ネコの道草

83歳のネコブログです。

仏教

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(年賀状と干支)2008年12月24日の私が投稿したブログですが、先ず開いてみてください、
 
今日寺総代会で他所の寺の整備や設備の視察見学に行ってきました。
住職、副住職(若院)、坊守、総代会11名で、八幡町3ヶ寺を回っている中で、S寺庫裏の床の間に「釈迦涅槃図」が掛かっていました。
 
以前のブログ(上のURL)で投稿したように干支に猫が入っていない話でしたが、干支に猫が入って居る国があるそうです。
タイ、モンゴル、チベット、は「卯年が猫年」に変わっているそうです。    (ホントですかいな〜??!)
 
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涅槃図は大きいがウサギが何処にいるか解らないので、
画面左下に表示しましたが、このウサギが猫になっているそうです。 初めて聞いた話ですが、国に縁っては
十二支の動物も違う所もあるそうです。
 
 

泰澄大師と長滝寺

郡上市白鳥町長滝にある「道の駅白鳥」へ寄って見る。
暫く歩き運動をしていないので、この道の駅から、長良川畔堤防を北へ少し歩くと、堤防内側に大きな「泰澄大使頌徳碑」があった。
 
この道の駅へは良く寄る所ですが、こんな近くにこんな大きな碑が建っていること知らなかった。
 
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「碑文」を一部写しておきます。
 
 
(大澄大師(682〜767)は、越前国麻生津の出身で、奈良時代養老年間に白山を開き長滝寺及び長滝白山神社を創建した白山開山の祖である。
 
この頌徳碑(しょうとくひ)は、昭和50年白鳥町民による建立奉賛会が浄財を集めて建立したもので、台座を入れて高さは約10メートル、台座は約13メートル四方ある。
 
「大澄大師」の文字は長滝出身の吉田秀映四天王寺福管長の筆。大澄大師像は大師ゆかりの「泰澄寺(福井市)」所蔵の肖像元絵になっている)
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ちなみに此碑石は白鳥町の曽部知(そべち)
産の自然石である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
泰澄寺(福井市)URL
 
 どうせ歩くのなら、又長滝白山神社へ行って見よう、此処は何回もブログネタにしているが、
毎年1月6日の「花奪い祭り」と無形民族文化財「長滝の延年」舞が有名です。今年のネコブログです
開いて見て思い出してください。
今年1月6日の花奪い祭り、
 
長滝白山神社 社殿
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泰澄大師により創建され、室町時代を中心に隆盛をしていたが、多くの白山信仰の文化遺産が残っていると言う。
元々は「白山中宮長滝寺」と言って居たが、明治の神仏分離の際に(長滝白山神社)と(長滝寺)に分かれました。
 
左が長滝寺                                     右が長滝白山神社
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この長滝寺上の山が遊歩道になっていて、史跡が沢山残っています。
ここに三重の塔があったそうな。礎石が残っています。
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三重の塔跡と開山堂跡の説明書
三重塔は明徳4年(1393)の建てられ、建物規模は三間四面の大きさで有った事が記録にある。
 
古図には三重塔と並んで開山堂が描かれているという。三間四面の堂内には、白山開山の祖
泰澄大師の79歳の木像が安置されていた。
 
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今日は良く歩いた、山には人影まばら、熊に出会うと大変です。早く人里へ降りてきた。
歩数計約5000歩程
 
 泰澄大師と白山信仰

報恩講

 
今年も旦那寺の報恩講が、10月11日と12日にお勤めがあった。昨年は12日〜13日だったと思うが、昨年のブログURLを入れておきます。
 
報恩講は門徒のとっては、最も大切な行事であるが、私も歳をとってから、寺総代の役目を仰せ付かり漸く参加したぐらいです。
若い頃は中々寺へは寄り付きにくかったのですが、大工をしていた関係で庫裏の新築や本堂の屋根大修理等に参加した関係で、割合に早くから寺へ寄り付いていました。
 
ここで仏教ブログと言っても、法話聞いてもスグ忘れてしまい覚えられるものではありませんが、報恩講は浄土真宗の教えを明らかにして下さった、宗祖、親鸞聖人の法要であります位、の事しか解りません。
鐘楼より本堂を見る
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本堂より鐘楼 松ノ木の陰になり観難いが。
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11日午後2時からは御逮夜。大勢の法中(ほっちゅう)が上げられる「正信偈」は「真四句目下」(しんしくめさげ)「五淘」(いつつゆり)と言うのだそうです。ユックリとした丁寧な正信偈で時間も長く掛かります。これも最近教えて貰いました。
 
続いて御伝鈔、(ごでんしょう)(親鸞聖人一代記)
 
御伝鈔拝読は長いのと(読み上げ1時間20分位)数人の法中(ほっちゅう)が交代で上巻8段下巻7段を読み上げるが、意味の解らないのがあるので「御伝鈔解釈」を貰って見ながら文章を追うのですが、拝聴と言っても解らないままで、長時間黙って聞いているだけの辛抱が大変です。
 
余間には「御絵伝」と言って絵で親鸞聖人の一代記の教えを説いたのが、掛けてありますが、只掛けて有るだけの様で、あまり参詣者の中で解かる人は少ないようです。(私も詳しくは知りません)
 
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次に日、12日は午前7時半、「晨朝」に続き、11時より正信偈が上がりそれが終わると、お講様お斉(おとき)のタカタカマンマ。住職も一緒に戴きます。
子供の頃は正月と盆以外で、白い飯が沢山食えることで、楽しみに待っていたものです。
配膳中 
タカタカマンマは昔はこの倍位の大きさでしたが、最近小さくしました。
 
