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6月12日飛騨古川町の「飛騨の匠文化館」へ入館した時に帰りにフト目に付いた、(飛騨の匠関係年表)を見ていると、「法隆寺金堂の釈迦三尊像」(国宝)を作った、止利仏師 (とりぶっし)は飛騨市河合町、月ヶ瀬の匠である様な事が書いてあった。 飛騨の月ヶ瀬と聞いても、サッパリ解らないと思いますが、飛騨河合町から天生峠を越えて(国道360号)世界遺産に指定されている「白川郷萩町)へいく国道(酷道)ですが、 籾糠山とも言い直下を東海北陸高速道トンネルが通っている所です。その河合町からの登り口の在所に月ヶ瀬が有ります。 私も8年程昔に萩町から紅葉の天生峠を越えて、月ヶ瀬を通った事が有りますが、この月ヶ瀬に建て看板があり、止利仏師の事が書いて有りました、それをノートに書き写して来た物を思い出して、少し書いてみますが飛騨の言い伝え伝説ですから、事実とは異なると思います。 此処の月ヶ瀬に年老いた父と其の娘(忍)が住んでいて、父は山へ入って木地師(椀や 御器(仏に供物の入れ物)を作る人で職人)二人でロクロ(手動)を回し「御器」を造りそれを町へ売って生計を立てていた。忍はあまりベッピンではなかったので、地域の若者達もあまり振りかず、嫁の貰い手が無く暗い毎日だった 或満月の夜はるか籾糠山から、一羽の鳥が川に映った月影に飛び込みました。忍は其の月をすくって飲み干した。 それからコノ里に月影が写らなくなり、この辺りを月ヶ瀬と言う様になった。其ればかりではなく、忍はお腹に子供が出来てしまいました。 忍の父親は親の無い子供を産む恥ずかしさから、人里離れた山奥へ住み無事出産したが、「天より授かって生まれた子」と言われ「天生」と呼ぶようになった。 生まれた子供は鳥の様な首をしていて「鳥」と名付けた。父親の仕事を見習いながら育ったが(御器)を作るより、仏像ばかり作っていて、一文の収入にもならない。 「鳥」は17歳になり、父より暇を貰って旅立って行きました。その後は廻りまわって法隆寺までたどり着いて、現在国宝の(釈迦三尊像)を作ったと言う事でした。 「匠文化館」で詳しく聞きたかったが、次の客が来たのと、昼になり腹が減ったので聞かず仕舞いでした。私の解らない断片的な話ですが是で失礼します。 法隆寺の写真は昭和45年頃に子供達つれて行った時の物。今でも変わらないでしょう。 鞍作り止利仏師(クラツクリトリブッシ)と書いてあるが、本来は百済系渡来人であるといわれている。 馬の鞍を作る一族だったと言うが仏教の信仰厚く其の中で育った止利は造佛に関係するようになったとも、文献にも書いてある。 無理にコノ話を結び付ければ法隆寺造営に掛かる渡来人が材木を探しにこの山深い飛騨へ来て、忍に子供を孕ませたのかも?? 其の外年表を見ると、(587)忍、身ごもる (599)鞍作止利大和へ入るとあるが、止利17歳で旅たちはおかしい。7歳なら解るが。??私の思い違いかも??
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