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			<title>ミニマム書架。</title>
			<description>日々のこと、文学、映画について書き散らしています。好きな現代作家は阿部和重、保坂和志、村上春樹。好きな映画監督はフランソワ・トリュフォー、ジャック・リヴェット。好きな食べ物はじゃがりこです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>ミニマム書架。</title>
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			<description>日々のこと、文学、映画について書き散らしています。好きな現代作家は阿部和重、保坂和志、村上春樹。好きな映画監督はフランソワ・トリュフォー、ジャック・リヴェット。好きな食べ物はじゃがりこです。</description>
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			<title>華氏４５１</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b0-f2/nejimaki_kaede/folder/1505926/37/59198237/img_0?1424210647&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_200_274&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;華氏４５１（１９６６年）&lt;br /&gt;
原題：FAHRENHEIT 451&lt;br /&gt;
製作国：イギリス / フランス&lt;br /&gt;
時間：１１２分 / カラー&lt;br /&gt;
原作：レイ・ブラッドベリ&lt;br /&gt;
脚本：フランソワ・トリュフォー、ジャン＝ルイ・リシャール&lt;br /&gt;
撮影：ニコラス・ローグ&lt;br /&gt;
音楽：バーナード・ハーマン&lt;br /&gt;
出演：オスカー・ウェルナー、ジュリー・クリスティ他&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　近未来、活字のない社会。そこでは読書が全面的に禁じられ、本を読む者は反社会分子とみなされていた。すべてが耐火住宅になり、本来ならば火を消すはずであった「消防士」の仕事は禁止されている本を探索し、それらに火をつけて消却すること。有能な消防士として昇進も約束されているモンターグ青年は、ある日モノレールの中で近所に住むクラリスという女性に「本を読んだことがある？」と声をかけられる。家でテレビばかりを見、薬物で恍惚感に浸る妻に見た目はそっくりながらも溌剌としたクラリスと親しくなるにつれ、モンターグは禁止されている書物へ興味を抱くようになる……&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　☆　☆　☆&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　これまでトリュフォーの映画についていくつか記事を書いてきましたが、私が彼の作品に惹かれる大きな理由は、そのどれもが本好きの人間のための映画だからです。トリュフォーの映画では書物を読む、手紙を書く、文章をタイプするなどといった行為が非常に重要な役割を果たしています。どの作品も読書好きのトリュフォーらしいユーモアに彩られ、本好きの人間であれば間違いなく彼の心配りに親しみを感じることでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そんなトリュフォーの書物への愛がひしひしと伝わってくるのがこの&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0017XB4Y0?ie=UTF8&amp;tag=iamakitt-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B0017XB4Y0&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;『華氏451』&lt;/a&gt;です。活字が全面的に禁止された社会を描いたレイ・ブラッドベリのSF小説&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4150116911?ie=UTF8&amp;tag=iamakitt-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4150116911&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;『華氏451度』&lt;/a&gt;を映画化したものなのですが、トリュフォーが大のSF嫌いであったこともあり、SF的な要素を抑えた人間味溢れる作品に仕上がっています。一部では駄作とみなされトリュフォー自身も失敗作と認めていたらしいのですが、なによりも書物への愛に満ちた素晴らしい映画なのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　おそらくこれは原作も相当面白いはずです。本が禁止されるということと、それを取り締まるのが消防士という発想。そして原作の世界観を見事に映像化したトリュフォーがすごい。60年代からみた近未来という設定だから、もしかしたら今頃の時代を想定したのかもしれません。「いとこ」たちが出演するスクリーン、モノレール、規格化された住宅...細部まで見るとこれはちょっとおかしいよねというところもありますが、殺伐としたひとつの時代のイメージを十分に伝えています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そして何より本が燃えるシーンの美しさと、本を読むシーンの素晴らしさ。これらのシーンに心が動かされるということは、感情移入ではないけれど本に愛着を覚えるからではないでしょうか。もちろん映画の主人公はモンターグなのですが、焦点が当てられるのは本です。本が燃えるシーンを見つめている時の自分の心理を見つめ返すことによってこの映画の素晴らしさがわかるのだと思います。そして本への愛着があれば、自ずとラストシーンが美しく感動的なものになるでしょう。トリュフォーの映画はどれも脱線が面白く泣いている暇などはないのですが、この映画のラストだけは特別でした。映画好きの人だけでなく、本が好きな人にも是非観てもらいたい作品です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　☆　☆　☆&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　この『華氏451』を『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』で知られるフランク・タラボン監督がメガホンを取り、ハリウッドでリメイクする話がどうやら進行中のようです。２００４年にタラボン氏はトリュフォー版『華氏451』を「パッションに欠ける」と言い、今回の企画をリメイクとも思っていないようで、これまで一度も映画化されていない本の映画化と考えているらしいのです。はて、トリュフォー版のどこがパッションが欠けているというのでしょうか。トリュフォーほど書物への情熱に溢れた作品を撮り続けた映画監督が他にいるとしたらぜひ教えてもらいたいものです。トリュフォーの書物への愛が彼の映画の根底にあるということはこの『華氏451』に限らず、女性や恋愛テーマにした他の作品を観ても歴然としています。例えば脚フェチ男の恋愛遍歴を描いた『恋愛日記』（1977年）のなかにこのような台詞があります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「一冊の本が出版されるということは、この世に赤ん坊が生まれるのと同じように素晴らしいことなのだ」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　タラボン氏がトリュフォー版『華氏451』を「パッションに欠ける」としたのは、原作がとても情熱的な本であるにもかかわらず、原作にみられる情熱が映画には感じられず、それどころかとてもビザールな作品に仕上がっているという点からです。原作を読んでいないので私も偉そうなことは言えないのですが、ハリウッドのCG演出に慣れてしまった人間が、トリュフォー版『華氏451』を奇妙な作品と感じるのは致し方のないことのようにも思えます。しかしこのリメイクの話、一度消えたかと思いきや、２００８年の時点でキャスティングの段階という情報があったり、いまひとつとぱっとしないようです。個人的にはハリウッド演出お得意の爆破シーン（タラボン氏の言うパッションとやらが見られるのはおそらくこれなのではないかと思うのですが）をてんこ盛りでやられるのであれば企画倒れで終わって欲しいのですが...どうなるのでしょう。トリュフォーの人柄込みで観てしまう、トリュフォーが撮るから面白いと考えてしまう私としては、ハリウッド版はあまり見たくないというのが本音なのです...&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/59198237.html</link>
