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17日投稿阿千葉城跡の余談 この城跡下を赤保危と言う、剣村と中津屋村の村境でその昔は、人や馬車が道路から崖下へ落ちて越前街道でも屈指の難所であったと言う、昭和20年頃でも山側を剣用水が通り、狭い車線で其の上カーブも多く見通し最悪で、上には栃の木や楢の木が覆いかぶさり昼尚暗い場所でした、そんな所に大きな古狸が住み着いて時々格子縞の浴衣を着た大坊主に化けて旅人を驚かしていたそうだ。又阿千葉城の女人達の非業の死も有ったろうと、女人幽霊でも出そうな場所でもあった。 話は変わって私は昭和19年から、岐阜県各務ヶ原飛行場の川崎航空機岐阜工場に養成工で訓練学校に居ました。所が同20年6月22日と26日に米軍艦載機の空襲で大被害を受けて、若しかすると一命を落とす所でした。其の時は夜勤の実習を終えて寮に帰り点呼も終えて就寝の準備をしていた,2年生に成ったばかりで少し生意気にもなっていて、退避命令が出たのに押入れに入って隠れていた所へイキナリ敵機の機銃掃射を受け、近くへは1t爆弾も落とされ寮の二階から如何して降りたか解らないが、兎に角下の防空壕に入れてもらいに行くが、その壕は満員で警備の兵隊に追い返された、物凄い爆風で腸が飛び出る思いでした。機関銃の弾丸が異様な音を出して耳元をかすめる地上に伏せながら怖い物見たさもあって手の指の隙間から空を見ると急降下した戦闘機のアメリカ兵がかすか一瞬見えた、昼頃には敵機も去りその防空壕へ戻って見ると、壕の中に居た者皆生き埋めに成り死んでいた。助かったと言うより只呆然と立ちすくむだけ。 各務ヶ原空襲URLを貼りました。クリックして見て [ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%84%E5%8B%99%E5%8E%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2#.E5.90.84.E5.8B.99.E5.8E.9F.E7.A9.BA.E8.A5.B2.E4.BB.A5.E5.89.8D ]/ クリック そんな事で郡上から汽車で片道2時間余りを掛けて通勤になったが、寝る時間が極端に少なくなった、美濃白鳥駅終着列車午後11時頃の汽車に乗るが郡上八幡駅で機関車に水の補給に時間が掛かり遂ウトウトと眠気が差すと、すでに美濃白鳥駅、無賃乗車がばれると厄介な事、逃げるが勝ちと駅手達を振り切り線路伝いに我が家を指して一目散。
昭和20年7月9日の夜の出来事。灯火管制で辺りは真っ暗、其の時空襲警報のサイレンが鳴る、警防団の人が出て灯火管制の見回りに出ている、其の内の一人から、「坊何処から来た」と問い詰められる帽子に白線がある学徒で不思議だったろう。理由話すと家で泊まって行けと言うが、これも振り切り我が家へ走る。さてと此処からが困った事である。例の赤保危を通らなければ帰れない。古狸が大坊主になって出たらどうしょう。女人幽霊が出たら如何しよう。一人ボッチで頼れる者は居ないが、赤保危の向かい側の在所を眺めて、山側は見ずに走る。向かいの山の稜線(西側)が夕焼けのように赤く見えてくる、途中で谷川に掛かるボットリが悲しげ音を出して余計に恐怖を感じる。家へ着くと零時過ぎ午前2時頃夕食済まして2時間程寝て4時40分発の汽車で各務ヶ原へ行く、皆真っ黒の顔した者ばかりで「生きていたか」が挨拶だった。昨夜は岐阜市が空襲で丸焼け。やっと其の時知った。其れにしてもよくよくの腰抜けだったのだ。自分の命の保証の無い時代にオバケがオソガカッタとは。その後も空襲には何回か合って8月15日の終戦日を迎えるが、子や孫達にはこんな事に会わぬように祈る日日である。 |

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