ネコの道草

83歳のネコブログです。

歴史

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明治の松並木

郡上市白鳥町へ行く途中の、為真(ためざに)国道156号線、脇にこんな立て札が有るが、普段は無視していて、気が付かない事が多い。今日病院の定期診察帰りにカメラを向けて見た
 
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156号線より直角に枝別れした場所で、見る気が有れば何時でも寄って見えるが、普段は殆んど無関心で居ます。
 
全国的に赤松も黒松も、昭和40〜50年ごろから温暖な地方から松食い虫の被害に遇い枯れ始めたが、その当時は、寒い郡上へは、松食い虫の侵入は無いと言うことで、安心して居たら、何時の間にか、全山の赤松が枯れてしまった。
 
此処明治の松並木の松も、子供の頃を思い出せば、モット沢山の松並木が有った様な気がする、其れでも、此の地区の方々達の努力に依り、松食い虫から被害を最小限に食い止めたのでしょう。
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終戦直後(昭和21年頃)家庭用の塩まで不足して居て、製塩用の釜で焚く、焚物に使う赤松を伐採して、塩と交換した覚えがあります、松の太い枝は、風呂の焚物や色々家庭でも使っていたが、囲炉裏では煤が貯まるので敬遠していました。
 
又建築材としては、屋根の小屋組には、欠かすことが出来ない材で、丸太のままを斧やチョウナだけで仕上げて、組み上げて居たが、間違いの、無い様に組み上げるには少しの年季も無いと遣らせて貰えなかった。長尺材の墨打ちは特に勘も必要であったが、遣って見ればどうにか出来て自信も付いてきた。
最近はプレカット工法が殆どらしく、又和風建築の在来工法があまり見掛けなくなった、適当な松材が入手困難になり、既に昭和の終わり頃には殆んど和風小屋組松材が米松に取って代った。
 
其の他お目出度い表現の「松、竹、梅」。能や歌舞伎の舞台背景は松が沢山あり、歌舞伎忠臣蔵の「松の廊下」は松の背景(当然ですが)また、勧進帳の背景は此の松で役者が良く引立っていた。私達の身近にはそうした、松と多く関わりがあった。
保安林や景勝地の松も、松喰い虫被害で姿を消し掛けていたが、如何にか現在は其れを食い止めているようだ。
 
 
 
 
 

郡上の伝説

一台きりの車が車検で出ていった。今日は朝から大雨注意報で、外へ出られないし退屈。
 
♪雨が降ります 雨が降る  ♪遊びに行きたし、傘はなし、
                     ♪紅緒のカッコの緒が切れた〜 
 
ぼ〜として居る内に子供の頃(5歳か、7歳位)祖母から、繰り返し聞いた郡上の昔話を思い出した。  チョット入れて見ます。
 
昔昔、飛騨の荘川と言う所に、立派なお城が有って、其処に居る、下っ端の、サムライ達が或る日に、白山へ狩りに出かけたが、獲物は何も取れなかったので、皆,手ぶらで山を降り行くが、残った3人だけが未練がましく、別の場所を探しに「別山」へ行ってみるが、此処にも目ぼしい獲物は見付からずに帰り支度して居ると、小さい祠が目に入った。
行って見ると、何と純金で出来た仏様が祭って有る、仏様は、小さいので手で、動かそうとしたが、びくともしない。
 
その日はひとまず引き上げて、高鷲まで降りて、農家の家で、一夜の宿をお願いする、
 宿の主人が寝静まった頃、ヒソヒソと、明日の段取りを話しているのを、寝床で聞いていた老婆が、突然現れて、「そんな事、訳無しに動かせるぜ〜」と言い出す、大事な話を聞かれてしまった事でも有るし「お前も仲間に入れるから、其の動かせる方法を教えてくれ」と言うと、「俺の腰巻(ふんどし)を持っていって、仏様に被せれば難無く動く」と言う。
 
早速其の腰巻(今で言う女性のパンツ)を持って行き、別山の仏様を包んで見ると、難なく仏様が動いた。3人は喜んで純金の仏様を持ち帰ったが、さて此れを如何して売り捌くか、思案したが、先ず金塊にすれば足が付かないと思い付き、郡上明宝(奥明方村)水沢上(みぞれ)畑佐鉱山の「ふいご」で、7日7晩仏像を溶かす事を試みるが、ビクともしない。
 
7晩目の夜に成ると、突然明宝水沢上(みぞれ)の山は幾つにも裂けて、其の者達は土砂の下へ埋まってしまったと言う。其れと同時に荘川の城も一人残らず土砂に埋まって死んでしまったと言う。
それは皆、仏様のバチが当たったのだと、口癖の様に祖母は言っていた。
 
此の荘川の城とは(帰雲城)事であった、郡上明宝水沢上(みぞれ)とは(明宝スキー場)の事でした、現在駐車場に成っている所が、池になったそうですが、間もなく堰が切れて干上がったと言う
 
