ネコの道草

83歳のネコブログです。

仏教

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今日はneko達の大和老人クラブ単会で、会員物故者と戦没者法要をお勤めしてきました。
 
大和シニアクラブ単会で、此の行事を遣っている所は、私達と他に一箇所の単会だけです。恐らく老人クラブ設立当時からの、行事と思います。
 
私の親達も毎年お勤めをしていた事は、知っていますが、今、調べて居ないので何年前からか、解りませんが、もうすぐに、法名軸に入れて貰う歳になり、シンミリとお勤めしました。
 
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地元の寺住職の阿弥陀経、読経の後、法話を少し、皆あの世へ近く成った者ばかりで、真剣、念仏唱えて居ます。
 
法話は2年前の写真ですが、物故者法名軸が、満杯になり、今年は一つ増えて居ます。
 
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新しい法名軸には、未だこの先長い事入りたく無いが、そんな都合の良い訳には行かず、新しい法名軸の上から3列目ぐらいに成るかなぁ〜等と言っている老人も居ましたが!!??
此れだけは自分では解りません、この世は無常ですから、年の順番では無いのです。
 
6年程前から、私達が話し合って、戦没者の法要も同時にお勤めするようにしました。
此の地区の戦没者法名軸
 
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未だ戦争体験者達は最高齢者ですが少し残っていて、当時の事を熱く語っていましたが、悲惨な戦争を2度と繰り返さない様祈りながらの法要でした。
 
大東亜戦争の特攻隊動画です。本当にこんな事が有ったのです。老人会の人達は、忘れる事は出来ませんが、今は平和な世の中で、喉元過ぎれば 熱さ忘れる。では済まされません。
 
 
午後はお斎を頂き、少しの酒やビールで懇親会、皆昔話しばかりが多い、中には
元気の良い年よりも居て、今の政治の話も熱く語って居た、何よりのストレス発散です。
 
今日と明日は(10/8~10/9)、私達の檀家寺院の報恩講です。昔から、此の行事は、旦那寺、門徒のみの行事だけでは無く、地域全体の大イベント行事に成っていましたが、最近は色々な世間の事情なのか、薄れぎみ、になって来ました。
 
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私達の小学校入学(昭和十一年)頃から、15年頃までは寺院の、門前には露天商や屋台店が所狭しと、軒を連ねて居て、大人から子供まで、お参りと露天店のヒヤカシを楽しんでいました。
 
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此の日だけは、学校から寺へ近い事も有り、小学校の昼食時には、先生に許可を貰い、寺へお講様参りのお斎(おとき)を頂きに行く事を、前から楽しみで待って居ました。
 
一年の内に、白飯の食べれる日は、何回も無いので、母が朝から、お参りして、待って居るので、一目散に寺へ駆けつけて戴きましたが、此れは通称、高高マンマといい、円筒形の筒へ白飯を積めて、打ち抜き、椀へ盛ります、おかずは豆腐の味噌汁、焼き豆腐、ひじき、野菜の胡麻和え、と言った物で、至って質素な物ですが、現在も其の儘、続いています。平成19年頃から、高高マンマは、半分に減らして、残さないようにしましたが、まだ多すぎる様です。
 
平成19年頃までは昔の習慣を守っていて、親鸞様のご命日(11月28日)前の、11月中ごろのお勤めでしたが、寒いのとお参りの少ない事で、1ケ月早く勤めるように成りました。
 
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子供時代の私達は、高高マンマが、終れば露天商のオモチャや、鯛焼き、串団子、等を少ない小使い銭から、選び買うのが、又楽しい一日でした。
 
男の子は紙に火薬を詰めたピストルや、ブリキのネジ巻き玩具、女の子は、喧しく鳴るゴム風船、焼き物の人形など買い、本堂の広縁を喧しく駆け回り、坊様の法話が聞こえないと、何回も叱られたが、暫らく静にしているが、又次の悪童共が、変わって騒ぎ出すので、法話は聞えなかったでしょう。
高学年(3年生頃)になれば、学校も午後の授業が有るので、早く引き上げて来た。
 
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話は変わって、 寺役員在職中に、納骨堂建設計画を話していました、平成二十二年12月12日に、郡上市三ヶ寺をモデルに視察に行って来ました。
    (相生の照明寺)
 
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            (郡上八幡町 長敬寺 納骨堂)
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その後体調が悪く、今日始めて、旦那寺のを、一部分、見せて貰いました。何れ、誰でも、何時かは、解らないが、世は無常です。無常とは、死ぬ事では有りません、生まれる者も有れば、死ぬ事も有り、皆が一緒に歳を取り、変わり行く世の中の事です。
 
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ひがん花

「暑さ、寒さも、彼岸まで」と言う通り、昨夜から、寝布団一枚、余計に掛けて、寝た。
今日、昼中の残暑は、少し残るものの、今夏の猛暑は、昨夜の涼しさからは、嘘だった、様な気さえする。
 
今日は彼岸中日(春分の日)である、私達が子供の頃、年寄りは、「此の日に死ぬと、地獄の鬼達が休日で、地獄の釜や、門が閉まっているから、極楽へ行ける」と言っていた。
 
彼岸の7日間は、何かと仏教行事が有るが、一般では、各々で墓参りです。先ずは我が家の先祖の墓へお参りして、その後は、家内の先祖の墓参りに行って来た。
(買い物ついでだが)
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丁度此の時期に合わせる様に、昨年に咲いていた場所に突然、茎だけが、ニョキッと出てきて、葉が出て来ない内に、赤い花を咲かせる、彼岸花がある、
 
