|
旅行等で始めて訪れる土地では、一番先に眼に留まるのが、其の地域の建物の特徴ですが、最近は何処へ行っても同じ様なデザインの建物が並び、ローカルカラーが無くなりました。
私の住む郡上でも、昭和20年代頃までは、同じ郡上でも、南側の美並地方に建つ住宅と、北方面の高鷲地方に建つ住宅では構造的には、大きく違った建て方でした。雪の降る量や、台風の当たる道、等に縁り屋根の構造や、軒の出が替わっていて、外観は違って見えました。
ですから、初めて其の土地へ仕事に行くと木柄の大きさに、少し戸惑いました。
しかし、家の間取りは坪数の大小はある物の、何処へ行っても殆んど同じように「田の字型」の設計で、主人(施主)さんとの打ち合わせは(板図)だけですが、それで居て、お互いが家の構造まで、良く理解できました。
居間の17畳半、床の有る客間(郡上では、デーと言う)8畳間、 仏間6畳、玄関等、お決まりの間取りで、其れに南側には内法幅3尺(909mm)の縁側が部屋と、障子で仕切られて、冬の寒い日には暖かく、夏は風を良く通し年寄りが一日過ごすには、非常に優しい空間でした。
此の草葺き屋根の家は材料の萱が無くなるのと、人手も足りなくなり、昭和30年頃から急速に改築されて、40年頃は大体姿を消していきました。其れでも家の間取りは殆んど変わらず、縁側は残っていて、夜に成ると雨戸を引いて、防犯には「心張り棒」で鍵をかけて、朝は何処の家でも同じ時間頃にガラガラと音を立てながら開けたのだが、隣の人が少しでも、朝遅いとお互い心配して声を掛け合いました。
すべてがオープンな田舎暮らしも、其の後昭和40年頃からはアルミサッシを縁側にも入れる様に成ると、雨戸は台風の時の用心に引く位で、無用の物になるが、それでも家の外観の体裁も考えて、戸袋や雨戸一筋鴨居等の位置は、体裁良い仕事をしたくて、戸袋等は少し手間の掛けた仕事もしました。
その後も年が経つに連れて、体裁が良くて、価格も適当なアルミ戸袋が出来てくると、木造の戸袋を作る大工も少なくなり、今では殆んどコンナ戸袋作る事は無いでしょう。
それに平行して次第に縁側へ寄り合って雑談の場所も無くなってしまい、近年は、雨戸の開け閉めも殆んど無くなって忘れ去られました。
雨戸だけのオープン縁側時代は昼間一日中開け放しで、色々の人が立ち寄り隣近所の情報は皆筒抜けで、誰もプライバシーなどや個人情報と言うことは、気にも掛けずに、困ったときはお互いが助け合う土壌が出来ていました。
アルミサッシで仕切られた空間へは、他人の立ち寄りを拒み、若者は、車で朝晩の通勤に成ると、一ヶ月でも隣同士が顔を合わせなくなり、次第に疎遠に成っていくのです。
縁側を通じて、近所同士のご縁が深まる社会が出来れば、良いのですが、色々の意味で考えさせる事の多いのだが、縁側文化もいずれは消えてなくなって仕舞うのかと思うと。複雑な感慨に打たれるのです。
幸い我が家ではまだ、私が縁側でパソコンをやって居るので、物珍しい事もあるのか、良く人が寄り付いて聴かなくても良い情報まで、落としていく。
ついでにもう一つ大きな家を入れて置きます。
郡上市からもう少し156号線を北へ行き、蛭ヶ野を越えた辺り迄行くと、飛騨市の牧戸になるが、此処に「荘川の里」と言う所にこんな大きな民家が展示して有ります。入れて置きます。
此処は縁側は、有るようだが、外から出入り出来ませんが、郡上にはこんな大きな民家はなかなか珍しいと思います。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


