ネコの道草

83歳のネコブログです。

歴史

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義経千本桜 狐忠信

奥美濃や飛騨地方では月遅れの「桃の節句」が4月3日と4日に行われて居ます。
色々理由はあるだろうが、雪が残り未だ寒い3月よりも、少しずつ花も開いて来るし、それにお供え物の菱餅に蓬を入れて搗くには、どうしても4月でないと新蓬がでてこない等など色々の理由があります。       
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この地方では昔は雛様と言えば、素焼きの人形に色を付けた素朴なものでした。最近各家庭には一度仕舞いこんだ、この様なお雛様も良くお出ましに成ります。
歌舞伎を題材にした物が、最も多い様です、仮名手本忠臣蔵、菅原伝授手習鑑、義経千本桜。此れは歌舞伎や、文楽の三大名作と言われていて、私達の年代の者でしたら、忠臣蔵の物語を知らない様では、日本人ではないとまで言われてきました。
 
所で私が小学校一年生に上がる頃(昭和11年)に父が、記念にこんな物を買ってくれました。
義経千本桜の「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」の(狐忠信)です。急に思い出して何年振りかで出して見ました、それを買ってきてからは毎年雛祭りでは、この狐忠信の物語を、祖父や父が代わるがわるに話してくれるが、只、狐が化けた事位しか理解出来ないのですが、夜便所へ行く時にお雛様の前を通る事がとても怖かった。
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小学校を卒業しても、まだ狐が一番怖かった、
次が狸で、夜道で怖いもののNO1でした。
 
人生も50歳を過ぎた頃より、市川猿之助さんの歌舞伎(義経千本桜)にハマリ、この歌舞伎を良く見た。名古屋中日劇場の二階席で見ると宙乗りの猿之助さんに手の届くあたりを通るので、料金は二等席でも、随分お値打ち席でした。
 
又近くでは農村地歌舞伎でも良く上演されています。
 
 
イメージ 3猿之助さんの狐忠信。
静御前が鼓を一打ちすると、
 
お客には花道のほうへ気を向かせた隙に、階段の仕掛けから突然として、現れる忠信、
 親孝行な子狐が、親狐の皮で貼られた鼓を慕って、忠臣佐藤忠信に化けて静御前のお供をして行くという話。明日(4月1日)は四月馬鹿皆上手に狐になる日。
 
雛祭り話が歌舞伎に変わったが、これは、誰が作ったのか手作りらしい。
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油坂

 
岐阜県郡上市白鳥町向小駄良から福井県和泉村へ山峠越えの道は、現在は、中部縦貫自動車道と国道158号線が通っていて、雪の無い季節なら日本海まで遊びに行くにはとても楽に行けるようになり、郡上へは日本海の海産物も新鮮なものが豊富に届く様になった。
 
大昔から、経済的にも宗教的にも、又戦略的にも早くから開けた路で、越前ボッカ(負荷)が油坂峠を越えて、日本海産の焼き鯖を背負うて来て、郡上八幡で焼き鯖の市を開いていたと言う事です。
 
郡上踊りの「春駒」の歌詞は「七両三分の春駒、春駒」と、囃して居ますが、此れは戦後から、替わったもので、昔では、「鯖」と言い、『一銭五輪の焼き鯖、焼き鯖』といって囃していましたし、又川崎踊り歌詞でも
 
『アアヨ〜ホイ〜越前ボッカの荷なら〜ソ〜コに降ろすな〜鯖くーさい〜〜、鯖くさい、なお鯖くさい』等と歌っていた。
 
又浄土真宗の親鸞の時代には既に北陸から、その弟子、嘉念坊善俊が、此油坂を越えて白鳥に来て布教を始めて居ます。その後にも同じ親鸞の弟子で佐々木高綱の三男(高重)が出家して近江で、安要寺を立ち上げてから、各地を回って油坂を越えて郡上へ来たり、牛道 円徳寺、八幡 最勝寺等も皆浄土真宗布教のために此処を超えてきている歴史的深い道路です。
 
下記クリックして見てください。
 
油坂の名前の由来は色々言われていますが、峠越しで福井県側より登るのと、岐阜県白鳥町から登るのでは、岐阜県側は斜面がきつく、幾等プロのボッカ達でも、油汗が出たことから、油の出る坂と言う事だと言います。
 
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国道156号線を北へ向かい奥美濃大橋を渡りスグ信号から、左へ切ると油坂の急斜面に差し掛かるため、ループ橋があり、国道158号線になります。それと平行して中部縦貫道がありますが、少し登るとICがあり、其処からトンネルを幾つも抜けて福井県側へ行くには無料です。(岐阜県東海北陸道側へ行くと有料です)
 
