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ピアニストを撃て(1960年) 原題:TIREZ SUR LE PIANISTE 時間:88分 / モノクロ 原作:デヴィッド・グーディス 脚本:フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー 撮影:ラウール・クタール 音楽:ジョルジュ・ドルリュー 出演:シャルル・アズナヴール、マリー・デュボワ他 何者かに追われているらしい男が電柱にぶつかって、通行人と結婚生活について雑談する。男は酒場に入り、そこでピアノを弾いている弟シャルリを訪ねる。男は弟のピアノでのんきに踊っているが、そこに二人組のギャングがやってきて裏口から逃げ出した。シャルリはウエイトレスのレナが自分に気があると知って舞い上がる。しかし臆病なシャルリはレナの手も握れない。 ☆ ☆ ☆ 私はこの、人を食った展開っていうの?かなり好きなんだな!この映画に関しては本当にツッコミどころ満載っていうくらい、粋なことをやってくれてるんだよ、トリュフォーは。それにしても、なんともまあ忙しい映画よね。90分足らずの時間に詰め込まれる中身の大胆さ。何者かに追われるシコ兄貴というプロット、シャルリとレナのプロット、シャルリと妻のプロット、そして従来のギャング映画をうまく崩してみせた軽妙洒脱な会話を畳み込んでバタバタと進んでいくわけ。一体どこに焦点を合わせて観ればいいのよって、はじめは戸惑っちゃうんだけどさ。でもこういう奇をてらったあたりに若さを感じるのよね。だからこれはギャング映画がどうしてもギャング映画ならざる方向へ進んでしまう、トリュフォーならではのギャング映画なの。タイトルからサスペンスを期待すると、いい意味で裏切られる。これもまたトリュフォー。 まずさ、何者かに追われているらしいシコ兄貴が電柱に思いきり頭をぶつけて、倒れたシコ兄貴に通行人が手を差し伸べるわけ。で、そのあとなぜかシコ兄貴と通行人は結婚生活について深く語り合ってしまうんだよね。しかも二人の会話はそのあとの展開にはまったくもって関係ない!シコ兄貴、追われてるんなら逃げるのが先じゃん!って感じ。もう冒頭から緊張感なんてまるでないのね。お次は二人組のギャング、これがまたギャングの風格ゼロっていうか、あなたたちマジメに仕事する気、あります?っていうほどおバカさんなわけ。人質に独自の女性論を熱く語るギャングがどこにいるんだって感じ。しかも人質と話が盛り上がっちゃって、けっきょく人質には簡単に逃げられて。子供を誘拐して、このスカーフ日本製なんだぜ、いいだろうって自慢したりね。もう最高だわ。 あと主人公のシャルリ。昔は有名なピアニストだったんだけど、訳あって今は場末の酒場でピアノを弾いている。演じているのは本業も歌手であるシャルル・アズナヴール。ナイーヴな雰囲気と華奢で気が弱そうな容貌がかなり役にはまってるよね。一口メモを添えると、『勝手にしやがれ』のジャンポール・ベルモンドが演じた役を、ゴダールは最初、彼にやらせたかったらしいんだよね。でもトリュフォーがこの映画で使うなら、君に譲るというわけだ。まあそれで結果的には正解だったよね。シャルル・アズナヴールが「パットリッシア〜!」なんて女の尻を追いかける姿はすこぶる似合わない、と思うんだけど。で、シャルリが同じ酒場で働くウェイトレスのレナに好意を寄せられるんだけど、というかそこのマスターに「どうやらレナはお前のことが好きらしいぜ」と吹き込まれてすっかり舞い上がってしまうわけ。その帰り道、シャルリの頭の中を「何を話せばいいんだろう」とか「飲みに誘ったほうがいいのか」とか色んなことがよぎるわけ。二人並んで歩いても、手を握ろうとか肩に手を回そうとか、あれこれ考えるんだけど、何もできないわけよ。意を決して「飲みにいかない?」と言えたときには、もうレナの姿はなくなってるのね。そのぐらい臆病で弱気な男なんだ、シャルリって。でもそれは悲しい過去があったからなのよね。 でね、この映画を撮った20年くらいあとの話。「どんな映画を撮りたいか?」っていうインタビューに、トリュフォーは「ギャングのことはよく分からないし、分かりたくもないから、ギャング映画は好きになれない」って答えているの。じゃあこの映画はギャング映画としては失敗作なのか、そもそもギャング映画じゃないのかって思うわけよ。となると、この映画はけっきょくピアノだけが友達の、一人の弱気な男の話なのかもしれないよね。シャルリは弱気を直す講座のようなものに通おうとしてみたり、そのための本を買おうとする(傍からみればこのシーンはかなり面白いのだ)だからね、根底には弱気から抜け出せない男の姿があるわけ。シコ兄貴の頼みも断れず、レナの手も握れない。妻に大事なことも言えず、自分が正しいと主張することもできない、そんな男。そりゃあね「ストッキングを買ってきて」と頼まれても仕方ないでしょ、って思うわ。そんな弱気な男を象徴するように「ストッキングを買ってきて」と頼まれる男はこのあとの作品にも出てくるんだよね。『大人は判ってくれない』のアントワーヌも、シリーズを重ねるごとにどんどんダメ男になっていくわけだしさ。てことは、この映画はやっぱり「ダメ男シリーズ」第一弾なのか!? まだまだ言いたいことがいっぱいあるんだけど、シャルリの弟がリシャール・カナヤンだったり(この子は『大人は判ってくれない』のオーディション映像でやたらと渋い声で歌っている姿が、かなり私のツボだったのね)「女にモテないのはこの顔のせいだ!」と嘆く酒場の主人とか、「おっぱいの歌」のうしろで終始ものすごい笑顔をふりまくバンドの人とか、脇役に面白い人がたくさんいるわけだよ。脇役に魅力をもたせるって、トリュフォーがお得意とするところよね。そして最後の新しいウエイトレスの娘がさ、髪をおさげに結んでて、これがまたすばらしく感傷的になってしまうのよね。
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ご訪問どうもありがとうございました。
なるほどこれが「ダメ男シリーズ」第一段だったんですね(^^)
この映画には興味深い裏話がたくさんありますね。トリュフォーがギャング映画を好きになれないと話していたとは知りませんでした。
TBさせてくださいね。
2009/9/13(日) 午前 6:22
ああ・・ヒッチさん!コメント気づかなくてすみません!TBありがとうございます。トリュフォーの作品はストーリー云々より細部の会話がセットなんかが非常に面白いですよね。私、この映画の「おっぱいの歌」だいすきです。
2009/10/31(土) 午後 9:17