郡上では、「狐のたいまつ」と言われ又、墓場の近くに有る事から「幽霊花」と言ったりしているが、子供の頃から嫌いな花でした。
 
狐の行列に、此の花をさげて提灯や、松明に化かしたり、墓場では、幽霊の火の玉に成ったりすると思うと、手に取る事さえ嫌いでした。
 
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長崎物語の歌に、「♪ 赤い花なりゃ 曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る〜♪」と言う古い流行歌が有るが、何故(彼岸花が、仏教用語の様な(曼珠沙華)の名前に、成っているのか、調べて見たら、ヤッパリ法華経の経典に由来し、「天上界から降りて来る、天上の赤い花」と言う事でした。
 
仏教の話は難しい。いくら極楽が良い所でも、死にたくないし、話だけでも、縁起も良くないもので有るが、誰もが、一度は必ず、避ける事は、出来ない事ですから、なお嫌です。
 
一週間程前に、郵便配達の方が、今年の年賀葉書の予約を取り来た。
そんなに早く「冥途の旅の一里塚」へどうして、急ぐのですか。もっとゆっくり生きて行きたいものです。
 
そんな事,思いながら、彼岸花を眺めて、墓参りをして来た。
 

佛華 しきび

今日9月19日は、彼岸の入りである。仏教では、彼岸会(ひがんえ)と言い、春と秋の二回季節の変わり目に、迷いの岸を離れて、悟りの向う岸、つまり彼(かなた)の岸へ渡る為に努力(修行)する。と言う事だと聞いています。
そう言う事で、墓参りや、仏壇の佛華にする〔しきび〕を取りにいってきた。
 
此の畑は平成に成ってから、ずっと休耕して荒れ放題にして居たのだが、(しきび)の栽培を思い付き、苗を購入して来たり、山に自生する苗を採って来て植えたものです。購入した苗も50本位と、山で自生する苗と合わせると、100本位は植えたが、後の管理が、上手く出来無く、(本気でやる気が無かった)無残な姿に成ってしまった。
 
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創価学会の葬儀や、法要の仏前には、沢山のしきびを使って居る所を見たり、それ以外の宗派仏教でも、しきびは佛華として沢山使って貰えると思い、花屋へ持って行き販売すれば、小使い銭位は貰えるだろうと、「捕らぬ狸」を考えて見たが、夢で終った。
 
昔から仏教では、しきびは佛華として、欠かせない華ですが、この樹皮や、葉は、お香の原料に成ると思っていたが、毒がある事は知らなかった。特に実の部分は一番毒が強いそうです
 
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(何故しきびをお供えするの)、此れを開いて見て下さい。
 
オマケに今頃になって、しきび畑の横で、茗荷も少し取れた、今年は、何故か旬の季節に茗荷が、出て来なかった。
茗荷を食べると物忘れが、ひどくなると言うが、nekoは昔から物忘れする人だから、今更心配無用。
 
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(古典落語 茗荷宿)です。    気が向いたら開いて見て
 
戦時中に学校の教官や、先輩から叱られた時は、必ず「忘れました」と言って謝りました。
「知りません」と言うと、教官は「教えた筈だが、俺が教えなかった、とでも言うのか」と言って、又二つ三つ程、余分に殴られました。
 
「忘れました」は、自分の都合の良い時、悪い時に使うには、良い言葉です。
政治家などは、都合が悪くなれば、「記憶に御座いません」と言って、はぐらかします。
みんなが、茗荷を喰って悪い事は忘れましょう。

法話より

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上は旦那寺、池の鯉。  下は近所、池の鯉。
 
綺麗な鯉が泳いで居る所を見ると、時々、こんな詩を思い出します。
 
手を打てば、 鯉は餌と聞き、 鳥は逃げ、 女中は茶と聞く 猿沢の池。
 
今から40年ほど昔に、奈良薬師寺の金堂再建していた頃に、何回も行ったが、薬師寺人気管長、故高田好胤師の法話を思い出します。
 
其の頃は、名古屋で仕事をしていた関係で、近鉄電車や、自家用車で日帰りなど、簡単な事でした。
詩を作った方は、多分、『猿沢の池』が出る所から、興福寺の高僧だったのでしょう。
 
そのころ、高田好胤師は、テレビにも良く出られて、就学旅行の生徒や参拝客に、巧みな、話術で話し掛けられて、全国の人気管長として、放映され、活躍されていました。
 
私は法話より、金堂の大工仕事が見たく、行ってみたが、いきなり行っても工事現場へ入れて貰える訳も無く、高田好胤師の本だけ戴き帰りましたが、何時までも、心に残る教えを貰って来た、と思っています。
 
同じ場所で、同じ話を聞いても、鯉の様な心の人は、餌さと思い、鳥なら、撃たれると思い、女中さんは、お茶の所望と思い、人はそれぞれ、自分の都合の良い方にして、聞いてしまうと言う話でした。
 
同じ話を聞いても、人の認識と言う事は、それぞれ別々の様です。ひとり一人が、顔や姿が違うと同じ様に。
 
本は見当たりませんが、まだ其れだけは、心に残っています。

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