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休耕田の最後の作物「さつま芋」が少し残って居るはず、雑草延び放題、背丈ボウボウで何処に何が有るのか解らなくなった。5日程前に雑草の刈り取りして置いたので、やっと芋つる発見。
2人暮らしの生活には、全部芋を掘って見ても消費出来ないので、一株だけ掘って見る、
芋の肥料らしい物何も入れない捨て作りだが、これはビックリ!!大きいのが4個もついている。
品種は多分「紅あずま」だろう、最初植えた時は「鳴門金時」でしたが、その一部が枯れて、追加で植えたのが紅アズマ。どうなって居るか??芋を見ても解らないが、「鳴門金時」はこんなに採れないだろうから。
この休耕田の隣の畑も、草ボウボウですが、7年ほど前に「菊芋」の種を貰い植えた所。それ以来毎年菊芋が茂り、これを取り除くのに如何にも手の付け様が無くなった。
「菊芋」は元来野生の物で、繁殖力が強く芋種を掘り起こし捨てるより仕方がないようだ。
少しなら、粕漬けや、味噌漬けにして食べると旨いが、これも沢山有っても仕方がない。
昭和19年頃から、終戦後未曾有の食料不足の時代を見事乗り切り抜けた、お手柄者は、さつま芋でしょう。それに続いて、かぼちゃ、焼き畑地でも出来るそば、等が、この食料危機を救ったのです。
その時代の農家には各戸別作付け面積に応じて、半強制出荷の割り当てがあり、さつま芋も例外無く厳しい検査をして、強制供出していました、何とかして供出の「目こぼし」をしたくあの手この手を使い、家の中へ隠したが、それも限界があった。
都市の非農家からは、大きいリュックを背負った人が、買出し列車の窓から乗り降りして、今日一日喰うのに必死の生活でしたが、それもやっと農家から手に入れたサツマイモや、雑穀も、運が悪いと警察官の一斉検問に掛かり、買った芋諸共「食量管理法違反」で没収される、理不尽な世の中でした。
小学校の校庭は、朝礼や体操出来るスペースを残し後は全部さつま芋畑に変わっていた。
農家でも何とか「お目こぼし」を考えて、河川敷や山の裾野をコッソリ開墾して芋や雑穀を作り
この難儀を超えてきたが、サツマイモや南瓜は、肥料も手間も掛らなく、雑草の中からでも、其れなりの収穫があった。
既に66年昔の事だが、サツマイモはその時代食料飢饉を助けたお手柄者です。
又その時代に立候補した国会議員のマニフェストが、一人一日3合配給の実現と言っていたが、今すぐにそんな事出来る筈が無いと思っていた。来年の豊作が約束出来るハズが無いから。
今思うと「本当にそんな事有ったの」と思うでしょう。その後経済が少しずつ、復興して来ると、「貧乏人は麦飯を食え」発言で、物議を醸したが、国会の場が食い物の話ばかりでした。
日曜日に私達地区100戸未満の自治会で手作りの敬老会があり、招待して貰ったが、そんな食料危機の思い出話や、戦争体験話をしながら、一日楽しませてもらった。
老人達一様に今は有り難い世の中に成ったと喜んでいた。
終戦直後時代の年寄は80歳を越える頃は、何もかも実って居たのか!?早く極楽へ収穫されて行ったが、現在の年寄は未だ稔りが遅いのか、青い者ばかりで、稔っていないので、もう20年後まで待って貰う様に閻魔様に頼んで置いて下さい。
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