ネコの道草

83歳のネコブログです。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

今日は八朔(はっさく)、 二百十日、関東大震災、と厄日です。八朔とは、稲の半作とも言われて、災害から、逃れれば、豊作と言います。
 
イメージ 1
 
   又ネットで調べると、昔は、豊作の初穂を恩人に贈る風習があって、(「田の実」の節句)と言う事で、「頼み」に掛けて、お世話に成った人に、贈り物をする様に成ったそうです。
いわゆる今日(9月1日)は、旧盆でもあり、お中元挨拶の始まりらしい。
 
郡上を治めて居た、東氏、東殿山城の、北の守りをしていた、木越城主、も、今日の八朔のお中元挨拶の帰り道に殺害されて、歴史の逆転換が有りました。
 
(その事件)
郡上八幡、東殿山の、東氏13代目、東常堯が飛騨、帰雲城より阿通を、妻として迎える少し前までは、郡上と牧戸の蛭ヶ野あたりは、西の白山伏流水が湧き出ていて、一面沼池で水芭蕉の、群生地になって、とても人馬の通行出来る所ではなかった。それで牧戸城は南からの侵入には無防備であったが、少しずつ蛭ヶ野道路も整備されてきて郡上からの攻撃も考えなければならなくなり、そこで郡上の東常堯へ黄金の持参金付で、氏理(うじさと)の妹、阿通を嫁入りさせたのである。
 
常堯は阿通の器量と溌剌とした健康美にはお気入りだったが 元々凡庸の常堯は場皿の木越城主遠藤胤縁の妹、お園に惚れていて夜、お園の寝所へ忍びこみ盗賊呼ばりされて、面目を失って居た所へ同じ士族の畑佐城、六右衛門の所へ嫁いだ。この世の事はなんでも自分の思う様に事が運ぶと思っている、常堯は激怒た。畑佐六右衛門とも不仲になり 又胤縁にも何時までも怨念に懲り固まってた。
                   (遠藤木越城,跡の有る山)
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
八朔のお祝い(新暦9月1日)に毎年の行事のとして、贈り物を持って遠藤胤縁は家来を連れて東殿山へ挨拶に上がった、   遅くまで祝い酒の振る舞いを受け、ほろ酔い気分になった胤縁主従は この、神明神社まで帰って来て、 此処から川を越えようとして準備に掛かった所を 密かに後を付いて来た、常堯の家臣によって殺害されたという
 
イメージ 4
 
弟の仇討ちと、南の守りをしていた、刈安城、兄の遠藤盛数は八幡山に陣を張り、東殿山の戦いが始まり、東氏を滅ぼして、遠藤の時代が始まる。
(現在の八幡城は遠藤盛数が初代)
 
ここで殺害された木越城主供養の為此の土地では八朔踊りがあった。その時代の供養踊りは、まだ今の様な踊りとしては確立していなかったが、  提灯に火を入れて亡くなった其の霊を迎え 大勢の人が輪になって霊を迎え、又あの世へ送る仏教行事だった。 そして皆で念仏を上げながら輪を作り提灯の廻りを、回るだけの単調な行事だったそうです。 
 
そして宝暦騒動の後、青山の殿様になり少しずつ年月をかけて、現在の郡上踊りの形になっていった。
 
胤縁殺害された場所の話は、その他にも、色々の説が有るが、私が、若い頃、既に故人と成った方からも聞いていたが、良く覚えて居ないので、郷土史家の話も、簡単に入れています。
                                           (郡上郷土史家の話から)       
 

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事