ネコの道草

83歳のネコブログです。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

秋色付く、長良川と山

昨日(11月5日)は家内の血圧定期診察日でS病院へ行くが、何時もと違い何故か患者の数が少ない、午前9時には診察も、薬局の投薬も終る。
 
帰るには少し早いので家内は、美容院へ。私は、又此処で待つ事に成る、女性の美容室ではnekoの居場所が無いので、チョット近くの紅葉でも見に行く。
白鳥町二日町、長良川畔へ行って見るが、河川管理道路や、農道から、向う側の山を見ると、赤く染まった山が、眼の前に現れる。
 
此処は紅葉の名所や、観光協会の情報は無く、誰も知らない所です。
農作業して居る人も漁師も、農道を歩く人も居ない、一人占めの静かな所でシャッター押したが、ただシャッター押しただけの、下手な写真ですが、現場は清流の川と、山の紅葉で、綺麗な紅葉見るなら、写真より現場へ行って見た方がもっと綺麗です。
               (クリックで拡大)
 
イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
        白鳥町保危島より向側の山を見る
 
イメージ 10
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
白鳥町石徹白、前谷線が見えます。 峠は檜峠です。其処を越すと石徹白
(いとしろ) です。スキー場が有ります。                       
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
 
 
 
 
大急ぎで回って写真取り、一時間程見て周り、早く帰りました。
 
此処からもう少し長良川を逆上り高鷲町まで足を伸ばすと、モット綺麗な紅葉が見えるでしょう。そんな準備していないのと、急な思い付きの紅葉鑑賞でした。
 

つわふき

家内が買い物している待ち時間に、ぶらりと近くを歩いて居ると、他所の庭先に、「つわふき」の花が満開に成っている。
 
イメージ 1
そういえば、家の庭にも、咲いているのだが、自分の眼先に有る物は見えなくて、これを「灯台元暗し」と言いますが、家に有る物は、あまり気にかけて見て居なかった。
 
イメージ 2
イメージ 4
 
イメージ 5
「つわふき」は、「野フキ」の様に山野に自生して居る所は、あまり見た事が無い、小さい庭でも、日陰の木の根元や、石の間に、植えてあるが、子供の頃から、薬草として植えてあるのだ、と思っていました。
 
昔は祖母や、母達は子供達の少し位の、打撲や擦り傷、には「つわふきの葉」を摘んで来て、囲炉裏の火であぶり、暖かくなったのを、患部に当て其の上を包帯(布を裂いたもの)で巻いて其れを、2〜3回繰り返す内に痛みも取れて来た。
 
イメージ 3
その昔は、医療国民保険も無く、少しの風邪や、打撲位では、医者や接骨医へ行く事無く、民間の言い伝え薬や、まじないで、治して居ました。ですから、野フキは、食べる物。つわふきは薬草と思って居たが、つわふきも食べられるそうです。
 
写真は野生のふきですが、岐阜市郊外でも、栽培して居る所もあり、スーパーでも売られていて、品質が良く揃っています。 
        野生のふき
イメージ 6
蕗と、つわ蕗は、名前が同じ蕗のですから、仲間だと思って居たが、別種なのでしょうか?
 
つわふきは、秋になると、菊の花に似た、花が咲きますが、少し以前の報恩講の時、菊と一緒に佛花の脇添えにも使って有りました。
     菊の花
イメージ 7

          つわふきの花

イメージ 8
以前は旦那寺の報恩講は、11月中旬にお勤めして居たが、最近は1ケ月早くお勤めする様に成り、つわふきの花は間にあいませんが、花屋には、菊が沢山あるので、つわ蕗の花を使う事も無くなりました。
 
イメージ 9
野フキは、春には、山野に自生して、昔は、田んぼの用水路付近には、蕗のトウが出ると、其処から蕗が取れていましたが、水路がコンクロートで固められたのと、圃場整備や、乱獲で、殆ん無くなってしまった。
 
