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5月頃から、少し体調悪くして、家から離れている畑へは、暫らく行っていなかったら、何処に野菜が有るのか解らなくなっている。
朝顔の つるに取られた 野菜畑
かろうじて、甘長ナンバンは、草の陰から延びていた。全部頂き、採って来る
左側写真??此れでもサツマイモが、植えてあるのです
右側写真??郡上ナンバンです。激カラです。
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こんにちは、ゲストさん
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5月頃から、少し体調悪くして、家から離れている畑へは、暫らく行っていなかったら、何処に野菜が有るのか解らなくなっている。
朝顔の つるに取られた 野菜畑
かろうじて、甘長ナンバンは、草の陰から延びていた。全部頂き、採って来る
左側写真??此れでもサツマイモが、植えてあるのです
右側写真??郡上ナンバンです。激カラです。
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猿滑りは、別名を「百日紅」(ヒャクジツコウ)と言うそうです。私達の地域では、昔は,お寺の境内の片隅か、墓場の所に、植えられて、居ました。
さるすべりの花は、7月中旬頃から咲き始めて、9月一杯か、10月中旬頃迄、咲いています、文字通り100日程咲いているのでしょう。
今年も猛暑の土用も過ぎて、盆が来ましたが、盆の墓参りには、丁度、花が満開で、先祖を迎えるには、良いおもてなしだったのでしょう。
そんな墓の中に有ると言う、先入観からでしょうか、私はあまり好きな花では、無かったのです。
うちの墓にも植えていますが、其の年に、幹から良く伸びた枝に花を咲かせています。
葉が落ちた頃に、枝を切り落としても、また来年は幹の元から新しく延びた枝に花を咲かせます。
最近はたまに、家の庭にも、植えられていて、丁寧に良く見ると花は綺麗です。
幹はツルツルで、比較的、曲って居ない物は、床柱としても、使われて居ましたが、建築様式にとらわれない砕けた感じの変木として使われ、此れを好んで使って居た大工さんも居ました。
私はお施主さんの要望が、無かったので、使った事は有りません。
幹がツルツルで木登り名人の、猿でも登れないそうですが、此の木から、猿が滑って落ちたと言う話は聞いて、居ませんが
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暑中お見舞い申上げます。
7月24日頃より、郡上地方では、晴れた暑い日が続いています、28日に、チョット、夕立ちがあり、少し涼しくなったが、その後の酷暑は、異常と思えるものです。
子供達は、涼を求めて、川遊び。
国道の温度計も34度〜36度の表示。屋内でも30度を上回る事度々あります。
午後は如何してもクーラーのお世話にならないと、生きて居られないくらいです。
幸い郡上では、「緑と清流の里」をキャッチフレーズにしているだけ有り、陽が落ちれば庭にスプリングクラーを掛けて散水すれば、自然の風が吹いて涼しくなり、極楽、極楽。
都市では、味会えない涼風です。郡上に住んで良かった。冬は少し寒いが、両方良いことは無い。
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この病院は、郡上市北部に位置する、福井県境に近い所に建って居る、総合病院です。
19年前に私の母の最期(85歳)を看取って貰った病院でも有り、それ以来私もこの病院のお世話になっている。
それ以来此処で、紹介された病院を除き、他の病院へは行った事が無い。
生まれ育った地域から、近いので外来で診察に行っても必ず、誰か知り合いに出会う。今度の入院も、3階の部屋に決められて、入って見ると、6人部屋で知り合い3名も居た。
