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19日ブログ続き 邪魔者正連寺を焼き払い、正蓮寺一族を悉く追い払った帰り雲城主の内ヶ島は、各地に有る金山の砂金採取も安気に独占出来る様になったが、残された領民達は心の拠りどころだった、正蓮寺を失い失意のどん底になり、生活には活気がなく、内ヶ島の統治には次第に反感を示すようになる。表向きは内ヶ島に従う様な振りはしても次第に城主にはソッポを向き始めて、此処の統治が難しくなる。 一方乳母の里へ逃げた亀寿丸は正蓮寺焼き討ちの怨念は一朝にして消え去るものではなかった。 丁度その頃吉崎御坊に来ていた蓮如が、その8代前親鸞の師匠、法然の教えから「仇打ちは今怨念を晴らした所で、又何時か其の仇が打ち返されるもの。それが永遠に続くもので、争いはここらで許し合い和睦を」と諭されて、同意はしたものの、武士と言う奴には何時だまし討ちされるか解らないので、簡単には白川郷には戻れなかった。 まず飯島村より遥か北の(荘川下流)五箇山まで来て或る寺で亀寿丸を明心と改めて、浄土真宗を布教する、 それを聞きつけた飯島村、鳩ヶ谷村、荻町、周辺村の領民たちは、こぞって五箇山参りに行ってしまう、領民達は其の亀寿丸を唄った歌が、この地で伝承されている、民謡(古大尽)です。 (殿様よう〜〜行きゃるなら、ためらいなされ、おらの、お背戸のショロショロ川にぃや〜 昔蛇がすむ、 今亀が住む、亀も亀じゃが人取る亀よ〜〜 昨日は4人取った、教(今日)は5人取りゃった、合わせ申せば9人の家内、 そやに取ってくれんな、人の種が絶えるサハヨ〜〜〜) さていくら待っても、帰り雲城下へ戻って貰えない明心殿に、内ヶ島上野介は、息女の大岡姫を 明心へ嫁がせる事で話は決まるが、 さて其れからが大変、何処に正蓮寺を建てるか、村々の誘致合戦が始まる、皆で色々思案した結果、八幡神社に植えてある大杉を切り、神社前に居た赤牛に其の木を曳かせて、牛がヘタバッタ所に建てようと決まる、牛は南へ向いて歩き出す(荘川上流)中野村(今は湖底)まで来た所で止まった。その大杉一本を全部使って正蓮寺を建てたと伝えられて居る。そして正蓮寺を照蓮寺 と改める。 写真は御母衣ダム湖底に成る前の照蓮寺です。 昭和32年頃私がダム工事の仮設建物を建てに行く途中の休憩場所にした寺です この寺が私の檀那寺先代ご住職坊守さんのご実家でした。 私も独身でした。坊守さんも娘さかりだったでしょうが、気がつかずに居た、 そしてそんな歴史のある寺ともつい知らずに、撮ったものです。 照蓮寺を建て、落慶法要に記念植樹された桜がこの寺と、近くの光輪寺に一本ずつ植えられたのが、今国道156号線脇ある桜です。ダムに水没する桜を、電源開発総裁が発願されて移植されたものです。 中野照蓮寺は水没するため、現在は高山市城山へそのまま移築された居ます、屋根は銅版に葺き替えられています、 下写真は、スーパー林道登り口より荻町を撮ったもの。(平成4年頃撮影)2枚重なっている |

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