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2月2日鬼ブログの續き 童話、民話に出て来る鬼は皆、馬鹿力が有って、宝物を持っていて強いのだが、少し抜けた所があるので、愛嬌物である。一寸法師が都で出会った、鬼も最後は宝の「打出の小槌」取られて、一寸法師に利用されてしまう。と言うような事も有り、鬼の数も枚挙に挙げられない位沢山有る。 尋常小学校読本(昭和15年頃の国語)でも「大江山の酒天童子」征伐や、源頼光の羅生門での鬼退治の話があった記憶がある。 その後には、昭和20年代に入ると、田舎芝居(素人歌舞伎)等でも「一条戻り橋」「茨城童子」等という様な外題(げだい)で上演されていて、私の友人達にも歌舞伎手付け(師匠)から習って一寸したスター気取りで居たが、(私は役者には出演しなかった)あらすじは今も少しだけだが覚えている。 その外にはこの外題を、岐阜県下呂市の合掌村では、昭和の後半まで、「竹原文楽」と言って、1人で100体位の人形を『てこ』や紐で操る人形師が、上演していたが、上演者の高齢と後継者不足で現在は遣っていない。 写真(下呂市合掌村の竹原文楽を上演していた場所) 此処で上演していた(竹原文楽)の「外題」は羅生門だったと思うが、少しあらすじを言うと 《源頼光が大江山の酒天童子を討伐した後、源頼光は四天王(袴垂保輔、坂田の金時、渡辺綱、他一人)と酒宴を催していた所、四天王の1人が「まだ、羅生門に鬼がいる」と言い出した、大江山の鬼は退治したので、都には鬼の住める所は無いはず、と思いながらも、確かめるため鎧兜に身を固めた「渡辺綱」は従者も従えずに只一人で羅生門へ行った、(羅生門は京都の九条通り東寺の西に在った。今跡地標識がある) 綱が羅生門へ近づくと、一天俄に掻き曇り真っ黒い雲が出て激しい嵐になる、馬も動かなくり、綱は1人で羅生門へ向かうと後ろから鬼が現れて兜を掴まれた、綱はすかさず刀を抜いて鬼の片腕を切り落とした、それを持ち帰り、頼光に見せたところで、陰陽師の(阿部晴明)に相談すると『必ず鬼が腕を取り返しに来るから、七日の間は家に閉じこもり、その間は誰も家の中に入れない様に』と言い置いた。 ついに、七日目の夜、摂津の国から綱の乳母が屋敷へ来て「綱、手柄を立てたそうじゃが、鬼の腕(かいな)を見せてくれ」とせがむが、渡辺綱は事情を話し決して乳母でも中へ入れようとしなかった、年老いた乳母は「お前に乳を飲ませて育てた乳母でも見せられぬか」と恩着せがましく迫り、とっておきの手で「見せられぬとは、此老女に冷たい仕打ち、今日から乳母の縁は切る」とまで言うので、返す言葉につまり封印された唐櫃の鬼の腕を取り出すと、暫く見ていた乳母は、にわかに鬼の姿になってしまった、これぞ茨城童子の化身の鬼であった。大屋根の破風を突き破り、腕を持ったまま雲に乗って天空の彼方へ消えていく》 写真「茨城童子」 青森ねぶたより (ネットよりコピー) まあ〜こんな調子の文楽の筋書きでしたが、撮影禁止でしたから、竹原文楽の映像はありません。 鬼は人間の数だけ居る者でしょう、(渡る世間は鬼ばかり)とも言い、それぞれの環境で鬼にも成り、時には仏にも成りながら生きているのだろうが。両方が喧嘩をしながら、鬼が勝てば鬼になり、善行が勝てば善人と言われて居るが、誰でも鬼とは言われたくないから、季節の節目、節目で厄払いをして、私は善人だと思っている。 少なくとも自分を悪人や、鬼だとは、思っていない。
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