			<pubDate>Fri, 27 Nov 2009 00:19:37 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>アデルの恋の物語</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b0-f2/nejimaki_kaede/folder/1505926/19/59088019/img_0?1257676266&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_200_266&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アデルの恋の物語（１９７５年）&lt;br /&gt;
原題：L&amp;#39;HISTOIRE D&amp;#39;ADELE H.&lt;br /&gt;
時間：９７分 / カラー&lt;br /&gt;
原作：フランセス・V・ギール&lt;br /&gt;
脚本：フランソワ・トリュフォー、ジャン・グリュオー、シュザンヌ・シフマン&lt;br /&gt;
撮影：ネストール・アルメンドロス&lt;br /&gt;
音楽：モーリス・ジョーベール&lt;br /&gt;
出演：イザベル・アジャーニ　他&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　１８６３年、カナダの港町アリファックスに一人の女性が降り立つ。下宿先に落ち着いた彼女は名前をミス・ルーニーと名乗る。どうやら恋人である英国軍のピンソン中尉を探しているらしい。しかし彼女の言葉とは反対に、ピンソン中尉には復縁の意思はないようだが……&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　☆　☆　☆&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　これは文豪ヴィクトル・ユゴーの愛娘、アデル・ユゴーの生涯を綴った『アデル・ユゴーの日記』が原作になっているんだけど、とにかくアデルを演じたイザベル・アジャーニの激しさに圧倒されまくり。まさに究極の愛に生きる女！っていう感じなのよ。アデルは３３歳の設定なのに、イザベル・アジャーニは当時まだ１８歳だったわけ。当然のことながらアデル役には若すぎるんじゃないの？っていう声がね、あったみたいなのね。でもね、トリュフォーは「誰もそんなこと考えないだろう」って言い切ったんだってさ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　その言葉どおり、もうこの作品はアデル・ユゴーの映画っていうよりはイザベル・アジャーニの映画っていう感じ。真の主役の座をね、女優が完全に乗っ取ってるよね。前半の抑えた感情を紙に向かってペンを走らせるときの表情も、後半の感情が表にあらわれたときの激しさも、素晴らしいとしか言いようがないわけ。トリュフォーの映画で好きな女優を選べって言われたら、私は『アメリカの夜』のジャクリーン・ビセットか、この映画のイザベル・アジャーニだね、絶対。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　でもね、イザベル・アジャーニの演技に引き込まれることは確かなんだけど、これは今見ると完全にストーカー女の話だよね。別れた男を執拗に追いかける偏執狂な女ってのは、どう考えてもストーカー以外の何者でもないしね。今であればサスペンスとかホラーのジャンルで物語が作られそうな感じよ。現代の映画だとさ、ストーカーっていう行為を非難するにしても擁護するにしても、その精神構造を明らかにするっていうか、ストーカー女の心理を物語の中心に持ってきて「ストーカー＝狂気」みたいな視点で描くのが普通だと思うんだ。もちろんトリュフォーはそうはしないんだけどね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　トリュフォーはね、執念深い女の狂気を描いたんじゃなくて、一人の男に人生のすべてを捧げた女の愛を描いていると思うんだよね。最後にアデルがさ、愛する対象だったピンソン中尉に話かけられても見向きもしないで、彼の顔さえまともに認識できなくなって、愛する対象を失ってもまだ愛に身を投じる姿が映し出されるわけ。男に愛を捧げるんじゃなくて、愛そのものに身を捧げてしまうのよ。これはね、恋に生き、恋愛映画を撮り続けたトリュフォーの究極の愛の形と言えるのかもしれないよね。トリュフォーはきっと恋の究極的な形をアデルに投影してるはず。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　それで、結局のところ恋愛とは何かということを考えてみたとき、誰かを愛するということは個人のエゴ以外の何物でもないということをこの映画は改めて教えているような気がするんだよね。人を好きになれば相手を想うと同時に、その相手を想う自分をも愛するようになるわけでしょ。よく使われる表現だと、自分自身を好きにならなければ心から他人を愛することができないって言い方になっちゃうんだけどね。あと、想いを相手に打ち明けるっていうのは、同じように自分を愛の対象として見て欲しいって相手に強要するのと何ら変わりはないわけだし、恋愛って自己愛的なものが障壁になってさまざまな問題が生じるものなんだよね。そして自己愛が強ければそれだけ対象への執着や独占欲も強くなる。だから自己愛の強さが狂気へと導かれる過程というか、転換期というか、目に見える変化が生じたときには、本人の性格や育った環境といった心理面の問題を取り上げてあれこれ論じることは可能だと思うんだよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　だとすれば果たしてこの映画のアデルはどこで狂気に陥ってしまったんだろう。アデルにとっては自分がヴィクトル・ユゴーの娘である事実も含めて、この映画に描かれるすべてが真実だったはずだよね。ピンソン中尉との恋愛がアデルの勝手な思い込みによってつくられた妄想だとしてしまうことも、それを狂気と呼んでしまうのも簡単だと思う。でも、こうして書いてしまうとひどく陳腐な言い方になってしまうんだど、もしかしたらこの映画は狂気と正気の境界線はどこにあるのかということを表現しているのかもしれないよね。そして正気であると考えられる人間と狂気である人間の違いはその人の質の問題であって、決してどちらか一方に分類されるわけではないんだと思う。誰もが正気と狂気のあいだのどこかに位置づけられていて、そこには明確な境界線は存在しない。そして恋愛を目の前にしたときに、そういった違いを持ち出すことはナンセンスであるってことを、トリュフォーはこの映画で伝えたかったのかもしれないよねえ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;※これはアマゾンに投稿したレビューをさらに長々と書いたものです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/59088019.html</link>
			<pubDate>Sat, 31 Oct 2009 21:04:06 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>夜霧の恋人たち</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b0-f2/nejimaki_kaede/folder/1505926/16/59048216/img_0?1256991265&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_200_270&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;夜霧の恋人たち（１９６８年）&lt;br /&gt;
原題：BAISERS VOLES&lt;br /&gt;
時間：１０１分 / カラー&lt;br /&gt;
脚本：フランソワ・トリュフォー、クロード・ド・シヴレー、ベルナール・ルヴォン&lt;br /&gt;
撮影：ドーニス・クレルバル&lt;br /&gt;
音楽：アントワーヌ・デュワメル&lt;br /&gt;
出演：ジャン＝ピエール・レオー、クロード・ジャド　他&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;軍隊に志願するも素行不良のため除隊となってしまったアントワーヌはパリに戻り、その足で売春宿に行ったあと、昔のガールフレンドであったクリスティーヌを訪ねる。クリスティーヌは留守だったが彼女の父親にホテルの夜勤の仕事を紹介してもらうことができた。しかしトラブルに巻き込まれ、即刻クビに。そしてひょんなことから探偵事務所に就職することになり……&lt;br /&gt;
