ネコの道草

83歳のネコブログです。

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都合により、明日(24年7月11日)から、暫らくの間、ブログの投稿を休みます
月末頃には、又駄文が復帰出来るか、と思いますので、宜しくお願いします。
(ネコの道草)
 

法話より

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上は旦那寺、池の鯉。  下は近所、池の鯉。
 
綺麗な鯉が泳いで居る所を見ると、時々、こんな詩を思い出します。
 
手を打てば、 鯉は餌と聞き、 鳥は逃げ、 女中は茶と聞く 猿沢の池。
 
今から40年ほど昔に、奈良薬師寺の金堂再建していた頃に、何回も行ったが、薬師寺人気管長、故高田好胤師の法話を思い出します。
 
其の頃は、名古屋で仕事をしていた関係で、近鉄電車や、自家用車で日帰りなど、簡単な事でした。
詩を作った方は、多分、『猿沢の池』が出る所から、興福寺の高僧だったのでしょう。
 
そのころ、高田好胤師は、テレビにも良く出られて、就学旅行の生徒や参拝客に、巧みな、話術で話し掛けられて、全国の人気管長として、放映され、活躍されていました。
 
私は法話より、金堂の大工仕事が見たく、行ってみたが、いきなり行っても工事現場へ入れて貰える訳も無く、高田好胤師の本だけ戴き帰りましたが、何時までも、心に残る教えを貰って来た、と思っています。
 
同じ場所で、同じ話を聞いても、鯉の様な心の人は、餌さと思い、鳥なら、撃たれると思い、女中さんは、お茶の所望と思い、人はそれぞれ、自分の都合の良い方にして、聞いてしまうと言う話でした。
 
同じ話を聞いても、人の認識と言う事は、それぞれ別々の様です。ひとり一人が、顔や姿が違うと同じ様に。
 
本は見当たりませんが、まだ其れだけは、心に残っています。

ねむの木

今年も近くの山裾に淡いピンク色の、ネムの花が咲いて、居ます。
私の地方の方言では、「コウカイの木」と呼んでいます。近くの皆さんに名前の由来を聞くと、 『春になり、隣の木や、植物に、早く芽を出せ、早く花を咲かせよ、とお節介して居る内に自分がいちばん、最後になり、後悔して、居るので「後悔の木』と言うのだ』と言って居るが、如何も此の話が、いい加減な話のようで、ネットで検索して、調べて見たら、全く別の由来でした。
 
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パソコンで「ネムの木」を漢字に変換すると、「合歓の木」と出るが、そのまま読むと「ごうかんの木」と読めるが、正しくは、「合歓木」(コウカギ)と言うのだそうです。
 
名前の由来は、夕方になると、葉が合わさって閉じて眠ると言い、男女が仲良く抱き合って歓んで合わさって、眠る様を例えたもの、と言う事でした。
 
郡上弁の「後悔の木」は、「合歓木(こうかぎ)」が、なまって後悔と言う変な名前になって居たのである。
 
昼間の雨上がりの合歓(ネム)の葉
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夕方葉を閉じ始めた、合歓(ネム)の葉
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合歓(ネム)の花をアップで、撮ると中々綺麗な物です。毎年近くの山で、咲くのですが、今までは何となく見過ごしていました。
 
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また、其の外に、スイレンも、夜は花が閉じて、朝開く、と言い、「睡眠する蓮」と言って「睡蓮」と言う名前が付いて居る様です。
 
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現在は合歓(ネム)の木は、わが家の近くには、大径木は余り無い様だが、若い頃に大きい合歓の木を切ったら、切り口が黄色く、綺麗でしたので、 取り付け家具引き出しの、鏡板に加工して、作って見ましたが、暫らくすると、色が褪めてしまいました。
 
 合歓の木                   合歓の木肌
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 鮮やかな黄色い色が、褪めない方法は、有るのでしょうか ?

