ネコの道草

83歳のネコブログです。

仏教

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報恩講

報恩講とは、浄土真宗門徒の方で、親鸞聖人のご恩を報謝する宗門特別の年一回の大切な法要です。親鸞さんは今年9月まで中日新聞連載(親鸞)を読まれた方々はご存知と思いますので、省略します。

当檀那寺でも今年も10月12日〜13日まで、勤まりました。今年は新しい後継者のが来られて色々本山のしきたりに、のっとり薦められました、

寺用語では新しい後継者の事を新発意(しんぽち)と言いますが、現在の住職も若い頃「シンポチ」と言われる事が犬みたいなので嫌だったと言われ、私達は今度の後継者を(若院)と呼ぶ事にしました。寺用語言葉は、同じ字を書いても読み方が違っているので、我々にはわかりません。

色々の準備が大変なので、檀家の方々を大勢お手伝い頂かないと、出来ないのですが、若い方達は自分の仕事勤めもあり、手間暇の掛かるお華束作り等は後継者も居なくなり、出来なくなりました。 餅つきから、大きさの揃ったお華束作り、(須弥盛)という飾りつけになると、もうお手上げ状態になり、5年程前から、木で模型を作りました。高齢者は頭の中では十分出来ますが
体と手足が思う様に動きません。

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先ず寺物置より昨年仕舞って置いたダンボール箱を出して組み立てるのだが、皆「忘れた忘れた」と言いながら、どうにか組み立てます。是さえ出来なくなれば、どうするの??

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金供笥(きんくげ)の組み立て、方立てを供笥にさします。

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みかんを載せます

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みかんを載せた板の上にもう一段お華束を乗せてその上にりんご一個

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これで完成、かなり重いので2人係で吊り上げます、阿弥陀様前左右2個ずつ、4個

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佛花立ても同時進行、これは中高年の方で本格的に立てられる方が見えるので、私達は手伝い

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内陣須弥壇荘厳

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嘉念坊善俊聖人

19日ブログ続き
邪魔者正連寺を焼き払い、正蓮寺一族を悉く追い払った帰り雲城主の内ヶ島は、各地に有る金山の砂金採取も安気に独占出来る様になったが、残された領民達は心の拠りどころだった、正蓮寺を失い失意のどん底になり、生活には活気がなく、内ヶ島の統治には次第に反感を示すようになる。表向きは内ヶ島に従う様な振りはしても次第に城主にはソッポを向き始めて、此処の統治が難しくなる。

一方乳母の里へ逃げた亀寿丸は正蓮寺焼き討ちの怨念は一朝にして消え去るものではなかった。
丁度その頃吉崎御坊に来ていた蓮如が、その8代前親鸞の師匠、法然の教えから「仇打ちは今怨念を晴らした所で、又何時か其の仇が打ち返されるもの。それが永遠に続くもので、争いはここらで許し合い和睦を」と諭されて、同意はしたものの、武士と言う奴には何時だまし討ちされるか解らないので、簡単には白川郷には戻れなかった。

まず飯島村より遥か北の(荘川下流)五箇山まで来て或る寺で亀寿丸を明心と改めて、浄土真宗を布教する、

それを聞きつけた飯島村、鳩ヶ谷村、荻町、周辺村の領民たちは、こぞって五箇山参りに行ってしまう、領民達は其の亀寿丸を唄った歌が、この地で伝承されている、民謡(古大尽)です。

(殿様よう〜〜行きゃるなら、ためらいなされ、おらの、お背戸のショロショロ川にぃや〜
昔蛇がすむ、  今亀が住む、亀も亀じゃが人取る亀よ〜〜       昨日は4人取った、教(今日)は5人取りゃった、合わせ申せば9人の家内、      そやに取ってくれんな、人の種が絶えるサハヨ〜〜〜)

さていくら待っても、帰り雲城下へ戻って貰えない明心殿に、内ヶ島上野介は、息女の大岡姫を
明心へ嫁がせる事で話は決まるが、

さて其れからが大変、何処に正蓮寺を建てるか、村々の誘致合戦が始まる、皆で色々思案した結果、八幡神社に植えてある大杉を切り、神社前に居た赤牛に其の木を曳かせて、牛がヘタバッタ所に建てようと決まる、牛は南へ向いて歩き出す(荘川上流)中野村(今は湖底)まで来た所で止まった。その大杉一本を全部使って正蓮寺を建てたと伝えられて居る。そして正蓮寺を照蓮寺
と改める。

写真は御母衣ダム湖底に成る前の照蓮寺です。  昭和32年頃私がダム工事の仮設建物を建てに行く途中の休憩場所にした寺です この寺が私の檀那寺先代ご住職坊守さんのご実家でした。
私も独身でした。坊守さんも娘さかりだったでしょうが、気がつかずに居た、
そしてそんな歴史のある寺ともつい知らずに、撮ったものです。

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照蓮寺を建て、落慶法要に記念植樹された桜がこの寺と、近くの光輪寺に一本ずつ植えられたのが、今国道156号線脇ある桜です。ダムに水没する桜を、電源開発総裁が発願されて移植されたものです。

中野照蓮寺は水没するため、現在は高山市城山へそのまま移築された居ます、屋根は銅版に葺き替えられています、

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下写真は、スーパー林道登り口より荻町を撮ったもの。(平成4年頃撮影)2枚重なっている

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嘉念坊善俊上人

7月15日ブログ続き。嘉念坊善俊上人 白川郷へ
先にお断りして置きますが、私は浄土真宗寺檀家であるが、歴史家や物知りの偉い人では
有りません只の半ぼけ後期高齢者老人です。

