ネコの道草

83歳のネコブログです。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

検査入院(1)

昨年12月頃より、時々、体調が悪くなり、軽い仕事はして居たが、時々胸が苦しい様な状態が続いていた。診察の結果「心房細動不整脈」と言う診断でした。
 
4月より、岐阜県笠松町M病院から、循環器内科のS先生が月曜日に診察に来られるようになって、5月7日に、その先生の診察を受ける。
ホルダー心電図をつけて、翌日取り外し、ホルダー心電図検査結果は5月21日に聞きに行くと、
 
「不安定狭心症」かとも思うが、もう少し詳しく調べ様と、言われて、笠松のM病院紹介状を貰い、5月28日に診察に、連れて行ってもらった。
 
まず診察、採血、心電図検査、エコー検査、の結果、心臓の血流が悪い疑いがあり、即日入院に決まる。
 
「天皇陛下の様な心臓手術するのですか」と、おそるおそる尋ねると、明日から検査して見ないと解らないが、その疑いは有りそうの様でした。心臓手術は遣りたくないが、陛下もお元気になられた事を思うと、逃げ出す訳にはいかない。
突然の入院でしたのでその用意も無く、子供達に遠い道のりを何往復も、して貰い入院手続き書類、入院用の必要小間物、運んでもらい、其の日の夕食から、病院食事になった。
 
メニューは、米飯、魚の揚げ煮、インゲン、卵と春雨の炒め物、牛蒡サラダ、果物。
豪華メニュウーの様だが、こんな物です。(写真はこの日の夕食では、有りません)
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
始めて病院食を食べてみましたが、お世辞にも美味しかったとはいえません。薄味なのか、家の味に慣らされて居るのか、解らないが、仕方無しに、全部食べる様な事にしました。
 
思い返せば、昭和20年前後の食料危機の時には、米の飯を「銀飯」と言い、此れが食べられる事が、最高の幸せで未来の夢でした。
それ以来67年も過ぎると、スッカリ贅沢に慣らされて仕舞い、こんな贅沢を言って居ると、バチが当たるかも知れません。
 
明日「29日」は本格的に検査の日が決まり、午前10時から、左腕へ、点滴打ちながら、カテテールを右手動脈から、通し心臓へ入れ、造影剤を流し込み、心臓血管の詰まりを、撮影する検査です。
 
続きは又後ほどに入れます。
 

桐の木

暫らくご無沙汰していました。その言い訳は、
5月28日に掛かり付け病院からの、紹介状を持って、笠松の循環器内科へ診察に行ったら、心電図、エコー検査、採血、の結果、もうすこし詳しく調べる為に、入院する事になった。
8日間も思わぬ入院になったが、27日の日曜日に撮った桐の花写真、診察が終って帰ってから、ブログ更新しようと思ったのが、それも出来なくなり、少し遅くなったが、昨日退院出来たので入れて置きます。
 
イメージ 2
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
昔は、桑畑の一角に桐の木が植えてある所を沢山見掛けたが、最近は滅多に桐の木を見掛けなく成ってきた。
私の母も、妹が生まれて、間も無いころに、1本か、2本の桐の苗を植えて居たが、終戦頃の食料不足の時に、麦や雑穀畑に変わり、何時も間にか、消えて無くなった。昔は、何処でも、女の子供が生まれると、結婚する時に桐の箪笥の材料にすると言う事で、植えたそうです。
桐の木は軽くて、湿気を通し難く、高級家具の桐箪笥の材料として、使っていたが最近は、嫁入り道具も、住宅事情も変わって来て、余り購入する様では、有りません、
家具屋には、嫁入りセットとして、桐箪笥も組み込まれている様だが、かなり高価の様です、
家具以外にも、氏神神社祭礼の時に使う、オカメ、市兵衛(ヒョットコ)鼻高、の面や、獅子頭の彫り物にも、使ってある、
又桐材で作った、高級下駄も有るが、最近は和服を着る機会は殆んど無いので、庶民には陰が薄くなって来た。
 
入院検査の話は、又後ほどブログに書き込みます。

うどの収穫

私の幼少の頃から(昭和8年頃)長良川、河端の「桑の木畑」の一角に、藁屑や籾糠を、積んだ所に毎年「うど」が出ていて、祖母達は此の季節に成ると、毎日うどを採ってきて、味噌汁にして食べていた。独特の香りや、味がするので、嫌いだったが、此の季節には此れしか他に食べ物は無いので、仕方なしに食べている内に、今は好んで食べている。
 
何時の頃か、河川改修で堤防の修理をした時、多分母が此処へ移し替えたのだろうが、今も此の場所で、毎年収穫しているが、休耕畑になっていて、草刈管理しているだけで、肥料など入れた事が無いけれど、細い「うど」だが毎年良く採れる。肥料を入れた事が無く大木には、なれないのだが、味は変わらないし、軟らかく、独特の風味があり旨い。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
今年は始めて鶏糞を肥料として入れて置いたので、来年も健康で生きていれば「独活の大木」がお目に掛かれるかも?知れません
 
