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久しぶりで昨夜から雨降りになり、気温が少し上がる。今朝は晴れ来たので、何十年も寄り付いた事の無い長良川鉄道、山田駅付近を訪ねてみた。
此の鉄道は、元国鉄、越美南線と、言うが、昭和50年の後半頃から、利用客の減少で赤字がかさみ、廃止路線の対象になり、もう存続は不可能かと、思っていたが、昭和60年代に入ると第3セクター長良川鉄道として、営業が再開されました。
私は昭和5年生まれですが、何時の頃から、物心のつき始めた頃に、祖父の背中に負んぶして、汽車を見に行きましたが、時々煙突の長い機関車が、無蓋貨物車にバラスを積んで来て所所で、止まって、降ろして居ました。
車掌や機関手の真似をして遊んで事、幻ながら少し覚えています。
昭和9年には終着駅の北濃駅まで開通したと言いますから、昭和5年頃は此の「山田駅」迄は開通していたのでしょう。
岐阜県と福井県の越美北線を結ぶ計画で越美北線は福井県九頭竜湖駅まで建設が進んでいましたが、田中角栄元総理大臣の日本列島改造論の波に乗り、郡上町村議会でも、田中角栄邸までも陳情に押しかけたと言う話でした。例の角栄スタイルの下駄履きで、片手上げて「ヨシヤ、ヨシヤ」と言われて喜んで帰ったと、当時の議員から聞いた話です。それから後にロッキード事件でオジャンになりました。
上を跨いで居るのが、東海北陸高速道で、車社会の発達と、共に長良川鉄道も利用客の減少で、経営が苦しく、此の後どうなるか解らないが、細々ながら動いています。
大東亜戦争最中は、出征兵士の見送りや、無言の兵士の帰還の出迎えに、又終戦後には、郡上木材の積み出し、木炭、薪、の出荷、ガス薪(木炭自動車の燃料)の積み出しと、日常生活物資、農業資材の移入も皆、鉄道に負んぶして居たので、引っ込み線もあり、上下線の行き違いも出来て、此処で働く駅長以下大勢の鉄道マンが活躍して居て、此の駅前は活気が有りました。
私も長良川鉄道出来てから、未だ利用した事が有りません。久しぶりで来て見ましたがみんな昔の夢物語です。
帰りは長良川の川端を散策しながら、歩くと柳の芽、コロコロの枝を取っている人に会い、雑談して帰る。
田んぼの端に蕗のとうが出ている。写真だけ撮る。午後は風が吹き始めて寒くなる。
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