「アントワーヌ・ドワネルの冒険」第三部。「ドワネルもの」のなかではもっとも可愛らしい作品に仕上がっている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　☆　☆　☆&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　『二十歳の恋／アントワーヌとコレット』で見事、コレットにフラれたアントワーヌ。失恋のショックに耐えきれず、願いもしない軍隊に自ら入隊してしまう（これもトリュフォーの経験そのまま）しかしここでも素行不良とみなされ、除隊を余儀なくされてしまう。まあ、これは傍から見てもそりゃそうだよね、っていう感じ。仕事も恋もどこに行ってもあっちへフラフラこっちへフラフラしてるんだから、ちょっとは落ち着けよって思うわけ。ひとつのところに留まっていることができない風来坊ぶりは相変わらずなんだけど、若干天然ボケはいってるよね。小さい頃は感受性が強そうで、もうちょっとしっかりしてたんだけど。でも、なぜだかアントワーヌに肩入れしてしまうのだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　キャラが変わったといいつつも、少年時代のアントワーヌの姿が失われていない部分もあって、非常に淡々としてはいるのよね。無表情というか、なかなか感情を表に出すことがないわけよ。だからトリュフォーは彼に手紙を書かせたり、突発的な行動をとらせたりするんだと思うのね。本心をなかなか表に出さないタイプの人間の言動って、どこか滑稽だし、天然ボケのように見えることがあるじゃない。きっと同じようなことがアントワーヌにも言えるんだよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　クリスティーヌとの関係も奇妙っていえば奇妙なんだけど、特別な友人ではあるけれど恋人ではなくて。二人の会話シーンがあまりにも少ないためにクリスティーヌよりも彼女の両親と仲がいいように思うけれど、それでも二人はどこかで強く惹かれ合ったりすれ違ったりする。そんなナイーブなところがいかにもトリュフォーらしいのよ。 この映画で私がいちばん好きなのは最後の筆談ね。これは思い出すだけでニヤニヤしちゃうくらい素敵なシーンだからここには書かないでおくわ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ここまでくると回を重ねるごとにいくらダメ男になっていってもアントワーヌ・ドワネルっていうキャラクターはやっぱり魅力的で、あとに『家庭』『逃げ去る恋』と続くシリーズを次も見てみたいという衝動に駆られるのは間違いないのだ。そしてシリーズが進むにつれてトリュフォーの自伝的映画『大人は判ってくれない』に始まった「ドワネルもの」が、やがて「アントワーヌ・ドワネル＝トリュフォーの分身」というイメージは次第に薄れてくると思う。「ドワネルもの」はトリュフォーの自伝映画というよりはむしろ『大人は判ってくれない』以来、二十年間アントワーヌを演じ続けたジャン＝ピエール・レオーの成長記録というような雰囲気になってくるのね。トリュフォーとレオー、二重の構造を持つアントワーヌの成長というのは監督の成長でもあり役者の成長でもあるから、トリュフォーのファンにとってはこのシリーズが絶対的に面白いということになるのよ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　あと、この映画には教訓めいたがエピソードがいくつか盛り込まれていて、最も有名なのは機転の話。探偵調査を依頼された靴屋の社長夫人に恋をしてしまったアントワーヌが、社長夫人の前で緊張のあまり「ウィ、マダム」と応えるところを「ウィ、ムシュー」と言い間違えてその場から逃げ出してしまうのね。けれど社長夫人は後日アントワーヌに手紙を書いて、「男の人が浴室に入ったらすでに女性が入浴中でした。失礼しましたマダムと言えばそれは礼儀正しいことです。しかし失礼しました、ムシューと言ったのなら、それは機転です」と教えるの。これはいかにもトリュフォーらしいユーモアというか、『華氏451』で読書が禁止されてしまうのなら禁止されたことを嘆くのではなく、書物の内容をすべて暗記してしまえばいいという考え方にみられるような心の働かせ方なのよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そしてこの映画のなかでトリュフォーらしいやり方といえば、探偵事務所の爺さんが突然死しようがストーカー男が出て来ようが、それらしい匂いを醸し出しつつもサスペンスに転じることなく終始恋の話に徹しているところ。トリュフォーは観客も映画に参加できるように、わざとストーリーを省略して映画を作ることを好んでいたらしいんだけど、謎の愛の告白をして立ち去るストーカー男は要注意ね。このストーカー男の映画では見えなかった部分を想像してストーリーを組み立ててみるのも楽しいわ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ん～、それにしても邦題はなんとかならなかったのか。夜霧の…って裕次郎か、なんなのか、流行っていたのかね。安易すぎだわ。これじゃあトリュフォーも怒って当然。原題はなんとも可愛らしい、『盗まれた口づけ』です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/59048216.html</link>
			<pubDate>Wed, 21 Oct 2009 23:49:25 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>アントワーヌとコレット</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b0-f2/nejimaki_kaede/folder/1505926/26/58986226/img_0?1255009951&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_200_266&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アントワーヌとコレット（１９６２年）&lt;br /&gt;
原題：ANTOINE ET COLETTE&lt;br /&gt;
時間：短編 / モノクロ&lt;br /&gt;
脚本：フランソワ・トリュフォー&lt;br /&gt;
撮影：ラウール・クタール&lt;br /&gt;
音楽：ジョルジュ・ドリュー&lt;br /&gt;
出演：ジャン＝ピエール・レオー、マリー＝フランス・ピジェ&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『大人は判ってくれない』から三年後、少年鑑別所を抜け出したアントワーヌは１７歳になっていた。問題児の面影は薄れ、今はレコード工場で働き、いちおう社会復帰を果たしているようだ。そんなある日、アントワーヌは青年音楽連盟のコンサートでコレットという美少女に出会い、彼女に恋をする。しかし彼女の両親とは仲良くなったものの、コレットはつれない態度ばかり。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　☆　☆　☆&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;これは『大人は判ってくれない』の主人公アントワーヌ・ドワネルのその後の成長を追いかけた、俗に言う「ドワネルもの」の第二部にあたる作品。『二十歳の恋』っていうフランス、イタリアをはじめとする五カ国によるオムニバス映画の一遍として出品されたものなんだけど、クレジットタイトルをながめていたら、かの東京都知事、石原慎太郎の名前があるじゃないの。気になって調べてみると、なぜか日本版だけ行方不明らしいんだよね。私はトリュフォーの作品しか観ていないけどね。ほかの国の作品も観てみたいわ。とくに日本、ね。石原慎太郎っていうと、やっぱり太陽族っぽい雰囲気なのかしら。でもさ、フィルムってそう簡単に行方不明になるもんなのかねえ。しかも一カ国だけって。まあ、何十年後かには「これがかの石原都知事が監督した！」みたいなノリでひょっこり出てきそうな感じもするんだけど。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;物語のほうはというと、『大人は判ってくれない』から三年後の設定。アントワーヌの初恋を描いているの。少年鑑別所から逃走して海にたどりついたあのアントワーヌがさ、まあ一応、レコード工場でマジメ（？）に働いているのね。彼の複雑な少年時代を知っている、いち鑑賞者としてはアントワーヌの自立した姿がほんとうに微笑ましい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それでアントーワヌ君、クラシックコンサートでコレットという名の美少女と知り合って彼女に恋しちゃうんだけど、残念ながらコレットのほうはあまり気があるようには見えないんだよね。そんなコレットの気持ちに全く気づかないアントワーヌは当のコレットよりも彼女の両親と仲良くなって、それもすっかり気に入られちゃって食事にお呼ばれされたりする。しかしコレット嬢をデートに誘っても大学の勉強が忙しいとか色々と理由をつけて断られる。何度も断られている時点で少しはおかしいな、って気づくだろって思うんだけど、アントワーヌはひるまない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;いや、この人、ひるまないっていうか本気でコレットの気持ちに気づいてないみたい。かなりの鈍感ちゃん。決して最近でいう肉食男子っていうタイプではないのよね。というか、なぜだか性格がド天然になってるんだよね！三年前はもっとナイーヴで感受性が強そうな子だったはずなんだけど、何を考えてるんだか、コレットのアパートの前の部屋に引っ越しまでしちゃうわけ（かなりストーカー体質なドワネル）しかもこのエピソードはすべてトリュフォー自身の経験だというから驚きである。そしてトリュフォーはアントワーヌもびっくり、好きな子に相手にされなかったことで自殺未遂までしちゃったらしい。もうこの人、完全にアホだな（笑）けれどこうして映画のネタにしてしまうんだからね、しかも面白いんだよね。これに限らず、トリュフォーの映画ってそのほとんどが自身の体験ネタネタネタなの。どの作品でも赤裸々な告白をしてみせるわけ。トリュフォー映画の魅力ってやっぱりそこなんだと思うな。映画監督トリュフォーではなく、フランソワ・トリュフォーっていうひとりの人間、人間性込みでの感情で観てしまうんだよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;とりあえずこの『アントワーヌとコレット』でアントワーヌのキャラクターに若干の軌道修正があって、『夜霧の恋人たち』『家庭』『逃げ去る恋』といった感じでドワネルの冒険は続いていく。『大人は判ってくれない』のようなちょっと重苦しいテーマを扱ったお話ではなくて、恋愛コメディになっていくのだけど、アントワーヌが徐々にダメ男になっていく様にもね、注目して欲しいわ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/58986226.html</link>
