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国道156号線を南から北進して、郡上市白鳥町為真(ためだに)まで差し掛かると、油坂峠道路の高架に差し掛かる。その国道の左側に小さな食堂を営業している店があるが、其処の駐車場こんな、神社が祭ってある。 源義経の家来弁慶は平泉へ都落ちの伝説では殆どの話では琵琶湖より北陸周りで忍んで落ちて行くストリーに成っている。平成17年NHK放送の義経も安宅の関を通った様に記憶しているが、 処が最近郡上市。白鳥町。の郷土史家の話に依ると、義経主従は奥州の藤原秀衡(ひでひら)の計画に従い、奈良から伊賀へ、伊勢〜美濃を経て、美濃の白鳥町長滝寺から白山に登って加賀へ降りた。それから船で越後から出羽へ向かい其処の羽黒山から平泉に入ったとの説を言われています。そこで白鳥町を弁慶街道と言っています。 各所に関所を立てて義経の行方を捜して居た者ですから、当然何処を通った等と足跡を残す訳は無いから、確実な足跡は残らないでしょう。 歌舞伎勧進帳も勿論創作です。作者誰ですか?? 源平合戦で平家を滅ぼした義経は兄、源頼朝に疎まれて各地へ逃げていくが最後は藤原秀衡を頼って平泉へ向かうが加賀の国(石川県)安宅の関で関守「富樫」に本当の山伏なら勧進帳を読めと言われて白紙の巻物を即興で作り朗々と読むが、関所の番卒に疑われ、主人の義経を杖で打って疑いを晴らしその場は通るが、関守富樫左衛門は弁慶の忠義に感動して、義経と知って通すのである。 暫くして道すがら弁慶は義経に主人を打ったお詫びをしている居る処へ、富樫左衛門が酒肴をもって、先の失礼のお詫びに一献酌み交わそうと、やってくる。弁慶は大杯で一気酒を飲み延年の舞をしているうちに義経を先に逃がしていく。見せ場は弁慶の飛び六法です。 中村吉右衛門さんです。この歌舞伎何回みても飽きることはありません。「安宅の関」を(マタカノセキ)と呼ぶ人もあります。
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弁慶ですか〜。
北海道にも弁慶岬って所があるんですよ。
なんでも、弁慶と義経が逃げてきたとか来ないとか・・。
詳しくはわかりませんが、弁慶の石造が岬に立ってますよ。
2009/5/4(月) 午後 8:12 [ 気ままな猫 ]
私の育った島根県にも、弁慶が比叡山に行く前に修行して、平家と戦った後、戻って来たと言われているお寺がありますよ。
また、生まれは松江とも言われていますよ。
2009/5/5(火) 午後 5:00 [ そら ]
(気ままな猫)さん
コメント有難う。義経主従は余にも悲劇の主人公です、判官ビイキで、日本人は弱い者には味方です、奥州で弁慶は全身に矢を浴びて立ち往生しているので、北海道迄は行かなかったと思いますが、行った事にして、少しでも弁慶の幸せを願ったのだと思います。
2009/5/6(水) 午後 0:00
[そら]さん
コメント有難う。和歌山県田辺市へ行くと、弁慶生誕地と言って町の中いたる処に銅像や石造が有ります。それで町起こしでしょう、正確には生誕地不明らしいし、また弁慶その人自身存在したのか?疑う歴史家もあります。強力と抜群の機転の効く頭の良さで、永遠の憧れ人物でないでしょうか?
2009/5/6(水) 午後 0:37
色々な所に伝説の残っている方ですからね。
きっと憧れが強かったので、色々な所に残ったのでしょうね。
私の書いたコメントも島根のお寺に残っている、伝説の一つです。
そういう沢山の伝説を含めて楽しめれば良いと思ってます。(^^)
2009/5/8(金) 午前 1:27 [ そら ]
[そら]さんへ
岐阜県でも色々歴史上の偉人生誕地を我が地が本当の生誕地だ、等と言って取り合って居ます。伝説上では尚更です、特に弁慶は各地を歩いて居るので、色々の弁慶の名が付いた地名も有ります、其の外に弁慶の足跡、弁慶岩等々
歌舞伎の安宅の関の関守富樫左衛門の妻は弁慶のを産んだ母だったとも、弁慶を生んでから別れ別れになり、辿り付いた処が関守の妻だった、作り話を地で行くような話しです。
2009/5/8(金) 午前 8:51