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大人は判ってくれない(1959年) 原題:LES QUATRE CENTS COUPS 時間:97分 / モノクロ 脚本:フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー 撮影:アンリ・ドカ 音楽:ジャン・コンスタンティン 出演:ジャン=ピエール・レオー、パトリック・オーフェー、 クレール・モーリエ、アルベール・レミー 学校で先生に目をつけられているアントワーヌは、今日も立たされ、落書きが見つかって居残りをさせられる。家に帰ると共働きの両親は喧嘩ばかりして、母はことあるごとにアントワーヌに用事を言いつける。翌日、宿題をやっていなかった彼は親友のルネに誘われるまま、学校をサボって映画を観に行く。そして次の日、欠席の理由に困り果て、先生に「母親が死んだ」と嘘をついてしまう。 ☆ ☆ ☆ これは言わずもがなトリュフォーの不遇の少年時代をそのまま映画にしてしまった、ヌーヴェル・ヴァーグの記念碑的作品。他のトリュフォー作品を知らないっていう人も、これだけは絶対に観たことがあるはずっていうくらい、思春期の少年の微妙な気持ちの揺れを描いた秀作として後世に語り継がれることは間違いないわけだけど。 トリュフォーの長編第一作目であるこの映画はね、「亡きアンドレ・バザンの思い出に」っていう献辞ではじまるの。アンドレ・バザンって人はね、映画評論家であり、問題児だったトリュフォーを映画の場所に導いてくれた人生の師であり、精神的父親だった。大人に見放されて育ったトリュフォー少年が、人生ではじめて心から信頼して尊敬できる大人、それがバザンだったの。だってね、問題児トリュフォーが少年鑑別所に入れられたとき、なんとかして鑑別所から出られるようにと熱心にかけあって、トリュフォーを引き取ったのもバザン。失恋の痛手に耐えきれず軍隊に志願したくせに、逃げ出して軍刑務所送りになったトリュフォーを救出したのもバザン(これはトリュフォーもトリュフォーで問題アリだけどさ)情緒不安定だったトリュフォーの気持ちを映画に向かせたのもバザン。本格的に映画批評を書かせたのもバザン。後々トリュフォーはバザンのことを精神的父親と呼ぶんだけど、バザンはトリュフォーの親代わりであり、人生の師であり、友人であり、兄弟であり、トリュフォーはバザンとの関係を、人生の幸福な出来事はすべてバザンに結びついていると言うほどだった。けれど、この『大人は判ってくれない』がクランクインをむかえた初日、悲運にもバザンは死んでしまうんだ。生きていたら、どんなにこの映画を観たかったことだろうって思うよ。バザンがいなければ、間違いなく映画監督トリュフォーはこの世にいなかったでしょう。 前置きはさておき、私はね、この映画を初めて観たとき(当時はこれが自伝的映画だってことも、トリュフォーの複雑なバックグラウンドも全く知らないまま観たわけなんだけど)確かに色々と感じたことはあったよ。でもさ、この映画をね、アントワーヌがかわいそうだとか、ひどい両親だとかって、そんな単純で陳腐な言葉で語ってはいけない気がしたんだよね。これはさ、いつの時代に誰が観ても「そりゃないよ」って感じの物語だよね。親の愛情に疑問を持った少年が、居心地の悪さから家出を繰り返した挙げ句、素行が悪くて手に負えないからって両親の手で少年鑑別所に入れられて、母親が迎えにきたかと思ったら、家に戻ってもお前の居場所はないから勝手にしなって突き放されるんだよ。しかもこのアントワーヌはさ、今の感覚からすれば、不良とは到底言えそうもない、世間から不良のレッテルを貼られたにすぎない孤独な少年なわけ。 きっとね、アントワーヌだって自分に無関心な両親に対して「そりゃないよ」って思ってたはずなんだよね。でも「そりゃないよ」って思っていても、アントワーヌには成す術がないんだよ。「お母さんが死んだ」っていう縁起でもない嘘をついて両親を怒らせるわけだけれど、それはさ、よく子供が親の気を引くためにするようなイタズラじゃなくて、両親とのあいだに波風を立てないようにするための最小限の自己防衛でしかないんだよね。だからこの映画は『大人は判ってくれない』っていうタイトルだけど、子供の気持ちを判って欲しいんだ、っていうような主張はほとんど感じられないわけ。アントワーヌを見てるとさ、両親に見放されているってことを知って、家では自分の存在を薄めようと薄めようとするわけじゃない。もはや両親の前では自己主張することも許されないと悟って、泣くわけでも怒りをぶつけるわけでもなく、親に愛されていない子供として両親とうまく折り合いをつけることがアントワーヌにできる唯一の自己防衛なわけだよ。この状況を「そりゃないよ」以外になんと言えばいいのっていう話だよね。さもなければ道化にでもなれって言ってるようなものだよ。 トリュフォーはこの映画をどんな気持ちで撮っていたんだろうか。不思議なことに、私はこの作品から大人に対する怒りだとか憎悪という感情はまったく読み取ることができないんだ。トリュフォーはきっと個人的な感情だけで映画を撮るということを嫌ったと思うし、アントワーヌ役のジャン=ピエール・レオーに自身を重ねると同時に映画を撮る喜びを見出していたんだろうね。トリュフォーが子供に向ける眼差しっていうのは、自分が幼い頃の親に愛されたことのない記憶を呼び起こすものではなく、映画を撮る喜びに結びつくものなんだと思う。