スーパー等で売って居る様な、栽培した真っ直ぐな、太い独活と違い、固い草の枝を通り曲がった物だが、天然の山うどに近い物だろう。
 
うどの記事は3年前にも同じ事を投稿したのを、途中で思い出したので、入れて置きました。見て下さい。
 

朴ノ木

 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
「朴葉」は朴ノ木の葉の事ですが、何処の山でも所所に、生えている広葉樹で、余り群生して生えている場所は知りません。丁度今頃は乳白色の大きな花が咲いています。
 
昔から奥美濃、飛騨地方では、田植え頃になると、チラシ寿司を作り、朴葉に包んで「朴葉寿司」を作ります。又秋になり葉が落ちると、其れを拾ってきて、寒い冬には、其の上に味噌や漬物を乗せて、囲炉裏の炭火で、焼きながら食べます。また朴葉の、良い香りが寿司に移り旨みが増して良くなります。其の上殺菌作用もあるそうです。
今は奥美濃や、飛騨の観光名物料理の一つになっています。
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
朴ノ木の花は、良い香りを出していますが、家の中へ取り込むと少し香りが強すぎて、お勧めでは、有りません。
 
「朴葉」は昔、「包葉」と書いたそうです。終戦後迄は今の様な、紙皿や、ビニールパックやアルミホイル等の無かった頃には、八百屋でサンマや、魚の切り身、コンニャク等買うと、竹の皮か、朴葉に包んで、藁でくくり、持ち帰りました。そんな事から「包葉」の方が正しい字かも知れません。!!?
 
イメージ 5
 
少し太い幹なら、製材して、家具の引き出しや、下駄の材として使いました。終戦後の大工見習い始めた頃に、私は家の山で太い朴の木を切り出して、郡上踊り用の下駄にしました。少し反りも付けた、女性用下駄も作り、綺麗な女の人に上げたりすると、お礼に下駄の鼻緒を貰った事が有ります。
 
特定の女の人に差し上げた訳では無いので、次々と欲しい人が現れて何時も下駄作りをしていると、「下駄作りばかりしていては、大工の腕は上がらないから止めろ」と言われて止めて、残った材で、庇の腕の彫刻や「持ち送り板彫刻」一部分の練習用に使った。
年輪が無く均質で、彫り易かったが、其の分腕は上がらなかった。子供の工作用には向いています。
 
朴の木の樹皮は、漢方薬にも、なると言い、皮をむいて乾燥した物が、結構高価な値段で売れました。現在も八幡町で色々の、漢方薬になる樹皮を買っている方が居ます。
 
 
イメージ 1
 
此の橋は「釜淵橋」と言います。現在はこの辺を「リバーサイドタウン」など、と言うハイカラな名前が付いて居て、大型スーパーや、ホームセンター、其の他色々の大型店が並び、大和町一番の、商業地になった。
 
昔(昭和17年頃)」私の小学校高学年頃は、木造の吊り橋で、馬車や荷車の通れる程度の、小さい木造橋で、其の下は釜淵と言って、河童が住むと言い、昼間でも一人で通るのが怖かった。夏休みの合宿で、夜の「肝試し」によく使われて、本当に嫌な思いをしました。
 
終戦後も橋は、まだ其の儘残り、大工の見習い頃に橋の修理に行ったが、吊り橋から、河の流れる下を見ると、高所恐怖と共に、自分が河の流れと共に、動いて居る様で、何かに掴まって居ないと不安で、仕事に成らなかったが、他の人のお助けお蔭で何とか終った。もう2度と行きたく無かった。
 
ココから北は何も無い、沼田や河川敷の区別が無い様な土地で、所所に簡単な堤防はあるが、火葬場が一軒有っただけでした.
昭和34年伊勢湾台風で、両岸の農地が流されて、河幅も大きく成り護岸工事をして、安全が確保されると、火葬場の隣へ、周囲の住民へ騒音を避けて、やって来たのが、大和森林組合の、製材所でした。    
現在この写真の、森林組合製材所は、閉鎖したので、民間の人が繋いでいます。
 
イメージ 2
 
昭和30年に弥富村、山田村、西川村が合併して、大和村になり、庁舎は国道沿いに作ってあったが、昭和60年に大和町になると、間もなくして、昭和63年頃には、森林組合の南へ新庁舎が出来て何も無かった不便な所に、少しずつ整備がされてきた。其の後次々と公共建物や、道路も整備されて、景観も変わって行った。
 
イメージ 3
イメージ 4
イメージ 9
庁舎駐車場の藤棚  満開です。
 
イメージ 5
 
元製紙工場の木材チップセンターが有った所が、閉鎖されて、大型スーパーや、ホームセンターがやって来ると、本屋の、三洋堂書店が出来、薬屋ができて、今は、ヤマダ電気が開店準備をしています。
 
イメージ 6
イメージ 7
 
河川敷も整備されて、一面の芝生が植えられて、盆の花火大会の見物席に成たり、皆さんの憩いの場所にも成っていて、半世紀の間に、スッカリ昔の面影は無くなりました、河童や、古狐、幽霊、の住み家が無くなりました。
 
イメージ 8
 
平成16年には、郡上7ヶ町村が、合併して郡上市になりました。
此のホームページは、大和町観光協会のホームページです、気が向いたら見てください
http://www.xwns.co.jp/yamato/    ここをクリック

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事