			<pubDate>Wed, 07 Oct 2009 22:39:15 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>ピアニストを撃て</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b0-f2/nejimaki_kaede/folder/1505926/21/58871121/img_0?1256991745&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_200_267&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ピアニストを撃て（１９６０年）&lt;br /&gt;
原題：TIREZ SUR LE PIANISTE&lt;br /&gt;
時間：８８分 / モノクロ&lt;br /&gt;
原作：デヴィッド・グーディス&lt;br /&gt;
脚本：フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー&lt;br /&gt;
撮影：ラウール・クタール&lt;br /&gt;
音楽：ジョルジュ・ドルリュー&lt;br /&gt;
出演：シャルル・アズナヴール、マリー・デュボワ他&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;何者かに追われているらしい男が電柱にぶつかって、通行人と結婚生活について雑談する。男は酒場に入り、そこでピアノを弾いている弟シャルリを訪ねる。男は弟のピアノでのんきに踊っているが、そこに二人組のギャングがやってきて裏口から逃げ出した。シャルリはウエイトレスのレナが自分に気があると知って舞い上がる。しかし臆病なシャルリはレナの手も握れない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　☆　☆　☆&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　私はこの、人を食った展開っていうの？かなり好きなんだな！この映画に関しては本当にツッコミどころ満載っていうくらい、粋なことをやってくれてるんだよ、トリュフォーは。それにしても、なんともまあ忙しい映画よね。９０分足らずの時間に詰め込まれる中身の大胆さ。何者かに追われるシコ兄貴というプロット、シャルリとレナのプロット、シャルリと妻のプロット、そして従来のギャング映画をうまく崩してみせた軽妙洒脱な会話を畳み込んでバタバタと進んでいくわけ。一体どこに焦点を合わせて観ればいいのよって、はじめは戸惑っちゃうんだけどさ。でもこういう奇をてらったあたりに若さを感じるのよね。だからこれはギャング映画がどうしてもギャング映画ならざる方向へ進んでしまう、トリュフォーならではのギャング映画なの。タイトルからサスペンスを期待すると、いい意味で裏切られる。これもまたトリュフォー。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　まずさ、何者かに追われているらしいシコ兄貴が電柱に思いきり頭をぶつけて、倒れたシコ兄貴に通行人が手を差し伸べるわけ。で、そのあとなぜかシコ兄貴と通行人は結婚生活について深く語り合ってしまうんだよね。しかも二人の会話はそのあとの展開にはまったくもって関係ない！シコ兄貴、追われてるんなら逃げるのが先じゃん！って感じ。もう冒頭から緊張感なんてまるでないのね。お次は二人組のギャング、これがまたギャングの風格ゼロっていうか、あなたたちマジメに仕事する気、あります？っていうほどおバカさんなわけ。人質に独自の女性論を熱く語るギャングがどこにいるんだって感じ。しかも人質と話が盛り上がっちゃって、けっきょく人質には簡単に逃げられて。子供を誘拐して、このスカーフ日本製なんだぜ、いいだろうって自慢したりね。もう最高だわ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　あと主人公のシャルリ。昔は有名なピアニストだったんだけど、訳あって今は場末の酒場でピアノを弾いている。演じているのは本業も歌手であるシャルル・アズナヴール。ナイーヴな雰囲気と華奢で気が弱そうな容貌がかなり役にはまってるよね。一口メモを添えると、『勝手にしやがれ』のジャンポール・ベルモンドが演じた役を、ゴダールは最初、彼にやらせたかったらしいんだよね。でもトリュフォーがこの映画で使うなら、君に譲るというわけだ。まあそれで結果的には正解だったよね。シャルル・アズナヴールが「パットリッシア～！」なんて女の尻を追いかける姿はすこぶる似合わない、と思うんだけど。で、シャルリが同じ酒場で働くウェイトレスのレナに好意を寄せられるんだけど、というかそこのマスターに「どうやらレナはお前のことが好きらしいぜ」と吹き込まれてすっかり舞い上がってしまうわけ。その帰り道、シャルリの頭の中を「何を話せばいいんだろう」とか「飲みに誘ったほうがいいのか」とか色んなことがよぎるわけ。二人並んで歩いても、手を握ろうとか肩に手を回そうとか、あれこれ考えるんだけど、何もできないわけよ。意を決して「飲みにいかない？」と言えたときには、もうレナの姿はなくなってるのね。そのぐらい臆病で弱気な男なんだ、シャルリって。でもそれは悲しい過去があったからなのよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　でね、この映画を撮った２０年くらいあとの話。「どんな映画を撮りたいか？」っていうインタビューに、トリュフォーは「ギャングのことはよく分からないし、分かりたくもないから、ギャング映画は好きになれない」って答えているの。じゃあこの映画はギャング映画としては失敗作なのか、そもそもギャング映画じゃないのかって思うわけよ。となると、この映画はけっきょくピアノだけが友達の、一人の弱気な男の話なのかもしれないよね。シャルリは弱気を直す講座のようなものに通おうとしてみたり、そのための本を買おうとする（傍からみればこのシーンはかなり面白いのだ）だからね、根底には弱気から抜け出せない男の姿があるわけ。シコ兄貴の頼みも断れず、レナの手も握れない。妻に大事なことも言えず、自分が正しいと主張することもできない、そんな男。そりゃあね「ストッキングを買ってきて」と頼まれても仕方ないでしょ、って思うわ。そんな弱気な男を象徴するように「ストッキングを買ってきて」と頼まれる男はこのあとの作品にも出てくるんだよね。『大人は判ってくれない』のアントワーヌも、シリーズを重ねるごとにどんどんダメ男になっていくわけだしさ。てことは、この映画はやっぱり「ダメ男シリーズ」第一弾なのか！？&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　まだまだ言いたいことがいっぱいあるんだけど、シャルリの弟がリシャール・カナヤンだったり（この子は『大人は判ってくれない』のオーディション映像でやたらと渋い声で歌っている姿が、かなり私のツボだったのね）「女にモテないのはこの顔のせいだ！」と嘆く酒場の主人とか、「おっぱいの歌」のうしろで終始ものすごい笑顔をふりまくバンドの人とか、脇役に面白い人がたくさんいるわけだよ。脇役に魅力をもたせるって、トリュフォーがお得意とするところよね。そして最後の新しいウエイトレスの娘がさ、髪をおさげに結んでて、これがまたすばらしく感傷的になってしまうのよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/58871121.html</link>
			<pubDate>Sat, 12 Sep 2009 13:45:02 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>大人は判ってくれない</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b0-f2/nejimaki_kaede/folder/1505926/59/58871059/img_0?1255009759&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_200_267&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;大人は判ってくれない（１９５９年）&lt;br /&gt;
原題：LES QUATRE CENTS COUPS&lt;br /&gt;
時間：９７分 / モノクロ&lt;br /&gt;
脚本：フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー&lt;br /&gt;
撮影：アンリ・ドカ&lt;br /&gt;
音楽：ジャン・コンスタンティン&lt;br /&gt;
