|
年末年始にはそれぞれ、普段と違った行事が沢山あり、後期高齢者でも色々の仕事が待っている。23日には檀那寺境内の雪明けやら、本堂の大掃除があり、行ったがそれ程大雪ではなかった事もあり、早く終わる。 氏神や小さい祠へも注連縄の取替え、氏神へは氏子達で手分けして作って奉納するが、家庭用に沢山売り出して居るが、売れ残りが出そうと、他事ながら心配。 飛騨地方や郡上では正月の飾り物の一つに餅花がある。昔は雪深い、寒い此地方には赤や青い花の正月飾りが無かった事から、餅を搗いたとき出る半端耳切れを賽の目に切り、木の枝に刺して稲穂をイメージして、正月飾りにした。近年は道の駅等に農家から出品して、売られている。 見た目が派手なら良く売れることから、赤や黄色と色とりどりの着色しているが、これが稲穂の表現なら、豊作は望めないが(イモチ病の付いた赤い稲)私の祖父達は白いままでした。 次に全国何処でもは、門松でしょう。最近は農家の副業としてミニ門松が製作されて、売られている 35年〜40年程昔に奈良薬師寺の金堂を再建している頃に此処の名物管長「高田好胤師」の法話の中に、こんなお話がありまして、門松の季節になると思い出します。 「徳川家康がまだ松平元康と名乗っていた時、甲斐の武田勢と戦い、出城の一つを落とされた事があります。其れまでには中々苦戦で遂に大晦日になりました。翌日は正月です、お互いが明日の休戦協定を結び、大晦日の夜に酒盛りなどして、休んでいる所へ鏑矢に結ばれた手紙が武田方から送られて来ました。 「松枯れて、竹 たぐいなき、明日かな」 翌日の正月に因んで、松竹を詠み込むと同時に、松平の松と武田の竹を掛けたものです。 しかし家康の方も怯んでいません、すぐに鏑矢を送り返しました、 「松枯れで、武田 首なき明日かな」 仮名で書くと濁点を付けただけで一文字も変える事無く、鸚鵡返しをしました。 それから後には正月の門松の竹の首がポンと斬られるようになった。と言う事です」 最後に蕗のとうのミニチア
|
全体表示
[ リスト ]