そして此れは天正13年の帰雲城の滅亡した大地震でした。郡上明宝スキー場もその時崩れた跡である事がネットで検索したら解りました。
 
御母衣発電所ダムサイトから眺めた、帰雲山の崩れた跡が、右上の場所に見えます
 
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荘川保木脇、国道156号線脇に立つ帰雲城跡の碑  後方は山津波で崩れた跡
 
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毎年同じブログを入れるが、今年も白鳥町長滝寺の古代蓮が咲いた。朝の涼しいうちに病院の待ち時間利用して行って見ると綺麗な蓮が咲いていた。
此の話も詳しくは知りませんが、2年続けて入れた私のブログですので、又同じ事書いても仕方がないから、今回は遠慮します、気が向いたら、お粗末な物にですが、開いて見てください、
 
郷土史家の先生から聞いたものや、なまかじりの物ばかりです
平成21年7月3日
平成21年7月9日
平成22年7月16日
 
中尊寺金色堂には藤原秀衡の遺体と共に首桶も治められていたという。
その首桶には藤原泰衡の首が入っており、一緒に「蓮の種子」も入っていた。
何年か前、中尊寺でその「蓮の種子」は奇跡的に開花したのである。800年以上前の「蓮の花」である。
其れを蕪別けして貰い長滝寺へ植えた物です
 
奥州藤原秀衡(ひでひら)は霊峰白山を厚く崇敬していた。加賀、越前、美濃の白山三馬場には、秀衡寄進の仏像や伝承が数多くあって、白山中宮長滝寺の梵鐘(明治32年焼失)は秀衡の寄進で高さ5尺径4尺であったと言う。
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この長滝寺に有った秀衡の寄進した梵鐘が、明治32年に消失した、と言う事ですが、其れはこの付近の民家から、発した火災により、長滝寺始め長滝一山のお堂や、社の殆んどが消失したと言います。
此処の参道の両脇には、ギンナンの木がそびえているが、写真の木は其の大火で焼けた跡が残っています。最近までは少し焦げていて火災の跡は生生しく残っていた。
そして次第に長滝寺の天台宗が衰退に追い討ちをかけて廃れていきました。
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15分ほど廻って見たが、早く帰らないと、診察の時間になるので、早く引き上げる。
 
 

郡上おどり

今年も郡上八幡観光の目玉、郡上踊りの開幕日が来た。7月9日(土曜日)旧庁舎記念館前で7時30分より。長期間(9月3日迄)に渡り郡上踊りが始まる。(郡上踊り日程表参照)
 
昨年も郡上踊りの話を入れて置きましたので、開いて見てください
 
私は、郡上踊りの成り立ちや、歴史に付いては歴史家で無いから、詳しく知りませんが、郷土史家の先生から聞いた話や、地域の言い伝えから、拾ったものです。
 
昨年は郡上踊り400年祭と言っていましたが、盆踊りは日本の何処の地域でも、念仏踊りとして、定着していたらしい。既に平安時代末期には、空也上人が地獄と極楽を説き、念仏を唱える事に依って、極楽往生が出来ると言う「念仏往生」を広めた。
其れから時代が移り変わり、一遍上人の出現により、念仏踊りの「時宗」と言う宗派を作ったと言います。「場所踊り」と言って郡内各地で広く踊られたと言います。
 
盆に成るとあの世に往生した先祖や身内の霊を呼び寄せ、皆で輪になって、其の中心になる提灯に火を入れて歌と踊りや、念仏に鉦を鳴らして、もてなすのでした。其れが次第に変化して神事に変わり、雨乞い踊りになったりする。
 
雨乞い踊りは皆で輪を作り、客神を呼び居れ、其れを囲み、足で大地を大きく踏み鳴らしながら、廻るだけの単純な動作で有って、踊ると言う様なものでは無く、極めて原始的なものでした。
大勢で大地が揺れる程足を踏み鳴らすので、深い淵や池に住んでいる龍が驚いて天へ舞い登り、雲を掻き混ぜるので雨が降り出すと言う。
ちなみに相撲取の四股を踏む動作も此れと同じで、雨乞い動作で五穀豊穣を祈る行事の始まりだったと言う。(資料 郡上郷土史家より)
 
郡上八幡城(昨年の紅葉祭り写真です)
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 そうした神事が次第に廃れてくると、娯楽として要素が強くなり、伊勢参りの帰りに習って来た
川崎踊りや、旅遊び芸人が持ち込んだ芸能や、三味線の音曲で門付けをして歩く「越後ごぜ」と呼ばれる芸人や、浄瑠璃、歌舞伎から取った、「鈴木主水」等の心中物など、盆踊りの中へ組み入れられた。
郡上八幡踊り保存会は発足当時には、7種類を決めていたが、昭和11年に「ゲンゲンバラバラ」と「さば」の2種類を追加して9種類から、その後にもう一つ加えて10種類になっている。詳しくは郡上踊りURL開いて下さい
 