出演：ジャン＝ピエール・レオー、パトリック・オーフェー、 クレール・モーリエ、アルベール・レミー&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;学校で先生に目をつけられているアントワーヌは、今日も立たされ、落書きが見つかって居残りをさせられる。家に帰ると共働きの両親は喧嘩ばかりして、母はことあるごとにアントワーヌに用事を言いつける。翌日、宿題をやっていなかった彼は親友のルネに誘われるまま、学校をサボって映画を観に行く。そして次の日、欠席の理由に困り果て、先生に「母親が死んだ」と嘘をついてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　これは言わずもがなトリュフォーの不遇の少年時代をそのまま映画にしてしまった、ヌーヴェル・ヴァーグの記念碑的作品。他のトリュフォー作品を知らないっていう人も、これだけは絶対に観たことがあるはずっていうくらい、思春期の少年の微妙な気持ちの揺れを描いた秀作として後世に語り継がれることは間違いないわけだけど。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　トリュフォーの長編第一作目であるこの映画はね、「亡きアンドレ・バザンの思い出に」っていう献辞ではじまるの。アンドレ・バザンって人はね、映画評論家であり、問題児だったトリュフォーを映画の場所に導いてくれた人生の師であり、精神的父親だった。大人に見放されて育ったトリュフォー少年が、人生ではじめて心から信頼して尊敬できる大人、それがバザンだったの。だってね、問題児トリュフォーが少年鑑別所に入れられたとき、なんとかして鑑別所から出られるようにと熱心にかけあって、トリュフォーを引き取ったのもバザン。失恋の痛手に耐えきれず軍隊に志願したくせに、逃げ出して軍刑務所送りになったトリュフォーを救出したのもバザン（これはトリュフォーもトリュフォーで問題アリだけどさ）情緒不安定だったトリュフォーの気持ちを映画に向かせたのもバザン。本格的に映画批評を書かせたのもバザン。後々トリュフォーはバザンのことを精神的父親と呼ぶんだけど、バザンはトリュフォーの親代わりであり、人生の師であり、友人であり、兄弟であり、トリュフォーはバザンとの関係を、人生の幸福な出来事はすべてバザンに結びついていると言うほどだった。けれど、この『大人は判ってくれない』がクランクインをむかえた初日、悲運にもバザンは死んでしまうんだ。生きていたら、どんなにこの映画を観たかったことだろうって思うよ。バザンがいなければ、間違いなく映画監督トリュフォーはこの世にいなかったでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　前置きはさておき、私はね、この映画を初めて観たとき（当時はこれが自伝的映画だってことも、トリュフォーの複雑なバックグラウンドも全く知らないまま観たわけなんだけど）確かに色々と感じたことはあったよ。でもさ、この映画をね、アントワーヌがかわいそうだとか、ひどい両親だとかって、そんな単純で陳腐な言葉で語ってはいけない気がしたんだよね。これはさ、いつの時代に誰が観ても「そりゃないよ」って感じの物語だよね。親の愛情に疑問を持った少年が、居心地の悪さから家出を繰り返した挙げ句、素行が悪くて手に負えないからって両親の手で少年鑑別所に入れられて、母親が迎えにきたかと思ったら、家に戻ってもお前の居場所はないから勝手にしなって突き放されるんだよ。しかもこのアントワーヌはさ、今の感覚からすれば、不良とは到底言えそうもない、世間から不良のレッテルを貼られたにすぎない孤独な少年なわけ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　きっとね、アントワーヌだって自分に無関心な両親に対して「そりゃないよ」って思ってたはずなんだよね。でも「そりゃないよ」って思っていても、アントワーヌには成す術がないんだよ。「お母さんが死んだ」っていう縁起でもない嘘をついて両親を怒らせるわけだけれど、それはさ、よく子供が親の気を引くためにするようなイタズラじゃなくて、両親とのあいだに波風を立てないようにするための最小限の自己防衛でしかないんだよね。だからこの映画は『大人は判ってくれない』っていうタイトルだけど、子供の気持ちを判って欲しいんだ、っていうような主張はほとんど感じられないわけ。アントワーヌを見てるとさ、両親に見放されているってことを知って、家では自分の存在を薄めようと薄めようとするわけじゃない。もはや両親の前では自己主張することも許されないと悟って、泣くわけでも怒りをぶつけるわけでもなく、親に愛されていない子供として両親とうまく折り合いをつけることがアントワーヌにできる唯一の自己防衛なわけだよ。この状況を「そりゃないよ」以外になんと言えばいいのっていう話だよね。さもなければ道化にでもなれって言ってるようなものだよ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　トリュフォーはこの映画をどんな気持ちで撮っていたんだろうか。不思議なことに、私はこの作品から大人に対する怒りだとか憎悪という感情はまったく読み取ることができないんだ。トリュフォーはきっと個人的な感情だけで映画を撮るということを嫌ったと思うし、アントワーヌ役のジャン＝ピエール・レオーに自身を重ねると同時に映画を撮る喜びを見出していたんだろうね。トリュフォーが子供に向ける眼差しっていうのは、自分が幼い頃の親に愛されたことのない記憶を呼び起こすものではなく、映画を撮る喜びに結びつくものなんだと思う。この映画が大人に対する怒りを作り手が一方的にぶつけたものでなく、思春期の少年の揺れる気持ちをそのまま描くだけに留まっているのは、アンドレ・バザンっていうはじめて心から信頼し尊敬できる大人に出会ったトリュフォー少年が「人を愛することのやさしさ」ってものを見出すことができからだと思うんだよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　この映画は大人を非難するようなお説教じみた雰囲気もなければ、親に見捨てられたかわいそうな子供がいたら救いの手を差し伸べてあげてくださいっていうような、観客の同情を煽るための物語でもないわけよ。あるのは自分を脅かす存在の大人や世間に対して叫ぶ声も持たない弱い立場にある子供の等身大の姿、どうしようもできない感情だよね。ラストシーンの、鑑別所から逃走して海辺にたどりついたアントワーヌの表情がね、それを物語っているように思うんだ。「だから、それがどうしたんです？」っていう顔でカメラを見てるんだよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　鑑別所を出たトリュフォー少年はアンドレ・バザンという人生の師に出会う。では、この映画のアントワーヌはどこへ向かうのか。トリュフォーはこのあと、世界的にも例を見ないシリーズものを撮ってしまう。俗に「ドワネルもの」と呼ばれるこのシリーズは、二十年の歳月にわたりアントワーヌの人生を追いかけ、アントワーヌを演じたジャン＝ピエール・レオーの成長とともに描かれることになるのよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/58871059.html</link>
			<pubDate>Sat, 12 Sep 2009 13:20:51 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>トリュフォーの映画はココロのエイガ</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　今さら私がこんな場所でトリュフォーについて喋るのもなんだけど、あなたが映画好きの人であれば、フランソワ・トリュフォーの映画はよく知らなくてもヌーヴェル・ヴァーグって言葉は耳にしたことがあるよね。もしくはヌーヴェル・ヴァーグなんていう小難しい言葉はわからなくても、フランソワ・トリュフォーの名前はどこかで必ず見たり聞いたりしたことがあるはずだよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　まあ、きっとここをのぞいている人の大半は「そんな初歩的な話はよしてくれよ」ってうんざりしていると思うんだけどね、でもここは今後、もしかしたらトリュフォーの素晴らしい世界に触れるかもしれないぜって人がいると仮定して話をすすめると（っていうかトリュフォーの映画をまだ知らないって人は、是が非でも観たほうがいいと思うよ！）フランソワ・トリュフォーって人はヌーヴァエル・ヴァーグ、そしてフランスを代表する世界的な映画監督なのね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　え、ヌーヴェル・ヴァーグって何？ですって？そんなの自分で調べなさいっ！て一喝したいところだけど、もの凄く簡単に言っちゃうと、ヌーヴェル・ヴァーグはフランス語で「新しい波」っていう意味。それまでのフランス映画の在り方に疑問を持っていた映画狂の若者たちが集まって結成したクラブみたいなものだったのかな。最初のうちは上映会をひらいたり、雑誌に批評を書いたりするのが主な活動だったんだけど、やがて自分たちで映画を撮ってしまうのね。トリュフォーもその一員だったわけ。ヌーヴェル・ヴァーグについては丁寧に解説しているサイトがたっくさんあるから、詳しく知りたいって人は是非そっちも漁ってみて欲しいな。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ヌーヴェル・ヴァーグの映画はどれも本当に大好き。ゴダールもリヴェットもシャブロルもルイ・マルも、もとは単なる映画狂の若者（語弊あり？）だったっていうイメージがあるから、映画を自由に撮ることへの喜びがそのまま作品にあらわれている感じがするんだよね。好きな映画は？って聞かれたら、ヌーヴェル・ヴァーグ出身の監督の作品は間違いなく上位に挙がっちゃうよね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　でもね、そのなかでもトリュフォーの映画は特別なんだよね。よく、トリュフォーなんて「女と子供ばっかりの恋愛映画を撮ってるだけじゃん」って非難されることもあるけれど、私はトリュフォーの作品を一度もただの恋愛映画と思ったことがないんだ。それはきっと、どの作品もトリュフォーのやさしさに包まれているからなんだよね。大好きな映画へのやさしさ、愛する書物へのやさしさ、俳優へのやさしさ、観客へのやさしさ、そしてすべての人間に対するやさしさに溢れているのがトリュフォーの映画なの。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　トリュフォーがまだ『大人は判ってくれない』で華々しい監督デビューを果たす前に、ゴダールと共同で製作した『水の話』っていう短編映画があるんだけど、そのなかで主人公の女の子がこう言うの。「ちょうど洪水の中を走る車がまわり道をするように、私もまた脱線によって主題を語るのね」って。トリュフォーの映画ってまさにその通りなんだ。ギャング映画が女の脚を語る話に脱線してみたり、恋愛映画が突如としてサスペンスフルな方向へ脱線してみたり、ここですべてを挙げ出しちゃうときりがないってくらい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　このね、小洒落たユーモアたっぷりの脱線がトリュフォー映画の最大の魅力。物語の本筋とは違うところで、トリュフォー自身の秘密をこっそり観客に打ち明けてくれているような気がしちゃう。トリュフォーほど作り手の気持ちを作品に全力で投影して、出演者だけでなく自分の映画を観てくれる人たちにも親密な関係を求めた映画監督はいないと思うんだ。彼が残した作品はもちろん私の人生のタカラモノだけど、なによりもフランソワ・トリュフォーっていう一人の人間に魅力を感じるからココロのエイガになるのかもしれないね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;フランソワ・トリュフォー&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
