昨年の初夏ごろでしたか? 元高校の教師か、郷土史家か、知らない方から突然電話がある。
「友人より紹介してもらった○○と言う者ですが、お宅の近くで道端に建っている、観音様、地蔵様、亦は道案内、道祖神、などある所を知っていたら、場所等教えてください。其処から歴史、文化を調べたいので」と言う電話を戴いた。
突然の事でビックリしたが、暫く考えたら、ある、有る、子供の頃から終戦過ぎ昭和20代終わり頃までは、物の運搬は車と言うと、荷車か、リヤカーの事で、米や薪、木炭、草刈場で刈った草等の運搬は皆、大八車でした。
それを引き歩いて来て、休憩場所は清水や小さい落水の沸く木陰で、其処にはきっと地藏様や観音様が有った、其処は必ず昔から難所の保危か、山越え、分かれ道や峠で旅人を守って立っていたのだ。
江戸時代には可成の難所も今は幹線道路の通っている所にもなり、地藏様、観音様などはそのまま残っている筈だが?。
「郡上八幡より郡上大和町の境界付近の国道156号線にも、地蔵様が立っていた」
と思いだし、折に触れ気をつけて調べて見る。「ここら当りに有ったがな〜」と車の窓越しに、昔を思い起こして探すが、道路改修や地蔵様の位置の移動などで見当たらない。
車の窓越しで見ていても、サッパリ見当たらない。此、土地の所有者に聞いて見たが、すでに地蔵様の在ったこと忘れていていたが、思い出したように「伊勢湾台風頃までは有った」という。あの時流れていったのだろうか?
其の時は、国道と平行して走る国鉄越美南線も国道156号線も決壊して一面長良川の川原に成って居た。(伊勢湾台風で決壊して国道も無くなる、私の若い時に撮った物)
昭和31年頃より飛騨の御母衣ダム工事をしていた関係で一刻も早い輸送道の確保で、急ピッチで道路も完成、元より良い道になってその後も何回も道路改修されて今日に至っている。
地蔵様の話を聞いた知人が、地域の美化作業人足に行っていると、コンクリート雍壁の中にある筈だと言う。行って見るとこんな状態で残っていた。
網に撒きついた弦を取り除くと
落石防護網の中に半分土砂に埋まって、御座った。
昨年発見した時の写真です。
今年は又元通り鬱蒼と茂った木に中に隠れてしまった。又皆から忘れられてしまう、
昔、人智もなく道路の開発もされていない頃には、危険な所の通行には、ひたすら観音様や地藏様にお祈りするより、仕方がなかったのだろうが、今はある程度は防護柵等で災害は防げるでしょうが、スッカリお祈りの心は忘れ去られてしまった。
此処も豪雨等では、設定以上の雨量になると、通行止めに成る危険箇所です。
自然災害は人智の及ぶ所でなし。起きて仕舞った人の災害は、どうにもならなくても、元に戻らなくて、最後は祈るだけです。人は弱いものです。
今も昔も願いは同じ、危険な箇所は防護柵でも、地蔵様でも。
お祈りして、それが叶えられれば、エラカッタ事すっかり、忘れて、後は「尻喰え観音」!
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