郡上踊りURL
郡上踊り日程表
 

各務ヶ原空襲

昭和20年6月22日此の日は、私が生まれて初めて「死」と言う現実に向き合った日である。数え年僅か16歳の時でした。各務原空襲です。
 
3年程前に此のブログに入れた事が有りますが、今日は忘れられない日です。もう一度同じものを入れます。
私は昭和19年春「稲葉郡蘇原町三柿野」川崎航空機岐阜工場に入社する。
現在の各務ヶ原市蘇原町川崎重工の東、川崎山配水タンクの南側、山の斜面に作った造成地の寮に居た。
西から第一、第二、寮と続いて次に青年学校があり、次が学校グランドと成っていたが、学校では、航空機工学、航空気象学、に続き、数学、幾何、物理、英語(英語は敵国語で普段は使えなかった)と数々習いながらその合間は、軍事教練、実習教科と毎日忙しい日が続いていた。
 
途中より太平洋戦争の戦況が悪化して来たので、学校は途中打ち切り、現場実習になる、私は工作機械職場へ配属、機械工養成所が、「愛知県一の宮」に有ったので、又其処で勉強に成る、
 
一宮訓練場機械教科終了写真 
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一応教科は修了、其の歳の暮頃に美濃加茂市坂祝の工場へ回る。一宮を引き上げた直後の12月7日には、三河地震があり、それから35日過ぎた翌年1月13日(M7,1)の地震で大被害を出したが、軍の規制もあって、殆どの国民は其の被害は知らなかったが、一宮も家屋の倒壊や、かなりの被害があったそうな。 
 
此処坂祝工場はアメリカの爆撃を避けるため本社工場から工作機械の分散で、機械はまだ坂祝へ移動中、私の担当の機械は無い、又教練や学科ばかり、其の内に翌年4月に成り何故か坂祝の寮は追い出されて元居た本社、川崎山の寮へ、戻ってみれば新一年生が入寮していて、新入生からは先輩として敬語で呼んでもらえるし、私の影を見ただけで挙手の敬礼はして貰えるし。一寸偉くなった様な気分を味あう、
室長を任命されたが、同僚達の長ですから、只の小間使い、要領が悪かっただけでした。
 
漸く坂祝の工場も担当する機械も出来て、高山線蘇原駅〜坂祝駅間の定期を買い昼夜交代の通勤になる、
戦況は益々悪化の一途、夜は名古屋の空襲、一の宮空襲、を寮の北山へ退避して南の空で落とされる焼夷弾、照明弾、遠くから眺めながらも、まさか岐阜まで空襲には来ないだろうと楽な気で居た、
 
昭和20622日朝、坂祝の夜勤を終えて寮で点呼も終わった頃、又退避命令が出るが、何時もの事で、無視する、同僚の一人が心配して西の方から編隊の爆音がすると言うが、「たわけあれは訓練飛行じゃが〜」と是も無視、と同時に「米艦載機数十機、関ヶ原上空を東進中、ただちに退避せよ」と寮のスピーカーが叫ぶので、窓を開けて空見上げると、其の時、敵戦闘機が急降下、忽ち屋根は機銃掃射で穴だらけ、靴は履いたままベットで寝ていたので二階から何処へ飛び降りたか、地上へは来たが近くへ爆弾落とされたか爆風で、腸が飛び出るような風圧、小石交じりの埃が伏せた背中へ落ちかかる、生きた心地は無い、近くの防空壕へ助け求めていくが、学徒動員された女子学徒ばかりで満員、番をしていた憲兵に追い返される、急降下した敵機の機関銃の玉が鉄骨に跳ね返り、耳元をかすめる、無数の土ほこりと石のかけらが、ヘルメットへ音を立てて落ちかかる、其の中を地を這うように、又田植したばかりの田を泥だらけになり北の方へ逃げる、
 
どれ程時間が過ぎたか、敵艦載機は引き上げたようだ。避難していた山林から農道まで出て見ると農家から逃げ出した馬や家畜があちこちで死んでいる、何かで片足失った人や、顔から血を流した人、避難途中ではぐれた親子の叫び声、横目で其の現場を見ながら学校の講堂入り口近くまで来ると、子供を失った近くの老婆だろうが狂ったように喚いている、農家の主婦の泣声、其処を軍服を着た兵が指揮刀や銃剣抜いて振り回し道を明け、その後ろから担架に乗せられた死体が続ぞく運び込まれる
 
ゴム風船のように膨れ上がり泥まみれ、性別判定不可。夕闇迫る初夏の本社工場、真っ黒の油の黒煙を上げて燃え上がる建物、時折真っ赤な炎がコノ光景を照らし出す、地獄絵図。正に地獄絵図だが、 命令系統ズタズタ、デマも飛ぶ、
 
それでも同僚達、何処からともなく少しずつ集まり高山線線路伝いに歩いて(線路破壊され列車脱線横転)坂祝工場まで行く、此処は爆撃されなくて無傷、これで安心したのか其れからは何したか覚えていない。多分暴睡したのだろう、この時の一瞬の運命の分かれ道は防空壕へ入れて貰えなかった事でした。防空壕に居た人は徴用された女子挺身隊や、学徒動員された女子学生でしたが、殆ど死んでいた。
その後も26日に残る工場の爆撃があったが少し度胸も付いて急降下する戦闘機のアメリカ兵まで一瞬見えた。昭和20年、僅か数え年16歳の少年時代の昔話、今日はそんな日だった。      

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