１９３２年、パリ九区に生まれる。家庭の事情により孤独な幼少期をすごす。家出を繰り返し、１１歳頃から映画館に入り浸る。 １４歳で学業を放棄。シネクラブを設立した１６歳のとき、のちに精神的な父となる映画評論家のアンドレ・バザンに出会い、彼のもとで批評を書くようになる。その過激で辛辣な批評は「フランス映画の墓掘り人」と称された。やがて長編映画を撮る機会にめぐまれ、ヌーヴェル・ヴァーグの金字塔的作品ともいえる自身の不遇の少年時代をモデルにした『大人は判ってくれない』（原題：LES QUATRE CENTS COUPS / ４００回の殴打の意）で監督デビュー。以後、フランスを代表する映画監督として、女性や子供をテーマに愛の物語を撮り続けた。２５年間で長編短編合わせて２３本の作品を残し、８４年に脳腫瘍で死去。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/58871047.html</link>
			<pubDate>Sat, 12 Sep 2009 13:13:07 +0900</pubDate>
			<category>映画監督</category>
		</item>
		<item>
			<title>村上春樹とゴダールの『アルファヴィル』</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b0-f2/nejimaki_kaede/folder/434091/32/57370732/img_0?1276435218&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_245_343&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　昨年末、何気なくレンタル屋で借りたジャン＝リュック・ゴダールの『アルファヴィル』を鑑賞しました。冒頭から白黒で光の点滅をばんばんやられたのでやたらと目が疲れる映像だなという印象と、お姫様のようなヒロイン、アンナ・カリーナが今回もかわいいぜ、という作品の中身とはあまり関係のないところを中心に観ていました。しかし物語がラストに向かうにつれ、この映画はもしやあの小説の元ネタなのでは……と、思わずにんまりしてしまうようなが構想が浮かび上がりました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　村上春樹は過去に「僕の小説はゴダール映画の影響をかなり受けていると思う」とどこかで喋っていたと記憶しています。うろ覚えなのでインタビューでの発言かエッセイの内容か確かな出所は分かりませんが、『神の子どもたちはみな踊る』という短編集の中でもゴダールの『気狂いピエロ』の台詞を引用していますし、長編小説『アフターダーク』では主要舞台となるラブホテルに「アルファヴィル」という名前を与えているところから、ゴダール狂とまでは言えなくとも、何らかの思い入れがあることが伺えます。実は『アフターダーク』は期待して発売と同時に読んだのですが、村上作品の象徴ともいうべき天才的な比喩を意図的に追い払ったような味気ない文体と重厚感の得られない内容にかなりがっかりさせられた作品です。なので一度読んだきりで内容もすっかり忘れていましたし、もちろんゴダールの「アルファヴィル」が登場していたことも闇の奥底だったわけですが、先日たまたま映画関連のキーワードで検索していたら「アルファヴィル」が村上作品のホテルの名前に使われているという記事にぶつかりました。そこでさっそく本棚の奥の奥にあった『アフターダーク』を読み返し、ツタヤで二度目となる『アルファヴィル』を借りて繰り返し鑑賞してみました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　村上春樹はなぜラブホテルに「アルファヴィル」という名前を与えたのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　『アルファヴィル』（1965）は監督であるジャン＝リュック・ゴダール自身が「実験的・芸術的・半SF」と名付けた文明批判映画です。1984年のある夜、探偵レミー・コーション（エディ・コンスタンティーヌ）は地球から９千キロ離れた星雲都市アルファヴィルに潜入します。彼の目的は先に派遣されて消息を絶った仲間の行方を探すこと、アルファヴィルの統率者であるフォン・ヴラウン教授を救い出すか、それができねば殺すことです。しかしアルファヴィルに到着するないなや、彼はこの都市の人間がどこかおかしいことに気付きます……&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　村上春樹の『アフターダーク』のなかで映画『アルファヴィル』は次のように説明されています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;「……で、どういう意味なんだい、アルファヴィルって？」&lt;br /&gt;
「近未来の架空の都市の名前です」とマリは言う。「銀河系のどこかにある都市」&lt;br /&gt;
「じゃあ、SF映画なわけ？『スターウォーズ』みたいな？」&lt;br /&gt;
「いや、そういうんじゃないんです。特撮とかアクションとかはなくて……うまく説明できないけど、観念的な映画です。白黒映画で、台詞が多くて、アートシアターでやっているようなやつ」&lt;br /&gt;
「観念的っていうと？」&lt;br /&gt;
「たとえば、アルファヴィルでは涙を流して泣いた人は逮捕されて、公開処刑されるんです」&lt;br /&gt;
「なんで？」&lt;br /&gt;
「アルファヴィルでは、人は深い感情というものをもってはいけないから。だからそこには情愛みたいなものはありません。矛盾もアイロニーもありません。ものごとはみんな数式を使って集中的に処理されちゃうんです」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　「銀河系にあるどこかの都市」とマリが説明する通り、アルファヴィルの正確な位置は映画でも明らかにされていません。しかし映画のレミー・コーションの行動からも分かるように、アルファヴィルは車で行ける場所にあります。それは地球から遠く離れた銀河系の都市というよりは、どこかの国に隣接したごく普通の都市なのではないかという疑問と恐怖を我々に抱かせます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ゴダールの描いたアルファヴィルの基本理念は&lt;tt&gt;「沈黙・論理・安全・慎重」&lt;/tt&gt;です。そこで暮らす人々はα60という電子指令機の命令のままに行動し、外部の国のことを考えるのは禁止されています。アルファヴィルのホテルに到着したレミー・コーションは、そこで出会うすべての人間と会話が成り立たないことに腹を立てます。「&amp;quot;なぜ？&amp;quot;とはどういう意味だ、&amp;quot;だから&amp;quot;と言うべきだ」と罵られ「恋をするってどういうこと？」と聞き返され唖然とします。また、アルファヴィルの人間は出会ってすぐに&lt;tt&gt;「元気です、ありがとう、どうぞ」&lt;/tt&gt;という言葉を口にします。これは「こんにちは、元気？」「ありがとう、元気だよ、あなたは？」という一連の挨拶を端折ったものだと考えられます。そしてこの台詞はα60による論理整合的な言葉の合理化の象徴とも言うべき重要なキーワードです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ラブホテルの基本理念とは一体何でしょうか。ラブホテルに対する思い入れに個人差はあると思いますが、アルファヴィルの&lt;tt&gt;「沈黙・論理・安全・慎重」&lt;/tt&gt;という四原則がしっくり当てはまるのではないでしょうか。ラブホテルの利用者を娼婦と男性客に限定した『アフターダーク』はまさに&lt;tt&gt;「沈黙・論理・安全・慎重」&lt;/tt&gt;という理念の下に置かれた売春婦と男性客の関係を描いているように思えます。そして彼らの関係を端的に表しているのが、ゴダールの&lt;tt&gt;「元気です、ありがとう、どうぞ」&lt;/tt&gt;という合理化された言葉なのではないでしょうか。