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昨日は久しぶりで良く晴れて暖かいので、正月からコタツに入ったまま、の状態から抜け出して
少しばかりの運動に出る。
まだ雪が残る所もあるので、南へ行けば寒くないと思いながら、買い物がてら、八幡城へ行く。
麓の岸剣神社まで行くと、消防車や、救急車、大勢の消防団員が慌しく走り廻っている、何かあったのかと聞くと「文化財消防訓練」だと言う。(1月26日、朝刊の記事)
消防隊は「登城ならどうぞ、気を付けて行って下さい」と言うので登り始めるが、一昨年以来登っていないので、体力も衰えたのか?かなりキツイ。路面には雪は無いが、息が切れる。
長い時間をかけて、のぼりついた。雪の八幡町市街が一望。息が切れる、暫らくベンチで市街を眺めながら休憩。こんな物好き誰も居ない、唯消防隊員だけが訓練終わり、ホースを畳んでいる
天気も良い、もう少し雪があると、面白い写真になるがな〜〜と疲れていながらも生意気な事思う。
向こう側に見える山が東氏の居城、東殿山。城跡があります。
前にも良く此のブログに投稿して居るが、また同じ記事かも知れないが、粗筋を。
郡上八幡東殿山城主、東氏12代目、東常慶には、一男三女があった。其の内女一人は是まで数々の戦功のあった、神路木越城の弟で、苅安城(現美並町)の遠藤盛数に嫁がせた。
一男である、十三代目を嗣ぐ、東常堯 は末っ子で甘やかされて育てられ、一寸不出来な育ちもあり、神路木越城の娘、お通に惚れていた処アッサリ振られて、畑佐城の六衛門へ嫁いでしまう。
この世のことは何でも思うように出来るものと、勘違いしている常尭は、木越城主を逆恨みして神路で長良川を渡る用意している所へ来て、その場所で木越城主を殺害してしまう。 さあ〜大変なことになった。
弔い合戦が始まる。自分の主君を討つのであるからえらいことである。
東殿山は海抜五百二十メートル、激戦は十日も続いたが、難攻不落の城は容易に落ちなかった。
遠藤勢は城への水路を断つことに、成功した、水が無くてはもう生きられない 暫く様子をみていれば城も陥落するだろうと、
すると不動の龍の真上へ馬をを引きだし、背中から白米を落とし、遠くから眺めれば水を流して馬の背中を洗っている様に見えた。
遠藤勢は城中にはまだ水は沢山有ると思い込み士気もゆるみだした。
そこへ安久田に住む老婆が進みよって来て、「あれは白米ですぞな。お城には水は無いはず、このババが道案内をしましょう」と言って、教えて貰い、藪に覆われた山道を行き背後から攻めて東殿山城へ攻め登った。
背後を突かれた城兵は慌てふためき、深い谷底へ落ちて死んでしまった。
今はそこを地獄谷と呼んでいる。(郡上市役所の裏)
常尭は辛うじて此処を脱出、明宝村の山伝いに飛騨の帰雲城へ逃げる。 常慶はもう是までと自害する
そして遠藤は現在の八幡山に城を築き かくして郡上は遠藤の支配下に入るのである。
明治初年に成り廃藩置県となり、取り壊されたが、昭和8年大垣城をモデルに、此の模擬城が作られたのである。
暖かい一日で良い汗かいた。万歩計3400歩程でしたが高齢者にはきつかった。
2006年に登った「東殿山城跡」URL開いて見てください。
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