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このICのすぐ上に、口番所が再現されています。古くより越前と美濃を結ぶ要所で、越前ボッカの荷物検査をして、重い税を課していたのだろう。
 
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国道158号線と中部縦貫自動車道、向う手前は白鳥町市街を見る。奥に見える所は旧牛道村で鎌倉街道と言い栃洞を通り抜けると、郡上明宝へ行きます。(名馬磨墨が出た所。鎌倉街道と言うから頼朝に知られたのだろう)
 
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もう少し旧国道を上がって行くと、昭和14年にトラックが通れるように改修された、トンネルがありますが、
 
私の小学校6年生の時、遠足でつずれ折れ道のボッカ道を登って岐阜県側トンネル入口で昼食を取り、休憩時間に先生から禁止された福井県側へガキ大将数人で行って、皆並んで福井側へ小便をして帰り、もう小便が日本海へ流れて行ったか??と密かに話していました。この道路は
 
中部縦貫道が出来るまで利用して居ました。今日は残念ながらまだ雪の為通行止めでした。ここら辺りは標高700メートルぐらい、下界にはもう雪は無いが、まだ此処は雪だらけ
 
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越前ボッカの通ったと思われる山道は細い急な、ずれ折れ道で有ったが、明治22年に山頂から少し下へ人の通れるトンネルを掘り険しい峠を通らなくても良くなり少しは楽に成ったと、歴史書に書いてあった。
 
歴史書によると、天文10年(1541)夏には越前朝倉氏が軍勢を率いてこの峠を越えて、2度目の郡上山田庄(大和町)篠脇城の東氏館めがけて、侵攻してきたが郡上野里村(白鳥町大島)に有った、安養寺の「了円」が門信徒約壱千人ほど集めて、戦場に向かい、自慢の怪力もあり、朝倉勢を追い払ったと言います。激戦は8日間も続いたそうな。
油坂は血の油で滑って登れなかった事から、油坂とも言う説もあります。
 
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ブログの投稿の仕方が変わっていて難儀しました。又勉強のやり直し、脳トレにはいいかも。
 

岐阜金華山麓

三重塔。日中友好庭園

昨日の続き
信長の庭から金華山麓を眺めると、緑一面に一際、朱塗りが映える三重塔が見える、是は前々から建っている事は知っていたが近くまで行く機会が無く、今日は歩きながら建物や景色を見に来たので行って見る。

信長館遺跡発掘の現場からすぐ近くにあり、三重塔の中へは入れないが、近くまで寄って写真が撮れた。

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近くに案内説明版があり、そのまま説明書きを筆記する。
大正天皇の即位を祝う御大典記念事業として、記念塔の建設が企画され、岐阜市が、市民の寄付も募ったうえで、大正6年11月21日にこの三重塔を建立しました。
材木には、明治24年10月28日に発生した濃尾大地震により倒壊した長良橋の古材が利用されています。
石作の二重基壇の上に建つ木造三重塔で、各層とも三間四方の作りです、中央の心柱は、鎖で吊り下げて礎石から浮かした懸垂式と呼ばれるもので、全国でも僅かな例しか見られない特徴的な方式です。

(説明の途中ですが此処で思い出した私の話)
《幸田露伴の小説、五重塔、を作った大工、ノッソリ十兵衛が、心柱を浮かして作る工法をしている》
装飾を用いない古風で調和の取れた意匠は、明治神宮などを設計した伊藤忠太の手によるものです。
(建設費は5,500円《当時》だった。内部には弘法大師が祭られている)
(昭和20年7月9日の空襲戦災で焼けずに残ったのがうれしい)

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公園からやや離れて、歩道橋を渡り長良川へ進むと、岐阜市と中国。杭州市との友好提携10周年を記念して造営された。中国情緒溢れるデザインの門や土塀、庭園などがある。

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良く疲れた、護国神社へ参拝して、鳥居まで来ると、昭和19年秋に見覚えの有る、燈籠がある、此処では一宮から軍事教練で行軍記念写真を撮ったのだ。あの時代には此周辺には何も無く神社と鳥居に井の口の水路と此石灯篭だけ。
60数年前を思い出して、当時をしのび懐かしく燈籠を撫で回して見た。


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クリックすると思い出ブログへ
2009年10月2日投稿私のブログより、

岐阜金華山麓

岐阜公園織田信長館

昨日の続き
岐阜市湊町周辺散歩も久しぶりでしたが、若い頃、桜の季節などには露天屋台などで、酒を飲んでブラブラしたものでした。まだ桜は蕾も固いが、でもチラホラと屋台店の組み立ても始まっていました。

