ネコの道草

83歳のネコブログです。

仏教

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2月2日鬼ブログの續き

童話、民話に出て来る鬼は皆、馬鹿力が有って、宝物を持っていて強いのだが、少し抜けた所があるので、愛嬌物である。一寸法師が都で出会った、鬼も最後は宝の「打出の小槌」取られて、一寸法師に利用されてしまう。と言うような事も有り、鬼の数も枚挙に挙げられない位沢山有る。

尋常小学校読本(昭和15年頃の国語)でも「大江山の酒天童子」征伐や、源頼光の羅生門での鬼退治の話があった記憶がある。

その後には、昭和20年代に入ると、田舎芝居(素人歌舞伎)等でも「一条戻り橋」「茨城童子」等という様な外題(げだい)で上演されていて、私の友人達にも歌舞伎手付け(師匠)から習って一寸したスター気取りで居たが、(私は役者には出演しなかった)あらすじは今も少しだけだが覚えている。

その外にはこの外題を、岐阜県下呂市の合掌村では、昭和の後半まで、「竹原文楽」と言って、1人で100体位の人形を『てこ』や紐で操る人形師が、上演していたが、上演者の高齢と後継者不足で現在は遣っていない。
写真(下呂市合掌村の竹原文楽を上演していた場所)
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此処で上演していた(竹原文楽)の「外題」は羅生門だったと思うが、少しあらすじを言うと

《源頼光が大江山の酒天童子を討伐した後、源頼光は四天王(袴垂保輔、坂田の金時、渡辺綱、他一人)と酒宴を催していた所、四天王の1人が「まだ、羅生門に鬼がいる」と言い出した、大江山の鬼は退治したので、都には鬼の住める所は無いはず、と思いながらも、確かめるため鎧兜に身を固めた「渡辺綱」は従者も従えずに只一人で羅生門へ行った、(羅生門は京都の九条通り東寺の西に在った。今跡地標識がある)

綱が羅生門へ近づくと、一天俄に掻き曇り真っ黒い雲が出て激しい嵐になる、馬も動かなくり、綱は1人で羅生門へ向かうと後ろから鬼が現れて兜を掴まれた、綱はすかさず刀を抜いて鬼の片腕を切り落とした、それを持ち帰り、頼光に見せたところで、陰陽師の(阿部晴明)に相談すると『必ず鬼が腕を取り返しに来るから、七日の間は家に閉じこもり、その間は誰も家の中に入れない様に』と言い置いた。

ついに、七日目の夜、摂津の国から綱の乳母が屋敷へ来て「綱、手柄を立てたそうじゃが、鬼の腕(かいな)を見せてくれ」とせがむが、渡辺綱は事情を話し決して乳母でも中へ入れようとしなかった、年老いた乳母は「お前に乳を飲ませて育てた乳母でも見せられぬか」と恩着せがましく迫り、とっておきの手で「見せられぬとは、此老女に冷たい仕打ち、今日から乳母の縁は切る」とまで言うので、返す言葉につまり封印された唐櫃の鬼の腕を取り出すと、暫く見ていた乳母は、にわかに鬼の姿になってしまった、これぞ茨城童子の化身の鬼であった。大屋根の破風を突き破り、腕を持ったまま雲に乗って天空の彼方へ消えていく》
写真「茨城童子」   青森ねぶたより             (ネットよりコピー)
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まあ〜こんな調子の文楽の筋書きでしたが、撮影禁止でしたから、竹原文楽の映像はありません。
鬼は人間の数だけ居る者でしょう、(渡る世間は鬼ばかり)とも言い、それぞれの環境で鬼にも成り、時には仏にも成りながら生きているのだろうが。両方が喧嘩をしながら、鬼が勝てば鬼になり、善行が勝てば善人と言われて居るが、誰でも鬼とは言われたくないから、季節の節目、節目で厄払いをして、私は善人だと思っている。

少なくとも自分を悪人や、鬼だとは、思っていない。

節分の鬼

明日2月3日は節分。犬山、成田山名古屋別院大聖寺や尾張四観音(笠寺観音、荒子観音、甚目寺観音、竜泉寺観音)と大須観音、その外の各地の寺院や観音様では、節分の豆まきが、盛大に行はれる。

若い頃名古屋で仕事をしている時代には、芸能人や、有名人が来ていたので、仕事の合間を縫って、良く行ってみた。
節分とは季節の別れ日と言うが、次の日、4日は立春と言うから、もう春かと思うが、中々如何して未だ寒さは、此れからだと言う、

ちなみに2月を如月(きさらぎ)と言うが、未だ寒いから、もう一枚着物を重ねて着る事から、着更着(きさらぎ)とも言うそうだ。そして節分は季節の変わり目で(節分の年取り)とも言う者も居るが、4日の立春は「旧暦の一月一日か」?と思うが、そうでもない.

