|
母からの電話があった翌日、
入院している病院に行きました。 なぜ私に電話をかけたのかはわかりました。 弟と連絡が取れなかったからです。 手術の承諾書に身内のサインがいるからでした。 弟は携帯を忘れて仕事に出たとか 電源が切れたなど 言い訳をしておりました。 しかし、母の話では電源が切れた際の 「ただいま電波の繋がらない所おられるか、電源が入っていない為つながりません。」 ってヤツが流れなかったので 無視したんではないか思われます。 ゴールデンウィークの振り替え休日を利用して 最近ハマっている中国女性にあいに行ってたんでは… との電話言い訳の最初は真に受けていたけど 多分わざと出なかったんではと言うと 母が推理いたしました。 で、私と息子ががちょうど病院についた頃 弟とも連絡が取れて 私は用無しな感じになりました。 で、母の様態ですが 母はこの春、便秘に苦悩しておったそうです。 もともと便秘気味でしたので 掛かり付け病院で便秘のお薬を貰ったりしていたのですが、 一向に変わらないし、体調が悪くなったので 検査してみたそうです。 すると、紹介状を書くので大きめの病院に行くことを勧められたそうです。 すぐに検査して すぐに入院するようになったそうです。 便秘の原因は 腸に便が詰まっていたのではなく 逆に腸には何にもなく 胃で詰まっていたんだそうです。 胃の出口の所に腫瘍ができて 食べた物を通せんぼしていたそうで それとは知らずに 繊維質の物をせっせと食べていたので 胃がはち切れんばかりに膨らんでいたそうで あと何日か遅かったら胃が破裂していたかもとか…。 (そうだと食欲が減ってるか吐くかしてると思うが…) と、母が言っておりました。 とにかく、その腫瘍は良性悪性にかかわらず取り除かなければならなく その大きさが腹腔鏡手術で取り除ける大きさではないので 開腹しなければならないらしい。 で、手術は成功しました。 胃の三分の一と胆のうとリンパの一部を切除しました。 術後の切除部分は血が滴っておりましてなかなかな光景でしたか 見た目は変色あまり見られずきれいな方で 腫瘍部分は白っぽかったです。 術後の経過もほぼ毎日様子を見に行きましたが 日に日に良くなるのが手に取るように分かりました。 で、早くも退院して自宅静養に入っております。 退院後、実家に泊まってあげたかったですが、 なんせ、今までの事がありまして 大きな顔してそういう事がナビさんに言い出せなかったです。 で、入院は病院に退院後も実家に行っていることは 特に会話に出しておりません。 なぜにいつも私の周りに円く収まるという事がないのでしょうか…。 根の残るトラブルばっかりでその根で私はいつもがんじがらめです。 入院中の見舞いとか本当は嫌だったんです。 弟と何日も連絡がとれず 母は自分の兄やら妹やらに電話して相談して 警察に捜索依頼を出すとかなっていたそうで と、言う事は 多分、お医者さん達の反応や視線でもわかりましたが 音信不通の娘が来た〜〜って感じでした。 その音信不通の理由が半分事実でも 自分の都合にいいように言っているのでは と思うと本当に嫌でしたが 母が胃がんをあまりに深刻に言うので 私は自分の後悔のないようにしようと思うようにしました。 母の為とか思うと後で何か知ることがあったら 怒ったり悲しんだりしなきゃいけないけど 自分が後悔しない為だとなんでも割り切ることができました。 手術当日、 私と息子とで病院に向かうと 病院では弟と母の兄が来てまして 4年ぶりでしょうか 母の手術は11時から5時半までかかりました。 その間に弟に呼ばれて話をしましたが、 母の入院中とか退院後とかの話しをするのかと思ったら 父の残した父の別居の際に買った家の話でした。 よっぽどどうにかしたいのか知らないけど わざわざ母の手術中にする話でもないので お母さんと一緒に話をしようと言うと 「お母さんは関係ない。」と言い切るし 腹が立ってきたけど荒立てたくもなかったので いかにも不機嫌っぽく「考えとく。」と言っときました。 事情あって母の家を生前贈与したことにするために弟名義にしているのに 関係ないわけでもないはずなのに…。 とにかく、弟はあの父の家を口実に 父の遺産相続も未だしていない 市役所の評価価格360万円の家の半分の180万の権利を 80万で…と 私の誕生日にメールを入れてきたのが最後だったので あれからどうなっているのかわかりません。 当時は大阪勤務になるとか言って 京都からの通勤だとしんどいから 仮眠する場所にするとか言ってたのに 弟も都合のいいように 「そんなん言うて無い。」とか言うし。 どこまでも 歩み寄ることのない話になりそうなので うんざりです。 とにかく、 自分の気持ちとかいろんな思いと格闘している毎日です。 で、 毎日、昼間に一人お出かけしているので 必要以上に拗ねたり甘えたりしております。 |
無題