この映画が大人に対する怒りを作り手が一方的にぶつけたものでなく、思春期の少年の揺れる気持ちをそのまま描くだけに留まっているのは、アンドレ・バザンっていうはじめて心から信頼し尊敬できる大人に出会ったトリュフォー少年が「人を愛することのやさしさ」ってものを見出すことができからだと思うんだよね。 この映画は大人を非難するようなお説教じみた雰囲気もなければ、親に見捨てられたかわいそうな子供がいたら救いの手を差し伸べてあげてくださいっていうような、観客の同情を煽るための物語でもないわけよ。あるのは自分を脅かす存在の大人や世間に対して叫ぶ声も持たない弱い立場にある子供の等身大の姿、どうしようもできない感情だよね。ラストシーンの、鑑別所から逃走して海辺にたどりついたアントワーヌの表情がね、それを物語っているように思うんだ。「だから、それがどうしたんです?」っていう顔でカメラを見てるんだよね。 鑑別所を出たトリュフォー少年はアンドレ・バザンという人生の師に出会う。では、この映画のアントワーヌはどこへ向かうのか。トリュフォーはこのあと、世界的にも例を見ないシリーズものを撮ってしまう。俗に「ドワネルもの」と呼ばれるこのシリーズは、二十年の歳月にわたりアントワーヌの人生を追いかけ、アントワーヌを演じたジャン=ピエール・レオーの成長とともに描かれることになるのよね。
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トリュフォーの感性、好きです。
かえでさん、一度これ読んでみて下さい。「サンデー・ラヴァー」
2009/9/17(木) 午前 10:26 [ ユウジ ]
見ちゃいました。やっぱり面白いですね!
「先生、実は母が…」「母がどうした?」「死にました」のところ,声をあげて笑ってしまいました。英語教師が「father」の発音を教えるところも。大人が悪いとか子どもが可哀相という以前に,悪童たちの奮闘ぶりに単純に心打たれました。
2009/9/28(月) 午後 9:58
ラストシーン,三好達治の詩を思い出しました。
「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」
海に入っていこうとした時,ほんの一刹那「えっ!死んじゃうの?」って思ってしまったんですが,そうじゃなかったんですね。
あの場面,精神分析学的な読みをすれば,母を求めて突っ走ったんでしょうね。でもそのことを自覚できないドワネルが,「なんで僕はここに来ちゃったの?」って感じの顔かなぁと私は思いました。
でもあの顔には確かに「だから、それがどうしたんです?」みたいな気分がただよっていますね。観客の感情移入からずれたところに身を置いて,「ふふん」と言っているような。
とにかく,かえでさんの記事をきっかけに見ることができて良かったです。また機会をみつけて,少しずつレンタルしてきます(=^エ^=)。
2009/9/28(月) 午後 10:08
のなぢゅんさん、トリュフォー観られたのですね!嬉しいです!
「仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある」っていうの、凄く感慨深いですね。そういえば、カミュの『異邦人』のムルソーの殺人動機は「太陽と海のせい」でした。サルトルの『嘔吐』の主人公が「吐き気」を感じたのは海で拾った小石から始まっていますね。すげ。
アントワーヌに肩入れしてしまうのは当然ですが、私は授業中に教科書をやぶいていた少年がとても好きなキャラです。トリュフォーがこの次に撮った『ピアニストを撃て』にも出演しているんですよ。そっちもかなりおすすめです。
2009/9/29(火) 午後 11:30
母と海,mereとmerという文字のレベルの話なんですけど,羊水は太古の海の成分と同じだという話ですし,意味深ですよね。ラストシーンでアントワーヌが海まで行った時,死ぬかもしれないと感じたのは,胎内回帰と考えるとあながちピント外れではないのかなぁなどとも思い返しています。
アントワーヌが精神科医の診断を受ける場面がありましたけど,トリュフォーが心理学的なシンボルを使っていると考えると,最後の場面の背景に写っている馬も意味深なんですよね。
2009/9/29(火) 午後 11:43
インクで汚しちゃったノート(?)をビリビリ破いちゃう少年ですよね。手も汚しちゃって,最後は表紙の厚紙だけになっちゃって…。
授業中に先生の話なんか聞かないで,こういうわけのわからないことをやっていたよなぁと思いながら見ていたら,なんか鼻の奥がツーントくる感じでした。赤頭巾ちゃんの人形劇を見ている子どもたちの表情もすごく良かったし,トリュフォーの子どもを見る眼差しがとにかく良かったです。きっと子どもたちの中に自分を見ているんでしょうね。
『ピアニストを撃て』も,年内に時間を作って(たぶんホームシアター祭りのときに),きっと観ます!
2009/9/29(火) 午後 11:47
なんだかあまりに久々すぎてトラバのやり方を忘れてしまい、苦戦してしまいました。ちゃんとできてるかなあ?
2009/10/7(水) 午後 10:48
ちゃんとできてますヨ。( v^-゚)Thanks♪
最新のトラックバックに「大人は判ってくれない」と表示されてます。ムフフ…って感じです^^
2009/10/7(水) 午後 10:59
トラバ成功〜よかったです(๑→‿ฺ←๑)ムフフ...
2009/10/8(木) 午後 10:49