彼らはラブホテルの一室で形式的な挨拶を交わし、あとは手っ取り早く情事にふければいいだけのことですから、それに必要な言葉は&lt;tt&gt;「元気です、ありがとう、どうぞ」&lt;/tt&gt;という三単語で十分なわけです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　『アフターダーク』のなかで「アルファヴィルでは涙を流して泣いた人は逮捕されて、公開処刑されるんです」とマリは言います。映画ではこの公開処刑は「音と光のショー」と呼ばれ大々的に官庁で行われています。非論理的な行動をとった人間がプールサイドで銃殺され（奥さんが死んだときに泣いたという理由で罪となった男が登場します）水中に落下した遺体を水着姿の美女（＝娼婦を思わせます）が取り囲みます。その儀式は神秘的で芸術性さえ感じられる異様な光景です。そこで面白いのは処刑される人間の男女比が男50に対し女１の割合とされていることです。つまりアルファヴィルで涙を流して泣く人間は女性よりも男性の数が圧倒的に多く、α60の論理構造に吸収不能とみなされ殺されていくわけです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　しかし小説『アフターダーク』はどうでしょうか。ホテル「アルファヴィル」で涙を流したのは男性ではりません。涙を流して泣いたのは19歳の中国人娼婦です。彼女は予定より生理が早くきてしまったことに腹を立てた男性客に乱暴され、着ぐるみ剥がさたままホテルの一室に取り残されてしまいます。これは売春婦と客のあいだに暗黙のルールとしてはりめぐされた&lt;tt&gt;「沈黙・論理・安全・慎重」&lt;/tt&gt;という理念が完全に崩壊した状態と言えます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　小説は中国人組織に引き渡されたところで彼女に関する記述を終えています。しかし顔に暴行を受け、客商売として何の値打ちもなくなった娼婦の未来は安易に想像がつきます。アルファヴィルの環境に適応できず処刑されていく人間と同じように、彼女もネオン街の深まる闇に吸収され、いずれなくなってしまう存在だということがほのめかされているのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;つづく（かもしれない）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/57370732.html</link>
			<pubDate>Fri, 20 Mar 2009 20:04:32 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>庭とか</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;久しぶりに長文が書きたくなって移転先のjugemブログにログインと思ったら、IDとパスワードを忘れてしまった。それならヤフーブログにでもと思い新規投稿をクリックしたのはいいが、こちらは完全に投稿の仕方を忘れている。wiki文法って何だったっけ？&lt;br /&gt;
パソコンをMacBookに買い替えたのだけど、このブログも随分違って見えるものですね。どんなふうに違って見えるのかというと、画面の大きさのせいかもしれないのだけれど、けっこう見難いです(笑)&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;さてさて、一年半ぶりに帰って？きたわけですが、最近の私はというとガーデニングにハマっています。ハマっているといっても母の庭いじりに混ぜてもらっているだけなので、大層なことはしてないのですけど。今の時期は芍薬やら芥子やらで本当に庭が賑やかで、他所の庭を拝見しながら散歩するのも気持ちいいですね。ここ数ヶ月の庭の写真をアップします。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_0?1213782239&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_0?1213782239&quot; alt=&quot;alt&amp;#x009ed2;&amp;#x00767e;&amp;#x005408;&quot; border=&quot;0&quot; width=&quot;240&quot; height=&quot;320&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;クロユリ&lt;br /&gt;
母が義兄から北海道のお土産にもらったとかで、花をつけるのに20年(！)もかかったそうです。&lt;br /&gt;
去年は二輪でしたが今年はひとつ増えて三輪になっていました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_1?1213782239&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_1?1213782239&quot; alt=&quot;alt&amp;#x0030e9;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e9;&amp;#x0030c3;&amp;#x0030af;&quot; border=&quot;0&quot; width=&quot;320&quot; height=&quot;240&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ライラック&lt;br /&gt;
ほんのり甘い香りが好きです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_2?1213782239&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_2?1213782239&quot; alt=&quot;alt&amp;#x00540d;&amp;#x0079f0;&amp;#x004e0d;&amp;#x00660e;&quot; border=&quot;0&quot; width=&quot;320&quot; height=&quot;240&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;名称不明&lt;br /&gt;
地面を敷きつめるようにたくさん咲くのですが、名前の分からない白い花です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_3?1213782239&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_3?1213782239&quot; alt=&quot;alt&amp;#x0030c7;&amp;#x0030a3;&amp;#x0030e2;&amp;#x0030eb;&amp;#x0030d5;&amp;#x0030a9;&amp;#x0030bb;&amp;#x0030ab;&quot; border=&quot;0&quot; width=&quot;320&quot; height=&quot;240&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ディモルフォセカ&lt;br /&gt;
ホームセンターで買って鉢に植えて楽しみました。&lt;br /&gt;
花びらは薄らと青味がかった白です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_4?1213782239&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_4?1213782239&quot; alt=&quot;alt&amp;#x007261;&amp;#x004e39;&quot; border=&quot;0&quot; width=&quot;320&quot; height=&quot;240&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;牡丹&lt;br /&gt;
早朝つぼみだと思ったら一時間後には開花！といった驚愕の美は本当に見事です。&lt;br /&gt;
でも雨が降ってすぐだめになってしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_5?1213784249&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_5?1213784249&quot; alt=&quot;alt&amp;#x0082a5;&amp;#x005b50;&quot; border=&quot;0&quot; width=&quot;240&quot; height=&quot;320&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;芥子&lt;br /&gt;
確か以前記事にして紹介したと思うのですが、あれからこぼれ種で増え続けてカオス。&lt;br /&gt;
オレンジの他にピンクと薄紅が咲いていて、夏には黄色と白も咲く予定です。&lt;br /&gt;
遠くから見ると本当に綺麗ですよー。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_6?1213784249&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_6?1213784249&quot; alt=&quot;alt&amp;#x008594;&amp;#x008587;&quot; border=&quot;0&quot; width=&quot;240&quot; height=&quot;320&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;薔薇&lt;br /&gt;
