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岐阜県美濃市は、郡上市のすぐ南隣の市ですが、合併前までは、武儀郡美濃町と言っていました。
昭和29年に美濃町は、洲原村、下牧村、上牧村、大矢田村、藍見村、中有知村、と合併して美濃市になりました。
それより以前を、ず〜と、さかのぼれば、明治44年までは、「上有知(こうずち)」と言っていたのが、美濃紙の生産で、全国的に有名になり、その美濃和紙にちなんで「美濃町」に改名されて居たが、昭和になり洋紙の普及により、美濃和紙の生産が殆んど行われなくなりましたが、最近又新しい和紙の研究が進み復活し始めました。
驚く事に、和紙で作った「美濃和紙太鼓」が、有りますが、強く打てば破れるのでは、と心配して聞いて見ると「絶対そんな事は無い」との事でした。
その外に和紙で作った、衣装も素晴らしい物が有ると言います。ウエデングドレス、着物、下着、水着、等、水着は海へ入ると、海から出るときは、水に溶けてスッポンポンに成るので無いかと、心配するが、此れも絶対そんな事は無い、何回でも洗濯出きると言われます。
江戸時代には、「上有知湊」から(今は旧吊橋、美濃橋下流に残る)」港から、長良川を利用した運搬により、長良橋の横にある「港町」へ荷揚げして、良質な和紙を使い、岐阜提灯、岐阜和傘、岐阜うちわ、が生まれ、現在も岐阜の工芸品として生産が行われています。
たまたま美濃市、道の駅「にわか茶屋」へ寄ったら、隣の別屋で、「美濃和紙で作る花季展」と言って、「美濃和紙同好会」の皆さんの作品が展示してありました。太鼓や水着は展示して有りませんので、破れる心配なく見てきました。和紙で作ったと言は無ければ、本物と間違えます。
おまけ
美濃和紙で作ったマツタケ
此処の美濃和紙同好会展示歴史案内によれば、奈良の正倉院に残されている「御野国」戸籍断簡(792)に見られるように、1300年以上の歴史を誇り、美濃では平安時代から生産される様に成りました。と書かれていました、昔は(美濃国)を(御野国)と書いた様です。
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