入院2日目に窓際に居た人が、退院して、其の後へ、次の人が入って来たが、看護師が来て、その人の名前を確認すると、フルネームで答えて居るのが聞こえた。
昔私の大工時代にお互いに手間を融通し合った大工仲間で有る様だが、私も手術2日目、起き上がるのが困難な時でした、まさか同姓同名では無さそうです。これでこの部屋知り合い4名になった。
高齢者か後期高齢者ばかり多く入院しているが、其のうちの少し若い方が、私に声を掛けてくる、余り見覚えは無いが、「私を覚えて見えるか」と聞かれるが、解らない、
若い時の私の仕事先(施主)の家の子供だと言う、12〜3歳ぐらい年下だが、私を良く覚えて居てくれたのだが、私はあまり覚えていないし、長い年月が経ち、体形も変わっているが、顔は親に似た面影があった。
良く覚えて居てくれた、とお礼を言い、話が続く、お互い他の患者の迷惑になるので、長話はせず、挨拶だけで済ます。
その外、若い人達の間では、殆んど死語になってしまった方言の、郡上弁も此処では、生きている。特に白鳥町や、それ以北の高鷲町の高齢者は、郡上弁でまくし立てて話す事が多い。私もブログの中に、気が付かない内に郡上弁が入って居る様です。
この病院へ県外から始めて赴任してきた医師は、患者が自分の病状の説明する時に、郡上弁で話すので、理解出来ないことが多く有るそうです。
話は少し横へそれましたが、先生の回診は、朝7時前後の時も有れば、午後の時もありました。外来の時に診察は、8時30分からですが、先生もこんなに朝早くから仕事に掛かって居るとは、知らなかった。
其の他、朝晩と、勤務交代した時は、必ず看護師が来て、手術口の状態を確認して貰い、血圧、脈拍、体温、その他点滴が無くなれば、直ぐに次の点滴に変えてもらう。手術した11日は、点滴、4袋、12日は、点滴3袋、13日も点滴午前と午後に別けて2袋、14日も点滴、2袋、15日から点滴無しになり、飲み薬に変わる。16日まで連休ですが、此処は全然普段と変わらなく、診察して貰える。
17日頃は少し歩いて見ようと、廊下を歩く、
西の廊下突き当たり迄行き、初めて窓越しからデジカメ出して、写真を撮る。
何時も見慣れた景色だが、西の裏が小学校で子供達が、プールで水遊びをしている。
今日は気温がぐんと上がっているらしい。病院の中は、常に24度前後に成っていて、快適、暑さ知らずで居ます。
あれやこれやで、19日午後に退院と決まる。又子供に迎えに来てもらい、精算を終り、退院証明書を貰う。
3ヶ月以内に他の病院へ入院した時に提出するのだそうです。
「治癒に近い状態」と書いてある。治癒とは書いてない、まだ歩く時や、動作を変える時は、痛い。25日に診察に行く予定になっているが、先生が「良いですね」と言われるのを、楽しみで、待ち遠おしい。
画面左側おもちゃ看板の左下国道156号線 其の上、ループ橋国道158号線 其の上 中部縦貫道路 何れも158号線を登りトンネル越すと、福井県です。
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6月の始め頃、風呂へ入って居るときに、何気なく下半身を見ると、右足付け根当たりがピンポン玉位、少し膨らんでいたが、痛くも無いので暫らく忘れていた。
手で押さえると引っ込むし、起床時は戻っているし、余り気にかけては居なかったが、6月下旬頃に若しかして、癌の塊で無いかと思い出し、パソコンで「病気。右太もも、の付け根が膨らむ」と入れて検索したら、沢山の病名が出てきた。
その中に、「鼠径ヘルニアトラブル」と言うのが有ったので、開いてみると、脱腸で有る事が解った、翌朝、かかり付け病院へ行き、診察して貰う。
待つ事暫らくして、外科の先生にパンツをベロと降ろし、診察して貰うと、即座にた「コリャ脱腸だ、手術で無いと直す方法は無い」と言われて、話は進み、早速手術予定日が決まる。7月11日午後1時30分より。