今年の旧暦一月一日(旧正月)は新暦2月14日でバレンタインデーであり、若い人たちはチョコのプレセントに忙しい。兎に角ややこしくて、面倒臭くなり何も考えたくない!!

そこで、節分には赤鬼、青鬼、が鬼門から、牛の角を付け、虎の牙を持ち、虎の皮のパンツを履いて、出てきて暴れて見るが、豆をぶつけられて退散と言う筋書だが、この世へ出てくる鬼は少し間が抜けている様で愛嬌が有る、それに引き換えあの世に居る鬼は、そんな訳には行かない。

本来仏教では地獄へ落ちた亡者達は、現世での悪行の報いに永遠の、鬼の成敗に会うとされているから仏教画の「勧善懲悪」地獄絵図を見ると身の毛の立つ思いがする。亡者をまな板に載せて切り刻んだり、針の山へ追い上げられたり、血の池へ入れられて茹でられたり、そんな事をしているのが鬼の仕事だ。それから大きな金棒で亡者がどやされる、その金棒にはイボが、煩悩の数だけの108個付いていて、それで煩悩を打ち砕くと言う。

この世では、各地に鬼の居た伝説は沢山有るが、代表的な鬼は犬山の桃太郎屋敷の鬼である、桃太郎の家来の犬は既に「犬山」と言う地名になっていて、「鬼ヶ島」もあれば、「雉ヶ棚」もあり、「猿洞」という所も有る様うだが、今はモンキーセンターでサルが沢山住んでいる。

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「鬼ヶ島」は海を越えた所に有る島ではない、ヤクザが言う「島」の様なもので(一定の領域)という事であるから、犬山に有ってもおかしくない。

この桃太郎屋敷から、少し木曽川上流へ行くと坂祝、勝山、と言う地名がある、桃太郎は鬼征伐して、勝ちどきを上げたところが「勝山」の地名と、祝杯酒で祝ったのが「酒祝」で、「坂祝」になったとも言う。

(一部犬山桃太郎神社より抜粋)

雪棄て

「邪魔者は消せ」

独裁国家のボスじゃ有りませんが、この雪、私にとっては本当に邪魔者、早く消えて無くなれ。
我が市でも、もう除雪費は底を突いたことでしょう、今年は暖冬と予報を出した気象庁が恨めしい(八つ当たり)                                     
でも昔は此処まで雪棄てまでも手厚くしてくれなかった、太陽が出て気温が上がるのを待って、自然に解けるのを待つしかなかった。もう今はそんなのんびりした事を言って居れぬ世の中になってしまった。

挙句に、除雪費を何回もつぎ込んでも、まだ足らぬ、大金を川へ捨てているようなもの、ついに餓鬼地獄へ落ちたようだ。太陽が出て極楽の世界早く来い、但し、その時が来た時には、此れが当たり前で極楽は感じないと思うが。

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だがこの世界を宝の雪にしているスキー場、大勢のお客が楽しめば、此処は極楽の世界。同じ世界に居ながら、自分で勝手に地獄と極楽を住み分けているだけか。

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沢庵和尚

正月も半ばを過ぎて、今日は20日で大寒、郡上地方では昔から今日の20日を「二十日正月」と言って仕事は休み、正月にお供えした、鏡餅や、親戚から贈られた丸餅(鏡餅)の入れた箱から、残りの餅を全部さらえて、家族で分け合いながら食べた。 

新年になると10日頃までに、年頭の挨拶回りと言って、本家(ほんけ)や祖母や、母の在所(生家)へは、大きな丸餅を重ねた風呂敷包みを背負って、親に付いて遊びに行くのが嬉しかった、

小学校2年生頃には、母や祖母の代理になり1人で使いに行った、綺麗な膳で接待を受けるのだが、帰りは又お返しと言って、同じ丸餅を貰って背負はされ、其の他に、「坊の駄賃」と言って、今で言う「お年玉」を貰うのが何よりも嬉しかった。

それでも、丸餅は使い回しですから、沢山搗いた訳ではなかったので、20日頃には少なくなり、子供同士で取り合う事も良くあった。その後からはもう正月の残り物一切無くなり、毎日漬物や里芋の味噌汁ばかりで、沢庵漬けだけの日も有ったが、此の時代には此れが当たり前の毎日だと思っていた。    そこで今日は、沢庵のはなしを。

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沢庵と言う名前は、大根漬物の事であるが、此れを考案した人が、兵庫県豊岡市出石町に生まれた、沢庵と言う坊様であった。

