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蓮如が越前吉崎御坊で布教を始めて久しくなり、だんだんに一向宗と言う勢力が勢いを増して 加賀の武士に取って代って(百姓の持ちたる国)として加賀を一向宗が納めるように成ると、 周辺の武士達もウカウカして居れなくなる。 特に本願寺11代、顕如の時代になると、信長は一向宗に脅威を感じて、石山本願寺(現大阪城)の退去を命じるが、是には本願寺も従はず、10年の歳月を戦った。 そこで我が郡上でも、信長の支配下にも関わらず、浄土真宗布教の為、白鳥町大島(当時は野里邑)へ進出していた安養寺(現在は八幡町にある)の要請もあり出陣する事になる。 (写真当時の安養寺跡の碑) 私の檀那寺でも、第13世正玄の時代に門徒を連れて出陣する。又私のず〜〜と遠い先祖(本家の本家)が庄屋をしていた事もあって、この地域農民数人を連れて、信長に見つからない様に、油坂を超えて、北陸廻りで一向宗と合併か?道案内して貰ったか解らないが、少し遅れて何日も掛けて大阪まで歩いて行った。 ようやく現場へ着いて見たが、既に正親町天皇の仲介により、講和を受け入れていて、戦争は終っていた。 戦わずして命拾いはしたので嬉しい半面、何も故郷へ帰って手柄話しの種が無いので、焼け跡の寺から拾ったリンをみやげに持ち帰った物が、現在M家に保存されている。 本願寺11代顕如の長男、教如は自分に相談もなく、和睦の事が運ばれた事も有って是には従わなかった、そして徹底抗戦を挑む。天皇の勅命にも背いた教如を父顕如は教如を勘当する。そして信長は教如を討てと厳しい布令を出す。教如は各地を逃げ廻り、郡上美並の戸谷坊(現乗性寺)へ隠れる。そして其処で出会った方は。 以前NHK放送、大河ドラマの「山内一豊の妻お千代さん」の母君「とも様」であった。この母君は郡上八幡城初代遠藤盛数の妻で、東常慶の女子である。 教如上人と出会った母君は上人から「照用院殿釋友順」の法名を貰う。そして其の付き人で、埴生太郎左衛門高照も(大和町栗栖、現在も家系は存続)も「西教房照山」の法名を貰い友順尼の 最後を見取り、さらに乗性寺17世を継いだと言われいます。 そして友順尼は乗性寺お霊屋に祭られて居ます。写真はお霊屋 教如は此処も危なくなり明宝の山奥へ隠れる。続き、つぎ
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