癌では、無くて安心したものの、簡単な手術だと言われるが、少しでも「下腹部を切る」と言う事は、嫌な事です。手術以外の治療方法は無いですか、と聞くが、子供以外は手術遣るしか直す方法は無いと言われるので、止む無く承諾する。
診察終り帰ってから、友人や、知人に、「脱腸手術を遣る事なった」と真剣な顔して話すと皆笑うだけでした、私の子供達にも手術の話をすると、軽い手術だと言い、笑うので少し安心はしたものの、切られる本人は、笑い所ではない。
7月11日午後1時30分より、手術開始、朝8時までに受付が終るようにと、指示を受けて、当日子供達に病院へ連れて行って貰う。
外科医の診察、レントゲン(肺)と(下半身)、血液検査、心電図、等終り、入院室が三階に決まり、手術の説明を受ける。
暫らくして看護師が来て、手術する周辺の、毛を剃ると言い、特殊な電気バリカンの様なもので、あっと言う間に剃ってしまう、続いて、すかさず浣腸されて、3分も経たないうちにトイレへ走る。もう逃げ出す訳には行かない。スッカリ自分の体は預けっ放しにするより仕方が無い。 その後、点滴が始まる、
昨夜9時には整腸剤薬を飲み終わり、当日は朝食抜き、点滴は朝食代わりなのか?と、思ったが、次の二つ目点滴が、12時過ぎても、残って居る、1時頃に皮下注射をして暫らくすると、寝台ベットヘ移されて、点滴したまま、いよいよ手術室へ連れて行かれる。
看護師、外科の先生、皆大きなマスクに、眼だけ出した服を着ているので、誰だかサッパリ解らない。時計は午後1時20分を指していた。
着て来た着物全部剥がされて、手術台へ移され「今から麻酔薬打ちます」と言われて、猫のように、背を丸めると、腰椎麻酔を打たれる。次第に足が他人の足の様になり感覚が無くなる、特に右足は親指も動かない、先生か麻酔師か解らないが、左右の足の指、動くか確認して、左足の親指は動くかと、聞かれる、右足は全く自分の意思は通じない。
始めます。と声があり、切開が始まるが、痛い事は全く無い、小さい声で何か掛け合っている様だが、静まり返った手術室、ジッと眼を閉じたままで居る、
暫らく時間も経ったような気がして来た、「未だ終らないのかな〜」と思い、横目で時計を見るが、何か物陰になり見えない、血圧を測っている、看護師がそれを感じてか、「もうすぐに終わります」と言うが、中々終らない、こんな時の待つ時間の長い事。
眼を開けて、天井を見ると、無影灯のステンレス板に切り口の影が映っている、磨いたステンレス板は湾曲に成って居るから実像では無いだろうが?
重みを感じる程有った、コッヘル鉗子が少しずつ減って行くのが解った。もう直ぐ終るのか、自分で納得。暫らくすると「終わりました」と声がかかり、先生や看護師にお礼を言って、台車乗せて貰い部屋を出る。
自分の入院室に帰る。寝台を移し変えられて、上を向いたままの姿勢で寝かされて、頭は動さ無い様に指示があり、翌朝までそのまま。朝まで良く眠れた。
翌朝紙おむつとパンツを取り替えて貰い、看護師に手伝ってもらい起き上がる、ジッと寝ている時は、痛みは無いが、一つ動作をする度に痛みが走る。此れからはトイレまで、自分で行ってみて下さいと言われて、点滴スタンドを押しながら、手摺に掴まりやっと、トイレまで行く、後ろから看護師が見守りながら付いて来る、随分遠い所へ歩いた気がした。
先生の回診が有り、「大変宜しいですね」、と言われる。それから朝食、お粥が出る、全部食べる。
朝食(此れは手術後7日目頃の写真です、当日はデジカメどころでは無かった)
昼食
夕食
9日間の入院でしたが、食事は毎回お粥でした、おかずも残さず全部食べられた。
「退院してからもお粥ですか」と聞くと、「此れは糖尿病食事です」言われる。
糖尿病食事は、塩分控えめ食事でしょうが、味は殆んど家の味と同じぐらいで、全然不味いと感じたことは無かった。
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