった。というより、なぜか言う気しなかった。決して人前で喋るのが苦手なわけではない。がときに、言葉を失ったように口を閉ざすときがある。自然体であれば、どこまでも喋ることができるというのに、余計なことを喋るなとコントロールされているような・・・。
 たったのひと言である。60人は呆気にとられ、この新人が後になって地元に異を唱える行動を起すなんて、本人も含めてであるが、このときの誰もが想像できないでいた。
 2年後にはこの組織から抜けることになるカヤだが、それさえ想定外であったにもかかわらず、彼女は余計なことは一切言わなかった。かねてより、どこかに属することが妙に嫌いなだけであったからかもしれないが、関心のない人たち相手に、よそ者が何を言っても無駄であることを無意識に感じたのであった。
 
 それにしてもだ、この土地とカヤの作る仏像がつながるなんて、誰が想像したであろうか。否、である。誰もいはしない。
 この程度で驚くのは、まだ早かった。のちになって分かることだが、 この土地との出遭いは単なる偶然ではないと言えることが次々待っているのであった。
 
 
つづく
 

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