十数年前に「帰り雲城」「白川郷の金山」等など歴史小説を読んでいた居た所、たまたま
私の旦那寺の先代ご住職 坊守さんが照蓮寺が生家であった事から、善俊上人が身近なお方に思えて来て、関心が湧き 下の写真は白川郷鳩ヶ谷に有る嘉念坊道場跡を(復元)した所を、平成10年頃にフイルムカメラで撮ったものです。

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奥の萱葺き建物が道場 正面が入り口
復元されたコノ建物の地で嘉念坊善俊上人は69歳で入寂されて、遺体をここで火葬されたと説明書きが有った。
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道場です、在家と同じで仏壇が少し大きいだけ、右側が入り口

嘉念坊上人はこの地を拠点として広く浄土真宗を教化して、(1313年)正和2年第2世善隆が入寂。第3世善教が道場を飯島村へ移して、正蓮寺となり、ようやく寺院として整える

第8世明誓の長男教信の頃になると、帰雲城主内ヶ島は天生で焼畑農業の稗を作ると称して、密かに砂金の採取をして財力を蓄え、その上正蓮寺と天生の領地争いに発展して行く

正蓮寺は広く浄土真宗の教えを広めて寺勢力は益々発展して、帰雲城と正蓮寺は勢力争いが輪を掛けて激しくなり、其処で教信は弟の明教へ僧籍を譲り、教信は還俗する。

自らを三島将監と名乗り武芸道に励んで、寺を守る準備を整える、
危機を感じた、内ヶ島は突然に正蓮寺を攻めて、寺をことごとく焼き払う、教信は逃亡後に戦死。弟の明教は裏山から子供亀寿丸と乳母、寺男と逃げるが途中卒塔婆峠で自害して果てる、

明教の子供、亀寿丸「2歳」は寺執事、市村太郎衛門と乳母に抱かれて馬狩川まで差し掛かる。 藤蔓で掛けた釣り橋を渡り切り、腰の刀を抜き釣り橋を切り落とし追ってから逃げる

今もこの現場は其れほど大きな川ではないが、対岸まで追って来た内ヶ島雑兵達と川を挟んで大声で呼び合う

「其の乳母が抱いている子供、女子なれば見逃してやるが、男子なれば此方へ引き渡せ」
と内ヶ島雑兵が言うと、乳母は子を高く差し上げて、男根を掴んで後へ引っ張り「この子供は女人で御座る」と言って見せると追っての者達は納得して、引き上げたと言います。
現在でも幅は広くない川です(スーパー林道馬狩料金所手前の川からもう少し下流)
地図参照

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辛うじて生き延びた三人は馬狩部落から越前まで逃げて、亀寿丸は乳母の在所で密かに育てられて後、永平寺に預けられて、法灯を守りながら15歳になる、その頃北陸の吉崎御坊に居た蓮如の計らいにより、内ヶ島と和睦が成立して、五個山まで来て布教しながら、後に正蓮寺を復活するので有る。

馬狩は10年程前に尋ねた事ですので、現在の地形は知りませんが、どぶろく祭りか、紅葉の季節になれば、もう一度行って見たいと思っています。
また続き、勉強して書きます。







 

来通寺と嘉念坊善俊

長良川鉄道の、美濃白鳥駅で下車して正面の道路を西へ進と、南北に走るT字路へ出る。(旧、国道156号)
其処から北の方面を見ると直角に西へ曲がる所に古いお寺が有る。来通寺です。

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山門では車の駐車は遠慮して(駐車禁止)東側へ回って通用門から歩いて境内へ行く

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通用門を通り直ぐの所に「嘉念坊善俊(かねんぼうぜんしゅん)」上人像が建てられて居る

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さてこの坊さんは「後鳥羽天皇の12人目の皇子で幼名を(道伊)と言う 園城寺(三井寺)に入り僧となる。親鸞聖人に拝謁して、(嘉念坊)の坊号を戴き自らの名を「善俊」
と改めた。

その後に親鸞は北陸へ向かい、善俊師に奥美濃へ浄土真宗の教化を託されて、師は単身
で穴馬を通り、油阪峠を越えて白鳥へ来られた。

その頃奥美濃は長滝寺(天台宗)の勢力下で、此処の圧力がきつく、嘉念坊善俊は白川郷
海上村(今は御母衣湖底になっている)で布教をするが、後に庄川を下り(北へ行く)鳩ヶ谷村に道場を立てて布教に励む。

そして又何時の日かに通って来ると、言う事で(来通庵)と命名して立ち去るのである
そしてこの来通寺は奥美濃で最所の浄土真宗が定着した所である。

鳩ヶ谷道場を開いた善俊はその後の代より「帰り雲城主の内ヶ島」と数々の駆け引きをしながら生き残って行くのである。現在は照蓮寺という、

中野に有った照蓮寺は電源開発会社の御母衣湖底になり高山市城山へ移築、
續きは次に、

長滝寺の古代蓮

「奥州、中尊寺金色堂に納められていた、藤原泰衡の首桶から100個あまりの蓮の種子が発見されて、その後植物学者の丹精により、平成10年に、800年の眠りから覚めた蓮が開花した」

と言う話ご存知だろうと思いますが、その蓮の花が、郡上市で咲き始めて居ます。

郡上市白鳥町、白鳥大橋を渡り、国道156号線を北上すると、こんな看板が見えてきます。

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長良川鉄道踏み切り通り、此看板が長滝寺の駐車場です、歩いて地図の看板見て。

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長滝寺境内まで行くと、小さいが、蓮田があります。中尊寺より株分けして貰ったのだそうです。もう一週間もすると満開になるでしょう、と地元の方は言っていました。

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向かい側に見えるのが、長滝寺です。昔は比叡山をしのぐ大きな寺だったと言いますが
この地の天台宗の衰退と火災で、現在はこの様です。

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詳しい説明は下の写真で。
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