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 味噌汁が付く  質素なものです。昔からのしきたり。
 
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オカズはパック詰めで、残った時はお持ち帰りが出来るようにしてあります。1人分
 
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午後は「御満座」      当寺院の空殿(くうでん)の荘厳(阿弥陀様)
阿弥陀仏
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お花束
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今年は雅楽の楽師が来て貰えました。12年前の蓮如上人御遠忌法要以来の久しぶりで聞く雅楽は天上界から天女が舞い降りるか、阿弥陀様のご来光のような荘厳なものす。
 
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此田舎でも、まだこうした、古典雅楽を継承している方も居りますので、感激しました。
 
昔私と一緒に大工をしていた、S君も雅楽メンバーに居て(  鞨鼓 「かっこ」を打って演奏している人)
久しぶりの対面で「歳取ってからでも、良く頑張っているな〜」と称えておきました。
若い人も雅楽継承に加わっているそうですが、今日は勤めが有ると言うことで、欠席しているが、老若16名程のメンバーだそうです。
 
 
昨年の初夏ごろでしたか? 元高校の教師か、郷土史家か、知らない方から突然電話がある。
「友人より紹介してもらった○○と言う者ですが、お宅の近くで道端に建っている、観音様、地蔵様、亦は道案内、道祖神、などある所を知っていたら、場所等教えてください。其処から歴史、文化を調べたいので」と言う電話を戴いた。
 
突然の事でビックリしたが、暫く考えたら、ある、有る、子供の頃から終戦過ぎ昭和20代終わり頃までは、物の運搬は車と言うと、荷車か、リヤカーの事で、米や薪、木炭、草刈場で刈った草等の運搬は皆、大八車でした。
 
それを引き歩いて来て、休憩場所は清水や小さい落水の沸く木陰で、其処にはきっと地藏様や観音様が有った、其処は必ず昔から難所の保危か、山越え、分かれ道や峠で旅人を守って立っていたのだ。
 
江戸時代には可成の難所も今は幹線道路の通っている所にもなり、地藏様、観音様などはそのまま残っている筈だが?。   
 
「郡上八幡より郡上大和町の境界付近の国道156号線にも、地蔵様が立っていた」
と思いだし、折に触れ気をつけて調べて見る。「ここら当りに有ったがな〜」と車の窓越しに、昔を思い起こして探すが、道路改修や地蔵様の位置の移動などで見当たらない。
 
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車の窓越しで見ていても、サッパリ見当たらない。此、土地の所有者に聞いて見たが、すでに地蔵様の在ったこと忘れていていたが、思い出したように「伊勢湾台風頃までは有った」という。あの時流れていったのだろうか?
 
其の時は、国道と平行して走る国鉄越美南線も国道156号線も決壊して一面長良川の川原に成って居た。(伊勢湾台風で決壊して国道も無くなる、私の若い時に撮った物)
 
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昭和31年頃より飛騨の御母衣ダム工事をしていた関係で一刻も早い輸送道の確保で、急ピッチで道路も完成、元より良い道になってその後も何回も道路改修されて今日に至っている。
 
地蔵様の話を聞いた知人が、地域の美化作業人足に行っていると、コンクリート雍壁の中にある筈だと言う。行って見るとこんな状態で残っていた。
 
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網に撒きついた弦を取り除くと
落石防護網の中に半分土砂に埋まって、御座った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昨年発見した時の写真です。
 
 
 
 
 
今年は又元通り鬱蒼と茂った木に中に隠れてしまった。又皆から忘れられてしまう、
 
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昔、人智もなく道路の開発もされていない頃には、危険な所の通行には、ひたすら観音様や地藏様にお祈りするより、仕方がなかったのだろうが、今はある程度は防護柵等で災害は防げるでしょうが、スッカリお祈りの心は忘れ去られてしまった。
 
此処も豪雨等では、設定以上の雨量になると、通行止めに成る危険箇所です。
自然災害は人智の及ぶ所でなし。起きて仕舞った人の災害は、どうにもならなくても、元に戻らなくて、最後は祈るだけです。人は弱いものです。
今も昔も願いは同じ、危険な箇所は防護柵でも、地蔵様でも。
お祈りして、それが叶えられれば、エラカッタ事すっかり、忘れて、後は「尻喰え観音」!
 
 
 
 
 
 
 
 

長良川上流

4年程前、郡上老連歴史散策で白鳥町二日町の長良川に沿って、歩け歩け運動を郷土史家の先生に付いて散策した事を思い出して、もう一度歩いて見ようと出かけた。      (これ平成18年の写真)
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この辺りに木で作った《仏岩》の説明看板があったと、思ったが其の時は、団体行動でしたので読んでいる訳にいかなかったが、今日探したら立派な石碑で由来が記してあった。
対岸の色の付いた所で拡大すると仏様の様に見えるかな?
その気に成って見ないと、見えない。
 
 
 
 
 
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長滝寺は時々私のブログネタにしているので、昨年の物ですが開いて見て下さい。
 
天台宗で比叡山と並ぶ大きな寺で一時期は良く栄えた所でしたが、郡上へ浄土真宗が入って来てから、又大火災に遭い衰退して今は坊跡が残っているだけです。
 
 
 
 
 
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予定は散策の積もりで出かけたが、車から降りたのは、写真撮る時だけ、蛭ヶ野分水嶺まで、行ってしまった。
日差しはあまり暑くはなかったが、奥美濃は、これからは吹く風が涼しい。
 

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