言わずと知れた…切り花にして部屋に飾っています。&lt;br /&gt;
そろそろ終わりかな。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_7?1213784249&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_7?1213784249&quot; alt=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b0/f2/nejimaki_kaede/folder/1454899/img_1454899_53966199_7?1213784249&quot; border=&quot;0&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ニゲラ&lt;br /&gt;
大好きな青い花です！昨日からどんどん咲き始めました。&lt;br /&gt;
同級生宅の庭先に咲いているのを見て、綺麗だったので種をもらってきて植えました。&lt;br /&gt;
猫の髭みたいな葉っぱを見ると、無性にオカヒジキが食べたくなります(笑)&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;という具合に毎日楽しんでいます！&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;長文はおろか、久しぶりの記事でしたが、また身辺雑記や読んだ本のことなどのんびりと書いていけたらと考えているのでふらっと立ち寄っていただけると嬉しいです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/53966260.html</link>
			<pubDate>Wed, 18 Jun 2008 18:48:32 +0900</pubDate>
			<category>ガーデニング</category>
		</item>
		<item>
			<title>主な登場人物に阿部和重？――『シンセミア』が遂に文庫化</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b0-f2/nejimaki_kaede/folder/958724/38/39929538/img_0?1261707545&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_293_240&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;阿部和重の長編小説『シンセミア』がついに文庫化される。単行本は上・下二巻であったが、文庫版は全四巻。『シンセミア』機Ν兇錬隠扱遒法↓掘Ν犬錬隠鰻遒亡行されるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;原稿用紙千六百枚にも及ぶこの壮大な物語は、阿部和重の故郷、山形県東根市神町を舞台に、作品の背景を成す情報はすべて事実に基づいており（2000年当時の人口比率や選挙の状況、投票率など）、実際のデータを用いて虚構を描くことが著者のひとつの狙いでもあった。物語の中心となるのは、戦後「パンの田宮」を創業し神町の有力者となった田宮仁にはじまる田宮家と（阿部和重の実家はパン屋である）、同時期、「麻生興業」を創業し田宮と組んで町を牛耳ってきた麻生家、その後継者たち。さらに神町交番の若手警官、ビデオで盗撮を繰り返す神町青年団、産廃処分場設置に反対する市議や高校教師などが加わる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;写真は2003年に刊行された単行本の表紙を開いたもので、登場人物の名前が列挙されているのだが、その多さに度肝を抜かれる。主な登場人物として６０名もの名前が見開きで印刷されており、６０という数字に対し果たして「主な」とつけるべき必要があるのか？単純に登場人物で構わないのではないのか？という無駄な疑問も浮上するのだが、最終的には８０もの人間が登場する。しかしこの見開き一ページにわたって羅列された主な登場人物には、肝心な人物の名前が抜けている。その人物とは、何を隠そう著者の阿部和重である。ここで言う作者の登場とは、純文系の小説によくある著者に似た語り手という意味ではない。このえげつない田舎町ノワールには、阿部和重が阿部和重という役で登場し、挙句の果てにはボコボコにされるシーンまで盛り込まれているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;田宮家の長女、高校三年の彩香は、ＳＡＹＡというハンドルネームでホームページを開設した。それはまだ「日記を公開しているだけの超の付く初心者サイト」であったが、日記を更新するのが彩香の日課となっていた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　７／１６日曜日（快晴）&lt;br /&gt;
　わたしの家族ってやっぱり少し変わってるんじゃないかな、と思う。この頃ちょっとそれが悩み。&lt;br /&gt;
　（中略）&lt;br /&gt;
　今、阿部和重って人の『インディヴィジュアル・プロジェクション』という小説を読んでます。地元出身の作家って本屋で宣伝してたから、ずっと前から読んでみようかなと思ってたんだけれど、文庫本が最近出たので買いました。&lt;br /&gt;
　まだ途中（真ん中の辺り）なんだけれど、イマイチだね。女性キャラがあんまり出てこないし、出てきても添え物という感じ。キャラに魅力がない。それと、お話も何か、上辺を撫でただけで薄っぺらいという印象（って生意気かな？）。とにかく迫ってくるものがないんだよね。最後まで読めば何かあるのかな？地元でホントに起きた出来事を題材にした本だって噂を聞いて、面白そうかもって期待して読んでみたんだけれどよく判んないし。その辺の詳しい事情とか、誰か知らないかな。（上巻・Ｐ195）&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;四日後、阿部和重本人から「７月１６日の日記で彩香が挙げた作品の欠点や疑問点に対する回答が記された」メールが彩香のもとに届く。さらにそのあとには次のようなことが書かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　今年の夏は取材も兼ねて帰省する予定なので、出来ればＳＡＹＡさんとお会いしたいですね。どうですか？食事でも。行ける期間は盆休みの期間とずれちゃうから、そっちにいる友達とはあまり会えそうにないんですよ。まあそうでなくても、ＳＡＹＡさんとは会ってみたいなあ。直接会って、もっと率直に小説の感想とか聞かせて欲しいですよ。というか、真面目な話、取材を手伝ってもらえると助かるんだけど、無理かな？あ、少ないけど一応バイト代は出しますよ。ちなみに僕は実家には戻らず、ホテルに宿泊する予定です。温泉にも入りたいし。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　二度読むと、送り主が「阿部和重」本人かどうかはともかく、どことなく胡散臭い内容のメールではある、という感想を彩香は抱いた――日記を読み続けるうちに興味を覚えたにせよ、彼がなぜそれほどまでに面会したがるのか、いくら考えても理由が見当たらなかったからだ。しかし彩香は、メールの文面から読み取った如何わしい印象を、特に重く受け止めはしなかった…もしや自分は好意を持たれているのでは？という淡い予感が含まれていたのもまた確かだった。&lt;b&gt;この作家、わたしに気があるのかもしれない&lt;/b&gt;――今一度メールに目を通しながら、彩香はそのように推し量った。「バイトやりたいです」というタイトルのメールを書いた彼女は、自らの名前の下に、携帯電話の番号を記しておいた。（上巻・Ｐ209～210）&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;実際に起きた事件を文学作品として描くという試みは、これまで大江健三郎や三島由紀夫に代表されるように、既に成されてきたことであった。その逆をとり、現実のデータを使用して虚構を描くことが『シンセミア』のひとつの狙いである。つまり作中で起きた事件自体は全く存在せず、現実と虚構の関係性をズラしたことになるのだが、作者である阿部和重という名前が堂々と作中に登場することによって虚構（小説）のシステムは見事崩壊していく。小説というものは常に書き手・書かれたもの・読者のあいだにズレが生じるものだが、このズレが見事消化されていくのが阿部和重なのだ。ズレ＝違和感といったほうが判りやすい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;とにかく『シンセミア』の文庫化は話題を呼びそうなので今回は記事にしておいた。少しでも興味を持たれたら鬼だけ読んでみるのもいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nejimaki_kaede/39929538.html</link>
			<pubDate>Wed, 13 Sep 2006 20:05:16 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
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