|
今日は盆であると同時に、終戦から67回目の日です。盆はその家族の六親眷属(ろくしんけんぞく)の人達が、集まり、先祖の墓参りや、久しぶりで顔を合わす夏の、楽しいひと時でもあります。
遥か遡り、昭和20年の今日は、日本国の、庶民が初めて昭和天皇の声を聞いた日で、其れまでは天皇は、神様で有ったので、天皇陛下の声を聞く等とは、思いも及ばなかったのです。
「正午に重大放送がある」と言う話は聞いたが、其れが何であるかと、言う事は全く解らなかった。
川崎航空の職場で始めて日本が負けたのだと聞かされて、此れからは、どうすれば良いのか、指示の出来る人は一人も居なかった、
B29からの、爆弾や焼夷弾が、落とされなくなって、命の安心は出来た物の、何時アメリカ兵が上陸して来るのか、8月一杯は不安の連続でした。
戦時中に教えられた、鬼畜米英、も嘘だったことも解り、胸をなでおろしたが、それからは食料事情の厳しさが、戦時中より悪くなり、小さい農家では家族の食料確保が、やっとの事でした。
まして非農家では、其の日に食う米など、ある筈が無いし、サツマイモやカボチャで、飢えをしのいでいたが、食べられそうな草や、木の芽等は取尽くされて、食えそうな物は、何でも食った。
畑で、農家が作った、カボチャや芋なども、夜の内に盗まれる事も度々あり、恥も外聞もない必死に追い詰められた、毎日でした。
東京皇居前広場では、食糧メーデーで、「朕はたらふく、食っている。爾臣民飢えて死ね」と、書いたプラカードを揚げた、人が有り、「天皇を誹謗した」と言う事で一時問題なりました。
あれから、67年此れを知る人も少なくなり、現在は其れを思い出すと、極楽の世界です。
昨年の盆風景
今年は雨にたたられた盆で、外では御馳走出来なかったが、大勢でワイワイガヤガヤと、食べるご馳走は、又格別です。
ばあさんの手伝いで、子供や孫達が、沢山作ってくれて、久しぶりのお楽しみでした。
茗荷は、自家製の天然ものです
67年の昔には、こんな良い世の中が来るとは誰も想像しなかったでしょう。
白米のご飯が食える事が、夢の世界でした、それを「銀飯」と呼んでいました。
普段は平和ボケで忘れているが、毎年今日の日は其の当時の食料難を思い出します。
戦争は、負けても、勝っても、悲惨な目に遭うのは、何も知らされない庶民だけです。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