その沢庵和尚は10歳で出家して、その町の「宗鏡寺」(すきょうじ)に入り、その後22歳で宗忠と言う人に従って、大徳寺へ上京して、29歳で勅令によって大徳寺の住持に出世しましたが、立身出世を求めない彼は(野僧)に徹すべしとして、退山してしまった。

31歳になると、堺の南宗寺、陽春院の一凍紹滴(いっとうじょうてき)に師事し、(沢庵)の称号を受ける。

48歳の時、「富貴を求める人にへつらい仏法を売るより、野僧たるべし」と兵庫県豊岡市出石町の(宗鏡寺)の裏に庵を建て、投淵軒(とうえんけん)となずけて、世間と離れて静かなくらしに入りました。
(ネットより)

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ある秋の暮れ、沢庵が住む故郷の投淵軒(とうえんけん)で書斎に居ると、庵の外から

『大根はいりませんか〜〜大根大根。これぞ誠の大違い』

と大声で大根を売り歩く声がした、沢庵は不思議に思い,大根売りを呼び入れて、「これぞ誠の大違い」とはどう言う事か?と尋ねた所、その大根売りは『実は私の弟が近衛様の御家来でありまして、新年の歌会があり、「これぞ誠の大違い」と言う下の句に、良い上の句を付けたものに、ご褒美を下さるという事で、弟は私に大根を売りながら良い上の句を考えてくれと、頼まれつい口癖になっていました』と答えた。

どれどれそれなればと、沢庵は筆と硯を持ち出して、紙を取り寄せて、

(御簾となる、 竹の産着や 上草履  これぞ誠の 大違い)


と、したためた。天子様をお隠しする御簾と、同じ竹の皮で庶民の上草履が出来るが、御簾と上草履は、大違いだと言う意味です。大根売りは近衛様より沢山のご褒美を戴いたが、其のお礼に大根を荷車に何杯も積んで沢庵に届けた。

沢庵は一度には、食べられないので、其の大根を糠漬けにする事を考え付いた、そして大変旨かったので、町中で大ヒットして、世の中では此れを沢庵漬けと呼ぶ様になった。

参考文献(梅原猛著 仏教を行く)より

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この沢庵漬けは家で漬けた自家製です。大変旨い。
郡上地方のことわざに「アッポ(餅の事)のサイ(おかず)」と言って有っても無くても良いものの事を言います。

追加のおまけ
沢庵は正保2年(1645)12月、73歳で没したと言います。その遺言が又型破り。

「自分の葬式はするな、香典は一切貰うな、死骸は夜密かに担ぎ出して、裏山に埋めて二度と参るな、墓を作るな、朝廷から禅師号を受けるな、位牌を作るな、法事をするな、年譜を誌すな」

雪道

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昨日から降り出した雪、今日午後に成っても降り続いている。
今日は新しい年、檀那寺の、檀家一年の事業計画、昨年の決算報告、今年度予算案、等々の総会前の打ち合わせ役員会が、有るので車にはチエンを着けて、準備万端宜しくスコップまで持って出かけた。

寺へ着いてから、自分の駐車場確保と、参詣者の通路確保の為もあり、時間を計りながら、少し時間は早いが、出掛ける用意
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けもの道の様な道を、まず自分の車の出れるように道明け、つでに近くにある消火栓も雪の中から掘り出しておく。
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さて此れから、国道156号線を北上するのだが、この地域の特徴として、保危を一つ超える毎に積雪量が、目測で見ても多くなる。私の檀家地域では、雪が少ない地域に住んでいるが、一寸心配しながら国道まで出る、かなり洗濯板の様に成っている、皆車はノロノロ運転、皆の後をノロノロ付いていくが、其の内先頭車は、もう居なくなる。後続車が数珠繋ぎになってくるが安全第一で無視、

すると、すぐ後ろの車が、「もっと早く走れ」と言わんばかり、あおられる、何時までも無視もして居られないので、退避所へ避難したが、アリャ〜しまった!!

軽車の腹へ除雪車の残した雪が詰まってしまった。チエンの掛かった車でも、車輪が浮き上がってスリップして動けない、私は雪国育ちだ。用意万端、スコップで軽車の腹の下の雪を取り除居ていると、近くの顔見知りが押し出してくれる。昔からの知り合いは有難いものだが、それに引き換え、もみじマークを付けた車を、この悪道をあおる真似はいかがなものですか。少々腹も立ったので、寺役員会欠席、引き返す。
雪道は若い人でも、ベテランでもどんな立派な装備していても油断禁物、ゆっくり走りルールを守りましょう。

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