[ リスト | 詳細 ]
|
一昨々日の夜にお出掛けからの帰路中に電話が鳴った。
母親からだった。 着信者を画面で確認してるうちに切れたので恐る恐る折り返しかけた ゴソゴソ音がして誰かとコソコソ誰かと母の話し声がしていて こちらには「もしもし」も言わないので手違いでかけてきたかと思い、 こちらから切りました。 家に帰って息子に確認してみたら、 息子にも母から電話があったということでした。 息子に内容を訊くと 入院していて4日後手術するとのことでした。 息子は「病院行かなあかん。行け。絶対行け。」という 息子はかなり悪いように聞いたようだが、 どこなどの具体的なことは言わなかったと言う。 私自身も一瞬行かなあかん。と思ったが、 その夜はいろいろ考えた。 何故に私のところに連絡してきたか… 息子の言うことでは母は良かったら来ても来なくてもいいとか言ってたらしい。 悩んだ。 最後に母と話したとき あんたに面倒見てもらおうと思ってない。と言ってた母が私を呼ぶわけがない。 それが私の母の性格。 頑固と言うより強情って感じ。 私に連絡するなんて嫌なはず。 それが「来ても来なくてもいい」と言う言い回しにあらわれてる 本当に命に関わってどうしても来て欲しいと思う感じが湧かない。 ひっかかる。 母はごり押しの時はその事は忘れたかのごとく普通に来てとか言う。 しかし、その時は最終手段でとにかく今すぐ感を出してこちらが考える間を与えない。 今回は考える余裕があるわけでなんかおかしい。 息子が行かなあかん。と言っているんで行かなあかんが…。 翌日、悩んだ末に行くことにした。 腹をくくっても眠れなかった。 私が会いたくない見舞い人がいるのではとか 持っていくものとか 会ってすぐどう言えば…とか様々色々。 翌日なんやかんやで息子の起床を待ったが、遅いので気持ち限界で起こして 1時に出発、途中に一輪挿しとか花屋さんで花を買ったりして 2時前に病院に到着。 受付で病室の階を教えてもらい、その階のナースステーションで面会届けを書き、 病室を教えてもらってが手順だったが、 ナースステーション行くまでに母の病室はわかった。 廊下まで声が聞こえてた。 カーテンの隙間から電話してる姿が見えてた。 元気な声だった。 面会届けを書き病室に向かおうと歩きだすと 息子が「ちゃーちゃん」と言うので よくよく見て近づくと前から来てた人が母親だった。 私の視力は5m先の人物の見分けができない。 花を息子が渡すなり「花をあかんねん。花粉症の人もいてはるから。」と ナースステーションに中を確かめることなく持ってった。 で、病室に言ったが声が大きいので 談話コーナーに言って話をした。 母が私を呼んだわけがわかった。 入院は10日していたが、 私の弟と連絡がつかなかったからだった。 あまりに連絡がとれないので捜索願いをだすとかになるくらいになってたらしい。 手術の承諾書かなんかに身内の署名が必要だったからだった。 しかし、先程連絡が入ったらしい。 さっきの電話の相手は弟だった。 完全に私は用無しだったが、 見舞い来たのは母の二番目の兄のおじさんだけで 妹のおばさんは孫のお守りで足を挫いてこけて顔もぶつけて鼻も折れて 足のギブスが取れたとこでまだ出歩けないらしい。 その後、昨日今日と見舞いに行ったが 手術当日行くことになったが、 気が重い。 承諾書も弟に書いてもらう気が見えたし。 |
|
父親の遺産はもう貰えないだろう。
弟が管理するとか何とか言って独り占めしたのか 母が私が借りた分として分けたのか よくわからない。 連絡を取ってないから。 前も書いたけど 弁護士とかに相談すると エラい話になってしまって頭が痛くなった。 弟の職場に給料差し止めの手続きをせざる得ないとか 私の家が差し押さえになったのも 弟が遺産の分与に時間をかけたせいだから その事で訴える事ができるとか言い出すわけで 確かにうまくいけば家を手放さなくてよくなるかも… と、期待をした時もあったが どれもこれも人のせいにするのも… 大体、何でこうなったのか もともと、母が私と弟に格差をつけた育て方もおかしいではないであろうか。 母は私に異母兄弟の話をしているが弟には一切していないのである。 母親の違う兄がいるかもしれないだが、 生死はわからない。 と、言うかこの死に関しては信用できないのである。 生まれたことは確かなのであるが、 父は母に兄は死んだと言ったそうだが そんなこと 隠して子供を産ませたぐらいだから信じられるわけがない。 その兄を産んだ女性も 堕胎したと言って嘘をついていたのだから(実筆の手紙に書いてあった) その人が言う事も信じられない。 私には理解できないのである。 他の女と見合いした同棲相手の子供を産もうと思ったのか…。 そうとうな固い決心の上であろう。 しかし、結局頼るところが無く父の親戚の所で身を寄せて子供を産んだのだ。 