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御母衣ダム。ロックフィルダム 昨日の続き
最初の計画は高さが120メートル位あるダム計画でしたが、其の後計画は大きな壁にぶつかる。原因は地震地帯で地質の(ゼイジャク)さ、で有った。
此の一帯は、断層が多くて崩落の激しい地質で、(天正15年)には、大地震に縁ってダム下流に有った「帰雲城」が崖崩れで、埋没し、城主、内ヶ島氏理一族が滅亡すると言う歴史が有った。
事業の重要性と困難を考え、関西電力は工事の遂行が困難である事と見たので、技術関係者は地質が弱くても建設が可能なロックフィルダムによる建設をえらんだそうだ。
奥に見える崩落した山は、地震で壊れた所
此の下に帰雲城が有ったと、推定されています。
ロックフィルダムとは、従来型のコンクリートで固めた此の御母衣ダムの下流にある、鳩ヶ谷ダムの様な物では無いのです。
断面図に有るように石と粘土で突き固めた物で、川の真ん中へ大きな山が降りてきて座ったような物でしょうか。
見た表面は岩がゴロゴロしていて、コンクリート打ちで仕上げた所は、ダムの水がオーバーした時に流し出す排水流路工や、発電用水の取り入れ口ぐらいに見えます。
私の住んで居る郡上でも、此のダムがセメントを大量に使用する事を当て込んで、郡上八幡へセメント工場が誘致されるはずで、大きな期待をして居たが、ロックフィルダムに計画が大きく変更されて、ただの夢で終わりました。八幡周辺は石灰石の沢山ある所で、今でも石灰石で出来た、鍾乳洞等が良く見られます
ロックフィルダムで使う石は、ダムサイト近くの福島砕石場で採取されたが、大量のダイナマイトを使い、世界でも初めてと言う、発破を仕掛けました。地震学者まで動員して来て、マスコミが連日報道していた所をTV等でも見ていました。既に私達は土木の本工事に入って居るので、仮説大工は終わり、切り上げて来て、家でその様子を見ていました。
短期間では有ったが、私達のやる仮説建物工事も、当然現場で泊まって仕事に成りますが、此の遠山家の近くで飯場を建てて泊まり、雨でもカッパを着た外仕事ばかりでした。
遠山家は郵便局もやって見えましたが、新聞は3日に一度、郵便で来るだけ、新聞なんか読む暇があれば働いて金儲け優先。
(3日遅れの便りをのせて〜 ) 都はるみの歌でも有るまいが、それを地で行く。
其れでも、此のダムサイト下から、遠山家までは、「御母衣銀座」と言われて、飲み屋が軒を連ねて、昼間でも夜でも変わらぬ繁盛ぶり。特にバラック長屋の裏辺りは、昼でも厚化粧した女達が客引きをしていた。
「こんな所で金を使うな、物価は郡上の倍、手間代も倍、此処で儲けて家へ帰って使う」を合言葉にひたすら働いて、郡上でも大工仕事が待っているので、早く切り上げて帰ってきた。
其れを追いかける様に、此の発電所の通信網である関西電力バラボラアンテナの中継所を大和町内ヶ谷の山に既に出来ている建て物の増築改造をする、又山に泊り込み仕事に成る。
中部電力から、電源は賄われて居たが、冬の豪雪に送電線が切れても、電源が確保出来るように、ジーゼル発電の設備移動でした。すでに通信設備は稼動していたが、朝仕事初めにドアーを開けると、関西電力からだろうが、確認メッセージが来た。「何処で見ているのだろう」と思い不思議でした、仕事サボって遊んでいると見られている様でした!!
今の様に監視カメラ等あるはずは無いが??
雷が鳴ると足元で稲妻がして、恐ろしかった、山登りをする人は経験済みでしょうが??
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