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7月15日ブログ続き。嘉念坊善俊上人 白川郷へ 先にお断りして置きますが、私は浄土真宗寺檀家であるが、歴史家や物知りの偉い人では 有りません只の半ぼけ後期高齢者老人です。 十数年前に「帰り雲城」「白川郷の金山」等など歴史小説を読んでいた居た所、たまたま 私の旦那寺の先代ご住職 坊守さんが照蓮寺が生家であった事から、善俊上人が身近なお方に思えて来て、関心が湧き 下の写真は白川郷鳩ヶ谷に有る嘉念坊道場跡を(復元)した所を、平成10年頃にフイルムカメラで撮ったものです。 奥の萱葺き建物が道場 正面が入り口 復元されたコノ建物の地で嘉念坊善俊上人は69歳で入寂されて、遺体をここで火葬されたと説明書きが有った。 道場です、在家と同じで仏壇が少し大きいだけ、右側が入り口 嘉念坊上人はこの地を拠点として広く浄土真宗を教化して、(1313年)正和2年第2世善隆が入寂。第3世善教が道場を飯島村へ移して、正蓮寺となり、ようやく寺院として整える 第8世明誓の長男教信の頃になると、帰雲城主内ヶ島は天生で焼畑農業の稗を作ると称して、密かに砂金の採取をして財力を蓄え、その上正蓮寺と天生の領地争いに発展して行く 正蓮寺は広く浄土真宗の教えを広めて寺勢力は益々発展して、帰雲城と正蓮寺は勢力争いが輪を掛けて激しくなり、其処で教信は弟の明教へ僧籍を譲り、教信は還俗する。 自らを三島将監と名乗り武芸道に励んで、寺を守る準備を整える、 危機を感じた、内ヶ島は突然に正蓮寺を攻めて、寺をことごとく焼き払う、教信は逃亡後に戦死。弟の明教は裏山から子供亀寿丸と乳母、寺男と逃げるが途中卒塔婆峠で自害して果てる、 明教の子供、亀寿丸「2歳」は寺執事、市村太郎衛門と乳母に抱かれて馬狩川まで差し掛かる。 藤蔓で掛けた釣り橋を渡り切り、腰の刀を抜き釣り橋を切り落とし追ってから逃げる 今もこの現場は其れほど大きな川ではないが、対岸まで追って来た内ヶ島雑兵達と川を挟んで大声で呼び合う 「其の乳母が抱いている子供、女子なれば見逃してやるが、男子なれば此方へ引き渡せ」 と内ヶ島雑兵が言うと、乳母は子を高く差し上げて、男根を掴んで後へ引っ張り「この子供は女人で御座る」と言って見せると追っての者達は納得して、引き上げたと言います。 現在でも幅は広くない川です(スーパー林道馬狩料金所手前の川からもう少し下流) 地図参照 辛うじて生き延びた三人は馬狩部落から越前まで逃げて、亀寿丸は乳母の在所で密かに育てられて後、永平寺に預けられて、法灯を守りながら15歳になる、その頃北陸の吉崎御坊に居た蓮如の計らいにより、内ヶ島と和睦が成立して、五個山まで来て布教しながら、後に正蓮寺を復活するので有る。 馬狩は10年程前に尋ねた事ですので、現在の地形は知りませんが、どぶろく祭りか、紅葉の季節になれば、もう一度行って見たいと思っています。 また続き、勉強して書きます。 |

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