松の木

松と言えば、先ず頭に浮かぶのは、お目出度い時の気持ちの表現だと、思います。
 
言うまでも無いが、歳の初め門松を立てて祝い、新しく始まる新年の気持ち表し、今年一年の家族安泰や、健康幸せを祈願します。
 
4年程前に投稿した(年末風景)門松の、私のブログ気が向いたら、開いて見て下さい。
 
松に関わる物語は数多く有り、その他、伝説や、歴史に残る話も沢山あって、取り上げると、きりが無いが、歌舞伎や能舞台の背景等も、老い松、若松、が設定されたり、山頂で大樹となると、戦国時代には、「物見の松」として、実際に使う事も、有ったと言う事が記されています。
 
(本からコピー)能舞台と同じ背景の(老い松、歌舞伎、勧進帳場面)
 
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歌舞伎「仮名手本忠臣蔵三段目 松の廊下」の襖絵が皆さんに良く知られた場面です。
 
其の外にも「絵本太閤記 10段目」(本能寺で織田信長が、明智光秀に滅されて、3日天下を取った後、秀吉に討たれる迄の物語)であり、光秀が、遠くから攻め押し寄せる大群を見る「物見の松」が有り、遥か遠くを眺める演出が有ります。
 
大工遣っていた関係で、若い時代に農村素人歌舞伎の大道具や小道具を歌舞伎師匠から、習いながら作りました。役者は一度もやった事は有りませんが、結構面白かった。
 
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又子供の頃、祖父や、祖母から聞いた話(伝説)に依ると、山の頂上付近や崖の上などに枝振りの良い松は、「天狗松」と言い、其処に天狗が住んで居るから、その松を切ったり根元で小便すると、祟りがあると言われたり、その外、男の子供が天狗に気に入れられると、連れて行かれるとも言われ、近寄る事が怖かった思い出があります。
 
切らずに残っていた松もその後は、松食い虫被害で殆んどが、姿を消してしまった。
(松食い虫被害を防いで、残った松)
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私の想像ですが、天狗松と言う物は、戦国武将が「物見の松」として、使っていたので無いでしょうか??其れが伝説となって居たと思えるが!???  勝手な私の作り話ですから当てにはなりません
 
今は若松も育ち始めて又松林が、復活すると良いと思うが、松の木の需要が少なく価格も安いので、余り進展していません。
 
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田舎普請では、幅の広い差し鴨居や、桁等も取れて使っていたし、少し曲った物は小屋組材として、地棟、登り木等にも、出来たので需要は多く有ったが、今は建築様式も変わって来て、余り手間の掛かる仕事は遣らないようです。
 
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平成元年頃の小屋組を作っていたものです。この頃既に日本材の長尺松材は、入手困難でした。
 

橋の名前

何処に架かる橋でも、殆んど其処の地域名、小字名、又は川や淵の名前、その他、江戸時代後期に私財を尽して橋を作った人の名前から、付けられた物が多い。
 
其の中の一つに、郡上八幡町相生の長良川に架かる、「法伝橋」と言う名前付いた橋がある。
 
以前から何か深い歴史が有るか?仏教から?付いた名前だろうか?と、勝手に想像して居たが、調べてみる事もせず、只通過の時だけ思い出していた。
 
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先月,美濃市へ行った帰り道、国道156号線を北上して、美並町まで来ると、長良川と山に挟まれて、トンネルや絶壁を切り開き開通した保危や、カーブの多い道になり、スピードは出せない。
 
私は高齢者の為、ごく控えめ運転をしているので、後続の車両が追い抜きが出来無く、渋滞をして迷惑を掛けている。多くの車両を後ろに連れて、やっと相生の法伝橋、たもとの、退避駐車場で後続車両に進路を譲れた。
 
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この橋の架かる付近の長良川は、巨岩が多く、小峡谷の様である。車から降りて、調べてみると昭和62年にこの橋に架け替えられた様でした。
 
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私は勝手な想像で法伝橋の物語を作っていました。
 
「仏教から伝えられたもので、浄土真宗親鸞上人から8代目の、蓮如上人が、越前吉崎で布教始めて、その後、安養寺や、延徳寺、最勝寺を通じ、越前大野市から白鳥町油坂を越えて、白鳥町から高鷲町へと広がり、八幡町市島へ移った最勝寺から、南方面へ布教した時に法(浄土真宗)を伝えた所だ」等と勝手な思い込みをしていました。
 
全然違っていました、案内看板を見つけて、写真撮ったので、読んで下さい
         +をクリックすると拡大します。
 
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知らない者が説明する事は出来ませんが、勘違いしていた「法伝橋の由来」が少し解って来た事は、私の収穫でした。
 
勘違いした理由は、法伝橋から南下流には、浄土真宗以外の仏教宗派(禅宗)が多く残って居ることからでした。
 
 

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