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此の橋は「釜淵橋」と言います。現在はこの辺を「リバーサイドタウン」など、と言うハイカラな名前が付いて居て、大型スーパーや、ホームセンター、其の他色々の大型店が並び、大和町一番の、商業地になった。
昔(昭和17年頃)」私の小学校高学年頃は、木造の吊り橋で、馬車や荷車の通れる程度の、小さい木造橋で、其の下は釜淵と言って、河童が住むと言い、昼間でも一人で通るのが怖かった。夏休みの合宿で、夜の「肝試し」によく使われて、本当に嫌な思いをしました。
終戦後も橋は、まだ其の儘残り、大工の見習い頃に橋の修理に行ったが、吊り橋から、河の流れる下を見ると、高所恐怖と共に、自分が河の流れと共に、動いて居る様で、何かに掴まって居ないと不安で、仕事に成らなかったが、他の人のお助けお蔭で何とか終った。もう2度と行きたく無かった。
ココから北は何も無い、沼田や河川敷の区別が無い様な土地で、所所に簡単な堤防はあるが、火葬場が一軒有っただけでした.
昭和34年伊勢湾台風で、両岸の農地が流されて、河幅も大きく成り護岸工事をして、安全が確保されると、火葬場の隣へ、周囲の住民へ騒音を避けて、やって来たのが、大和森林組合の、製材所でした。
現在この写真の、森林組合製材所は、閉鎖したので、民間の人が繋いでいます。
昭和30年に弥富村、山田村、西川村が合併して、大和村になり、庁舎は国道沿いに作ってあったが、昭和60年に大和町になると、間もなくして、昭和63年頃には、森林組合の南へ新庁舎が出来て何も無かった不便な所に、少しずつ整備がされてきた。其の後次々と公共建物や、道路も整備されて、景観も変わって行った。
元製紙工場の木材チップセンターが有った所が、閉鎖されて、大型スーパーや、ホームセンターがやって来ると、本屋の、三洋堂書店が出来、薬屋ができて、今は、ヤマダ電気が開店準備をしています。
河川敷も整備されて、一面の芝生が植えられて、盆の花火大会の見物席に成たり、皆さんの憩いの場所にも成っていて、半世紀の間に、スッカリ昔の面影は無くなりました、河童や、古狐、幽霊、の住み家が無くなりました。
平成16年には、郡上7ヶ町村が、合併して郡上市になりました。
此のホームページは、大和町観光協会のホームページです、気が向いたら見てください
http://www.xwns.co.jp/yamato/ ここをクリック
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