その間に父と母はトントン拍子に結婚へ 結婚式の後、新婚旅行へ この間に兄が誕生している。 母は新婚旅行の後、父の職場に挨拶の電話を入れた時に 職場に出産が近いと父の居所を探す電話が入ったと聞いたので 新婚早々の父の裏切りに あの勝気な母はどう思ったのだろう。 当時としては豪華な結婚式した後なので 取り返しが出来ないと思ったのだろうか。 その後、母は二回流産した後に 最後の望みとして私が生まれたわけだけど 私が希望していた男の子で無かったことで大変落胆したようで 何度となくそのことは母の口から聞かされている。 父も男の子の名前しか考えてなかった。 女の子が生まれて焦って考えて 出なかったのでそれを表現したような名前である。 まぁ、こんなことも何度も聞かされているのだから 卑屈な性格になっても仕方ないだろう。 それでも非行に走ることなく育ったんだから ありがたいと思ってほしいもんだ。 しかし、弟は好き嫌いを言い、 隠れてお小遣いを貰い、 要領よく育ち 異母兄弟がいるとかもと言う現実知らされず 両親が私に諦めるよう言われた進学もし 自動車教習所も通わしてもらい 車も買ってもらい車庫代や車両保険も払ってもらい 結婚式も豪華にして貰い 妻に作った膨らんだ借金も支払ってもらい 浮気がバレた時もしりぬぐいをしてもらい 離婚をした時もいろいろしてもらい その後のいろいろも母にしりぬぐいをしてもらい 今があるのである。 なのに 私は母とうまくいかないのは 母が私を拒絶するからだ 弟とうまくいっている時は私は必要ないのである。 弟に相手にしてもらえなくなると 急に連絡入れて 甘えてくるのである。 母の行動にももう疲れた。 今更、母に振り回されるのも嫌なのである。 だから、連絡を入れないのだ。 もう疲れた。 本当に。 本当の家族って家庭って どんなものなんだ。 はっきり言って 今までの私は両親にしてきたように いい子ぶっていた。 いい子にしていればいつか良くなると思っていたからだ。 しかし、どうだろう いい子にしていても 放っていても大丈夫思われるようで 無視されるばかりであった。 本当は幸せそうな人を見て どうしてああにはなれないんだろうと思っていたのだ。 いつもいつも もう随分前からそういうものとは 縁が無いものと考えている。 それでも いい子でそういう気持ち押して 「よかったね」などと言ってはいたが 今ではもうそういうのも疲れた。 自分がウソ吐きでいい子ぶりだと嫌悪するからだ。 それで 他の人のブログにコメントを入れるのを辞めてしまった。 この迷路から抜け出るのに時間がかかるだろう。 もしかしたら、このままになるかもしれない。 それも仕方がない事なんだろう。 |
|
先日、
小学校からの付き合いで ずっとお互いの誕生日に 「お誕生日おめでとう」と 誕生日に言い合う人達がいてて 昔は電話でだったけど いつしかメールで送り合うようになって 去年はこなかったらしい。 長い間の付き合いでたまにしか会わない関係でも 今まで「お誕生日おめでとう」言葉だけでも つながってたはずだったのに 途切れるなんて せちがない世の中になっちまったもんだ。 ミクシーも辞めよかっなって言ってた。 実は私も去年そういう友達いなくなったんだよ。 まぁ、私の場合忘れがちな誕生日だから 仕方ないからと思っていたけど 2回一方通行だともうどうでもよくなってきて 向こうも冬休みが終わるころで誕生日に あまり祝ってもらえない人だったんだけど。 |
|
「5時半に起こしてほしい。」 と、頼まれていたので 5時半に清志郎様の声がこだましました。 「5時半やでぇ〜〜。」 と、起こしに声をかけて しばらくして ゆれるゆれるゆれるぅぅぅ〜 いつもはなかなか起きない息子ちゃんも さすがにこの揺れに飛び起きたようでした。 揺れているさなか 「テレビを点けて」と言われたんで テレビを点けようとリモコンを置いてたはずの炬燵上に リモコンちゃんがいないではないですかっ 灯りは息子が消してくれて 私がリモコンでテレビを消したはずだが 枕元にあるのかと探したがない 仕方がないから 本体で電源を入れようとしたんだけど いつもリモコンちゃん使うから電源ボタンの場所が… 昔のTVみたいにわかりやすい所についてないし 底面に付いてるし 寝起きで視力が弱ってるしで なかなか点けれなかった… で、結局ところ リモコンちゃんは揺れで炬燵の上から転がって 炬燵の側にございました。 いつもなら ニャンコが炬燵の上の物を落とすから 側に落ちているのは当たり前なのにね。 それにしても 眠くてテレビを点けた後 かすかに揺れているのに 寝ながら見ている私上に るなちゃんとマリアちゃんが怖かったのか 乗っておりました。 今日はいつもよりまして るなちゃんとまりあちゃんが 私にくっついてました。 ちなみに トラちゃんは和室の布団の上に寝ていたようです。 予知 なかったですね。 |