岐阜市の用水 

織田信長が稲葉城を攻略して、この地方を平定し、天下統一の足掛かりとして、地名も(井の口村)を(岐阜)と改名する。「岐阜」とは別れ道の事である。
この用水が(井の口村)から(岐阜)へ変わる発祥の井の口村水路。昔から変わらぬ位置にあり、整備もされて綺麗な水が流れています

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金華山トンネル西出口に有る歩道橋を渡り降りた所に、織田信長楽市、居館発掘調査案内所がある、寄ってみる。発掘の時出てきた陶器や資料が並べてある。
岐阜城登山ロープウエイ乗り場南付近より、山裾を北に向かった山の麓にこんな館があったそうな。

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今から400年以上昔にこんな館があったのだ、織田信長は尾張で生まれて尾張を治めていたのだが、永禄10年(1567)美濃を治めていた、斉藤道三の孫に当たる竜興を攻めて落とし、自ら本拠地を岐阜へ移した、信長の正妻は斉藤道三の娘、濃姫であると思うが、下克上の世とはいいながら非道い事をしたものだ。(郡上でも東氏を滅びした遠藤は正妻の家、東家を乗っ取り遠藤にした)
ロープウエイ乗り場を横目で眺めて少し南へいくと、冠木門(カブキモン)が見えてくる。

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冠木門をくぐって石段を上がる、此処に信長館跡があった。

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又少し坂を上がると、(けやき谷)と言う所へ出る、今発掘調査中ということで、一般人は中へ入れない

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朱塗り鮮やかな三重塔が見えてくる辺りまで、館があったようだ,ゴンドラの下辺りがけやき谷です

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かっては公園内に岐阜図書館、水族館、科学館、小動物園もあったが、何時の間にやら取り壊されていた、新しく(信長の庭)などに成っていた。

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無料休憩所になっていて、中で食事も出来るようになっているが何も食べずに外側だけ見て回る

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縁側の外側と、内側から見たところ

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まだまだ新しく出来た建物があった。続は明日にする

岐阜金華山麓

岐阜鵜飼

3月8日は妻の補聴器定期検査の予約日で、関市の補聴器センターへ行くが、約20分程度で診断が終り、天気も良いのでそのまま家へ引き返すのも惜しいので、長良川に沿って下って行く。
時々は通る道である、殆ど素通りの道ですが、今日は金華山下の長良川河川敷に久振りで車を止める。駐車場のゲートは有るが今日は上がりっぱなし、平日なのでか?無料でした。

今年は雨降が多く長良川も少し水嵩が多く青く澄み渡り綺麗な流れである。此処では1300年前から続く古典漁法で鮎を取る鵜飼が有名である。

私は岐阜県に住んでいるが未だ一度も鵜飼屋形船に乗った事も無いが、夏に成れば岸からこの光景は見られる、写真は長良のホテル前より鵜飼の行はれる長良川です、金華山下からの眺めです。

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『おもしろうて やがて悲しき  鵜舟かな』
松尾芭蕉が残したと言う一句は良く知られた俳句ですが、江戸時代の武将、権力者からも保護を受けて、現在までも続く岐阜県の夏の風物詩。昭和11年と、36年にはチャップリンも2度に渡って見物したと言います。
長良橋西詰めに立つ、鵜匠の銅像

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毎年5月11日から行はれる鵜飼漁は、長良川の増水時や中秋の名月の時だけは、中止でそのほかは毎日行はれる、
満月の時は月明かりにより篝火に鮎が反応しにくいので、漁が休みになります。

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現在は古典漁法を今に伝える岐阜市の観光目玉として、又長良川における鵜飼は日本では此処だけの皇室の御料鵜飼でもあり、鵜匠の身分は国家公務員だとか?聞いた事があるが、給料は本当は何処から貰えるのか鵜匠に知り合いがないので、私は知らないが。職名は【宮内庁式部職】と言うそうだ。
スグ下には風流屋形船。整備もされてもうすぐに営業開始だろうか。繋留したままでも営業するのですか。

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鵜飼見物客の乗る屋形船 まだひっそりと湊に繋留されたままです。

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鵜船。鵜と鵜匠がこの船に乗り込み鮎漁のショウーを見せる船です

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踊り子船、屋根に色々な意匠を凝らして、船のステージでお客に踊りを披露サービスする船

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川の縁を一周して岐阜公園へ行く、18年振りで公園を歩いて回る、昔より綺麗に整備されて建物も新しいものも作られ、信長館や信長遺跡の発掘調査もしているので、
続きは明日のブログのネタにします。茶店で団子食べた、すぐ横の池にも鵜が二羽立っている

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今日歩いた歩数、一万歩、新しいものが出来ていて次は何だろうと歩くうちに、記録更新

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