未だ福井県九頭竜川の山奥へ行けば、茎の長い蕗が取れるよだが、根こそぎ採って行かないように、少し残して、来年にも、取れるように、配慮して置くと毎年、楽しめます。
 
つわふきの葉は、野フキの葉に比べると、葉の表面に艶がある事から、『艶蕗(つやふき)』と言っていたのが、つわふきに成ったそうな。

neko周辺の紅葉

今日から十一月。来年、新春の年賀はがき売りだしも始まり、今朝は年賀の印刷承りチラシがドッサリと舞い込んだ。
 やっと秋の紅葉が山から里へ下りて来たばかりで、今頃新春の挨拶等は、
気分が乗らない。
 
こんな事なら一年通して、年賀葉書、寒中見舞い、暑中見舞い、葉書を売っていれば良く、年寄りの、後ろを煽ら無くても良いと、思うが、年賀葉書と聞くと余計に早く歳取って仕舞う様な、慌しい気になる。
 
まあぁ年賀の事考えるより、取敢えず、nekoの周辺の、山が日を追って色付き始めて来たが、奥飛騨の山々や、せせらぎ街道の紅葉の様な鮮やかさは無いが、遠くへ出掛けなくても周辺で少し紅葉が見られる。
 
下のは、昨年(2011)の、十月二十四日の、飛騨セセラギ街道の紅葉です。
 
今朝買い物帰りに近くを一回りして、見て来たが、最初はneko周辺の山の風景です。
 
 
イメージ 1
イメージ 2
 大和道の駅周辺
イメージ 5
イメージ 11
 
イメージ 16
イメージ 12
 
 
イメージ 13イメージ 14
 
長良川ウインドーパーク
 
イメージ 15
 
イメージ 3
イメージ 4
大和古今伝授の里
イメージ 6
 
イメージ 7
 
イメージ 8
 
イメージ 9
イメージ 10
 
此処は春に成れば、見事な桜並木です。此の篠脇城、東氏の馬場鍛錬場だったそうです。
 
 
今日はneko達の大和老人クラブ単会で、会員物故者と戦没者法要をお勤めしてきました。
 
大和シニアクラブ単会で、此の行事を遣っている所は、私達と他に一箇所の単会だけです。恐らく老人クラブ設立当時からの、行事と思います。
 
私の親達も毎年お勤めをしていた事は、知っていますが、今、調べて居ないので何年前からか、解りませんが、もうすぐに、法名軸に入れて貰う歳になり、シンミリとお勤めしました。
 
イメージ 1イメージ 2   
 
イメージ 5
地元の寺住職の阿弥陀経、読経の後、法話を少し、皆あの世へ近く成った者ばかりで、真剣、念仏唱えて居ます。
 
法話は2年前の写真ですが、物故者法名軸が、満杯になり、今年は一つ増えて居ます。
 
イメージ 3
 
新しい法名軸には、未だこの先長い事入りたく無いが、そんな都合の良い訳には行かず、新しい法名軸の上から3列目ぐらいに成るかなぁ〜等と言っている老人も居ましたが!!??
此れだけは自分では解りません、この世は無常ですから、年の順番では無いのです。
 
6年程前から、私達が話し合って、戦没者の法要も同時にお勤めするようにしました。
此の地区の戦没者法名軸
 
イメージ 4
 
 
未だ戦争体験者達は最高齢者ですが少し残っていて、当時の事を熱く語っていましたが、悲惨な戦争を2度と繰り返さない様祈りながらの法要でした。
 
大東亜戦争の特攻隊動画です。本当にこんな事が有ったのです。老人会の人達は、忘れる事は出来ませんが、今は平和な世の中で、喉元過ぎれば 熱さ忘れる。では済まされません。
 
 
午後はお斎を頂き、少しの酒やビールで懇親会、皆昔話しばかりが多い、中には
元気の良い年よりも居て、今の政治の話も熱く語って居た、何よりのストレス発散です。
 

薩摩芋の思い出

今日は、良い天気で日中は暑いが、朝晩は、メッキリ寒くなり、炬燵やストーブを出している。もう何時霜が降りてもおかしく無いので、残ったサツマイモを全部掘ってきた。
 
八月終わり頃から、少しずつ芋の株から抜いて居たのと、少しの場所しか作って居ないから、数は知れた物ですが、芋を食べる人は家内一人だけですから、此れだけで十分です。
 
イメージ 1
 
イメージ 3
芋を掘った場所。
    
イメージ 2
昭和19年頃に、川崎航空の機械工養成所で教育を受けて居た頃は、食料事情が非常に悪く、毎日腹が減って何か腹の足しに成る物が欲しいばかりで、勉強はそっちのけ、目の色を変えて、毎日食い物探しをしていた。
 
或る日、教練の休憩時間に、フト塀の隙間から覗くと、外は一面の薩摩芋畑でした。
今度の日曜日に外出許可を貰い、此の畑主の所へ行き芋を少し分けて貰うつもりで、計画していた所、不寝番の当番が回ってきました。ネコの時間は、夜中の1時からです。
 
二人一組で、一人は巡回、一人は詰め所で電話や、非常事態に備えて、其処で待機する事に成って居た。いよいよ午前一時前に成り、前の人と交代をして、部署に付いた。
 
相方のH君が、「今夜塀の外の薩摩芋を掘りに行こう」ヒソヒソと耳打ちをするが、チョト躊躇うが、早速実行になる。
 
裏の塀は木造の3m足らずの高さだが、内側の貫きを足場にして、よじ登り、飛び降りると、芋つるの中から、五ヶ〜六ヶ程抜き取り、塀の下へ穴を掘り、芋を埋めて、又塀を乗り越え帰るのだが、今度は足場が無い。畑を探すと棒の切れがあり、塀に立てかけて、何とか元の不寝番の部署に帰って、二人だけの秘密にし、素知らぬ顔をして居た、
夜間に埋めて置いた薩摩芋を、内側の塀の下から掘ってきて、布団の中で生芋をナイフで切って、かじって空き腹の足しにしていた。
 
URLは此処から岐阜までの、軍事訓練の行軍です。
 
此の養成所も11月一杯で終了して、本社工場へ戻るが、機械は田舎の工場へ疎開中で、何も遣る仕事は無ので、工場空き地原野の開墾。そんな事して居るうちに如何にか、担当の機械があてがわれた。
 
其処へ2歳年上の女子学徒動員で派遣されて来た人の所へ、未だ半人前の坊(neko)に、女子学徒にノギス、マイクロメーター、その他測定工具の原理や測定の遣り方を教えよと、いわれる。
 
女子学徒は6人位ずつに分けて、現場で図を描いたり、実物を取って測り方を教えていたが、其の中の一人のお姉さんが、私の説明が終り帰り掛けると、大きな風呂敷包みを持ってきて、「此れを寮のWに渡してほしい」と言う。Wさんと聞いてビックリ、軍事教練の教官と、兼任で、私の泊まっている寮長です。その女子学徒は、Wさんの妹だと言う。
 
消燈後に密かに、寮長の部屋を訪れて、風呂敷包みを渡して、帰ろうとすると、チョット待てと言われるが、こんな鬼みたいな、教官寮長の居る部屋から一刻も早く退散したいが、寮長は衣類や、下着の包みの中から、新聞紙に包んだ薩摩芋のふかしたのを、一つ差し出して此処で喰って行けと言われる。
 
そして「君が俺の妹の担当か、頼むぞ」と言われて、恐縮、  芋は此処で喰って行け、他の者に見付かると不都合だ、と言うが、喉に詰まって通らない、お茶迄教官にサービスして貰い、そそくさと引き上げたが、其のうち2〜3回、寮長の下着の交換と一緒にふかし薩摩芋の仲介をして、寮長教官からは受けが良くなり、同僚が知らない内に、たらふく芋が喰えて、腹の減ったのが助かった。
 
これも、教官と私だけの秘密で、普段は皆と一緒に教練で絞られていた。
今は飽食の時代で、ネコは余り薩摩芋を、好まないが、さつま芋を見ると昔、こんな事も有ったなと思い出す。
 

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事